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生きている死者と、語り部と弟妹

作者: くー。

 キッチンと、そこから繋がっているリビングには甘くて芳ばしい匂いが立ちこめていた。

 ちょうど、二回目のマドレーヌが焼き上がったからだ。

 俺はオーブンを開けて、下段に入れた鉄板をのぞき込む。等間隔に並んだチョコチップ入りのマドレーヌの焼き色は悪くなかった。

 鉄板を取り出してとりあえずコンロの上に置く。

 それからトングを使ってマドレーヌを冷ますために網の上に移した。

 マドレーヌは、一回目と同じように網二つ分だった。

 俺は網を二つとも持ってリビングに戻り、食事用のテーブルの真ん中に置いた。

 自分の席に座り、マドレーヌの粗熱が取れるのを待つついでに、俺はノートを開く。何の変哲も無い、普通の大学ノートだ。

 俺は、マドレーヌ作りで自分が何をしたか、シャーペンの後ろで額をつつきながら考え、それを書き出す。

 分量や作り方はもちろん、チョコチップが多すぎたとか、貝の形の型を用意できなくて浅いカップケーキみたいになったとか、最後ボウルの底に残った生地はバターが溜まっていたのかぐずぐずになったとか、そういうことも書いた。

 あとは何があったか。そんな風に考えていると、玄関からリビングに繋がる廊下から、バタバタと元気な足音が聞こえてきた。

 ガチャッと目の前のドアが開く。

 「ただいまー! うわあ、良い匂い!!」

 「…………」

 「おかえり。マドレーヌ焼きたてだぞ」

 「うっわあい!!」

 そう言ってぴょんぴょこ飛び跳ねたのは妹のニカ。

 そしてその後ろには、彼女の双子の兄で、俺の弟のナオがブスッと不機嫌そうな顔で立っている。

 双子は中学三年生で、大学生の俺とは少し歳が離れている。

 二人とも、俺が通った私立の学校に通っていて、第二土曜日の今日は半日だけ授業があった。

 「…………また大の男が菓子作りかよ」

 制服のまま今にもマドレーヌに飛びつきそうな妹を抑えていると、ボソッとそんな声が聞こえた。

 言わずもがな弟の方だ。なんて言うか、反抗期なんだよ。

 その途端、妹がプクッと頬を膨らませて振り向く。

 「もうっ、またそういうこと行って! 良いじゃない誰がお菓子作ったって! ジェンダーを気にする男はモテないって、家庭科の先生が行ってたでしょ!」

 「別にモテなくていーし」

 「モテるモテないを別にしても! 人のやることにいちいちケチ付ける人はどうやったって好かれないわ!」

 「……っ! だから、俺は別に……!」

 「ハイハイその辺にしとけ。マドレーヌ冷めるぞ」

 紅茶淹れとくから手ぇ洗って着替えてこい。

 そう言うと、妹の方はハッと顔を上げ、マドレーヌ! と一言叫んでからリビングを走って出て行った。

 弟の方は、また心底不機嫌そうに俺を睨む。余計なことを、とでも言いたげだ。

 俺はただ肩を竦めて、お前もはよ行け、と言った。

 弟はチッと小さく舌打ちをして、リビングを出ていく。

 結局、しばらくして降りてきたのは妹だけだった。

 「お兄ちゃんは甘いのよ!」

 「そうかね」

 愛用している花柄のマグカップに入った紅茶を一口飲んで、妹は言う。

 甘いかね、俺は。

 「そーよ。どっかでビシッと言わないと!」

 「つってもなー。あいつも何だかんだ言ってまだ言うことは聞くしなあ」

 「聞かなくなったらどうするの?」

 「親父かお袋に頼むかなー」

 共働きで家にいる時間が少なくても、やっぱり親の影響力というのは強い。中学生の兄妹ならなおさらだろう。

 言いながら、俺はマドレーヌを一つ手に取った。

 「それに、あいつはただ構って欲しいだけさ」

 良くある話だ。

 あいつも受験だし、相応に悩みとかもあるけどなかなか言い出せなくて、それとなくサインを出すんだけど、たとえ受け取って貰っても自分が何を言いたいのか整理がつかない。

 ただただ不安で、たまに無気力になって、ハッとして周りと自分を比較して焦る。それでまた不安になってって、そんな感じの繰り返し。

 まあ、俺が中途半端に良い高校や良い大学に行ったから、コンプレックスとかもあるんだろうが。

 本人から聞いたことは無いけれど、妹がそこそこの公立高校を志望しているのに対して、弟が俺と同じ私立の高校を第一志望にしているのは知っていた。

 「私は、別にコンプレックスとか無いけどなー」

 「男には男の変なプライドがあるんだよ」

 マドレーヌを千切っては口に運びつつ言う。

 「お兄ちゃんにも反抗期あったの?」

 「俺は……そんなこと言ってる暇無かったな。色々あったし」

 俺が中学生になった頃、まず父親が単身赴任で地方へ。それとほぼ同時に母親が管理職になって帰りが遅くなる。

 それから、小学生だった弟妹が俺と同じ中学を受験するとか言い出して、塾に通い始めた。送り迎えは俺。

 「加えて、『語り部』にも選ばれたからなー」

 そう言って、俺は手元にあるノートの表紙を中三本の指で、タララ、タララ、と叩く。

 俺もあの時よりは歳を取ったから、今は手際も良くなって、生活もだいぶ落ち着いた。けれど、あの頃はどうすれば日々効率よく動けるかしか頭になかった。

 上手く行かなくてイライラすることもそりゃああったけど、怒鳴ったり何かに当たったりするための体力や時間は余ってなかった。

 「ま、ある意味平穏だったな」

 「…………」

 「どうした、黙って」

 らしくもない、と、向かいで俯く妹に俺は少し笑った。

 「……お兄ちゃんがいっぱい頑張って私たちの面倒見てくれたこと、私ちゃんと覚えてるし、あの頃はよく分からなかったけど、その大変さも少し分かるようになったよ。でも、ナオは忘れちゃったのかな……」

 寂しそうに言う妹に、俺は首を横に振る。

 「お前が覚えてるなら、あいつも覚えてるよ。あいつは不器用なだけで、人のことはちゃんと見るやつだ。反抗期なんてあるのが普通なんだし、きっと、何かきっかけがあれば終わる。無くても、時間が解決してくれる」

 「そうかな」

 「そうさ」

 頷いて、俺は立ち上がる。もう一度紅茶を淹れようと思った。

 「居る場所や行動する時間帯が違っても、俺たちは家族だ。どこかで繋がってる。俺はあいつを信じるから、お前も、お前の片割れを信じてやれ」

 「……分かった」

 ぽんぽんと頭を撫でてやると、妹は嬉しそうに笑った。

 

 翌日。袋詰めしたマドレーヌがいっぱい入ったバスケットと、相棒である工具入れと、あと諸々の荷物を持って俺は家を出た。

 ガレージにあるのは、俺がまだ赤ん坊の頃に父親が買ったバン。双子が生まれるかも分からなかったのに、五人乗りを買ったらしい。

 俺はバスケットを助手席に置いて、運転席に乗り込んだ。工具入れはその時に足下へ。

 シートベルトを締めて、忘れ物は無いか頭の中で確認していた時だった。

 「離せ……!!」

 「いーからいーから! ほら早く!!」

 玄関の扉がガチャガチャ開く音がしたと思ったら、そんな声が聞こえてきた。

 「?」

 身を乗り出してフロントガラスから外を見ると、ぴょこっと飛び跳ねるようにして姿を現したニカが笑顔で手を振っている。

 とりあえず振り返しておいた。

 ニカの片手はナオの腕を強く掴んでおり、一瞬目のあったナオはすぐに顔を逸らす。

 バタバタと後部座席のドアが開いて、外の音と騒がしい気配が入ってくる。

 ギューギューと兄を座席に押し込もうとする妹と、それに必死に抵抗する兄の攻防戦を、俺は呆れ半分で見ていた。

 が、中学に入ってから徐々にインドアへ寄っていった兄は完全アウトドア派の妹に勝てなかったようで、最終的には後ろから転がるように後部座席に入ってきた。

 すかさず妹も乗り込み、容赦なくドアを閉める。ちなみにナオ側のドアはガレージの壁に面していた。

 「お兄ちゃん出発!」

 「ういー」

 「っ……!」

 ギッとバックミラー越しにナオがこちらを睨む。

 だが、俺にも約束の時間というものがあるので、肩を竦めてアクセルを踏んだ。

 俺たちの住んでいる家は、所謂集合住宅街にある。繁華街や駅へのアクセスも悪くなく、公園やコンビニもある。道も綺麗に舗装され、都会というわけではないが周囲の町並みは明るい。

 だが、俺は車をその明るさから背を向けるように走らせる。

 目的地は、ここから三十分くらいの郊外だ。

 「お前らちゃんとシートベルト締めてる?」

 「二人とも締めてまーす!」

 「おっけー」

 目的地に向かうまで、妹は楽しそうにここ最近の出来事をあれこれ話していた。

 部活や友達、勉強のこと。

 その間、鏡に映った弟は、ずっと俯いていた。

 

 しばらくして二つほど町を越えると、徐々に住宅の敷地が広くなり、間に畑が現れたりし始める。

 さらにそこも抜けていくと、やがて、目の前に、こんもりとした緑の生い茂る山が現れた。

 くねくね曲がる山道を登っていくと、途中で舗装が途切れ獣道になる。

 だが、俺はそこもためらわず進んで、山の木々の間を進んでいった。

 「ずいぶん奥まで行くんだね……」

 いつの間にか静かになって、窓にべったり張り付いた妹が言う。

 「まあな。ちょっと揺れるから舌噛まないように口と閉じとけ」

 ちょうどそう言った時、バンが上下にガクンガクンと揺れ始めた。この辺りは木の根が盛り上がっていて、いつも揺れる。

 その揺れが収まったと同時に、ふと視界が開けた。

 木々は途切れ、代わりに、鉄格子の門が現れる。大きく口を開けた門に入り、俺は車を止めた。

 

 門の向こうにあったのは、ヒビや蔦の目立つ白い洋館。

 俺はもう慣れたけど、ちょっと物々しい雰囲気に双子は揃って口を堅く閉じていた。

 洋館の玄関へ向かうと、木製の大きくて重い扉を開け中に入る。

 屋敷の中は、外見に反して意外と綺麗だ。ただ、やっぱり薄暗くて、少し埃っぽさはある。

 「ちゃーっす。来たぞー」

 両手に荷物を持った俺がそう声を掛けると、一分ほど待って、玄関ホールの奥にある扉が開いた。

 そこから、なんて言えばいいのか、黄緑色で半透明の球体が出てきた。

 大きさは妹と同じくらい。ただ、地面からは少し浮いているから、正確にはもう少し低いが。

 その球体の中には、人が一人、椅子に腰掛け、肘置きに手を置いたような姿勢で入っている。

 長い黒髪に白いワンピースを着た女だった。伸びた前髪の間から微かに見える目は、眠るように閉じられている。

 音もなく近くへやって来た球体に、俺は右の手の平を当てた。

 その瞬間、少し低めの朗らかな声が頭に響く。

 『やあ、来てくれたか。いつも助かるよ』

 「三階の雨漏りだって?」

 『ああ、ジゴロウが見つけてな。古い屋敷だから仕方が無いが……。ところで、そこの二人は?』

 そう言った球体は少し向きを変えて弟と妹を見た。

 球体を見てぽかんとしていた二人は、突然話を振られ、びくっと肩を跳ねさせる。

 「弟と妹」

 『へ……。ああ、そうかそうか。君たちが……』

 「ほら、お前らも挨拶。手を当てて、普通に声出せば良いから」

 俺が促すと、二人はおっかなびっくりと言った様子で球体に手を当てた。

 「は、はじめまして。ニカです」

 「……ナオ、です」

 社交的な妹の方でさえ珍しく緊張した様子で話しかける。

 すると、球体は一拍黙ったあと、不意に小さく笑った。

 球体が、ぼやっとオレンジ色に変わる。

 『そうかそうだな。さすがに覚えていないか!』

 「……?」

 「お前ら二人ともここに来たことあるんだよ。生まれたばっかの頃、前の語り部だったジム伯父さんに連れられて」

 「え!?」

 妹が声を上げ、弟も驚いた顔をする。まあ、さすがにそんな頃のことは覚えていないか。

 それを見て、球体はまた笑った。

 『私は、ナナ。久しぶりだな。あんなに小さかったのに。月日が流れるのは早いものだ』

 「なー」

 俺は深く頷く。二人が生まれた時、俺はだいたい五歳くらいだったから、二人の成長は逐一覚えている。

 『っと……。こんな所で立ち話も何だな。みんな、今日君が来ると言ったらとても嬉しそうにしていたし、楽しみにしていた。すぐに仕事を終わらせるためにも、さっそく雨漏りの場所に案内しよう』

 「頼むわ」

 頷いて、俺とナナは歩き始める。またぽかっとしていた弟妹を呼ぶと、二人は慌てて着いてきた。

 階段でまず二階に向かい、とある部屋に入った。

 その部屋はこの屋敷の普通の部屋三つ分くらいの広さがあって、ステンレスで出来た丸テーブルがいくつも置いてある。そのテーブルにはロケットの先端のような形をしたガラスの蓋が乗っていた。蓋の先端からは細いチューブが天井に向かって伸びている。

 俺はそのテーブル一つ一つに袋詰めしたマドレーヌを置いて蓋を閉めた。

 扉の横にあるレバーを下げてから部屋を出る。低い機動音が聞こえてきた。

 「今のは?」

 「ここの人たちが食べ物を食べるための機械」

 答えると、妹は分かったような分かっていないような微妙な表情をして頷く。弟の方はまた俯きはじめていた。

 三階に向かい雨漏り部屋に入ると、部屋には洗面器やバケツがいくつも置かれていて、天井にはそれと同じ数のシミが出来ていた。

 「あーあー……」

 『なかなかひどいだろう? この辺りの部屋は誰も使っていなくて、気付くのが遅れてな』

 「とりあえず天井裏見てみるか。脚立は?」

 『隣の部屋に置いてある。張り替えようの板も。昨日、みんなで道具を運んだんだ』

 「そりゃ、ありがとさん」

 そう言って、俺は後ろを振り返ると弟と妹を見た。

 「お前ら、ここにいても暇だろうから書庫にでも案内して貰ってそこで待ってろ」

 良いか? と尋ねると、ナナは、もちろん、と頷くように言った。

 妹の方も、分かった、と首を縦に振る。

 しかし、

 「……俺は、行かない。本、あるし」

 「え、ナオ意外と準備良いね」

 「本を読んでるところをお前が引っ張ったんだろ!」

 「あるれ~?」

 わざとらしく首を傾げる妹に、弟は苛ついたように頭をガリガリ掻いた。

 「でも、本があっても読む場所が必要だろ。この部屋は無理だし、書庫に行けよ」

 「行かない! 隣で読む……」

 ムスッとした顔で、弟は誰からも顔を逸らす。

 俺は人差し指で頬を掻いて、とりあえず、妹を書庫に案内するようにナナに頼んだ。

 歩いていく二人を見送り、残された俺と弟は若干の距離を取って隣の部屋へ向かう。

 隣の部屋の天井には、隣の部屋から続くシミが少しあったが、雨漏りはなかった。

 部屋には、先ほど言われた通り脚立や大小様々な板、俺の工具入れには入っていない大きめのノコギリやバールなんかが置いてある。

 俺はとりあえず脚立だけ持って行くことにした。

 「危ないから、置いてあるものには触るなよ」

 一応注意しておいて、俺は雨漏り部屋へ向かった。返事は当然無かった。

 

 案の定というか、それは起こった。

 俺が天井裏に上って一通り見て回り、もしかしたら瓦を変えるところからやるべきかもしれないとか考えていた時だった。

 ガラガラガラガラッ!!

 と、ものすごい音が隣の部屋から聞こえてきて、俺は直ぐに天井から降りた。

 急いで部屋を出て、隣の部屋のドアを開ける。

 「ナオ!」

 部屋の奥にある、一等背の高い板が軒並み倒れていた。その下に下半身が挟まったナオが倒れている。

 頭を打ったりはしていないようで意識もあり、そこは少しほっとした。板を一枚一枚どかし、救出する。

 「何かすごい音したけど大丈夫!?」

 そんな声とともに、数冊の本を持って妹がバタバタと入ってきた。後ろには、心配そうな水色になったナナもいる。

 「板が倒れて、ナオが下敷きになった。足首挫いてるな。身体動かせるか? 手当するから……」

 座れ、と言いながら差し伸べた手を、思いっきり叩かれた。ナオは一人で立ち上がる。

 俺は面食らってしまって動けなかったんだが、隣まで来ていた妹の顔がグッと険しくなった。

 「ナオ!」

 「うるさい、触んな!!」

 「お兄ちゃんは助けてくれたのよ? なのにどうしてそんなこと言うの!!」

 「ニカ」

 顔を赤くして抗議する妹を、俺は小声で制止する。

 確かにニカの言うことは正しいんだが、こういう時の正論は逆効果だ。

 だが、俺のこの行動もまた、ナオの神経を逆撫でしたらしい。

 ギリリと奥歯を噛んだナオが俺を睨む。

 「キモいんだよ! そうやって人のこと下に見て、それで見守ってるつもりか!? 語り部に選ばれたからって、やらなくてもいい雨漏りの修理とか菓子作りとか編み物とか真面目にやって、わざわざ仲良いところまで見せつけて、当てつけかよ!! 中学も高校も進学校で、良い大学通って頭の良いアンタからすれば俺なんてそりゃあちっぽけだけど、守るとか信じるとかいちいち鬱陶しいんだよこの偽善者!!」


 パンッ。

 

 乾いた音が部屋に響く。

 「残念だわ。私が男だったら、アンタのことグーで殴ってボコボコにしてやるのに」

 妹が、聞いたことが無いような厳しく固い声で言った。

 またずいぶんと過激だな。

 「ふざけるのもいい加減にしてよ。この人は、私たちのお兄ちゃんなのよ? 五年も早く生まれて、時々自分のやりたいことだって我慢して、ずっと私たちの側に居てくれたの」

 俯き気味に妹が言う。

 「私、書庫でここの人たちにたくさん会ったわ。みんな、お兄ちゃんのことたくさん話してくれた。修理は上手いし、お菓子や編み物はみんなのリクエストで、時間をかけてでも必ず答えてくれるって。語り部としての話だって面白いって。みんなお兄ちゃんのこと信頼してる。私そのことがすごく誇らしかった! 何も知らないのに……知ろうともしないくせに、当てつけとか偽善者とか、勝手なこと言わないで!!」

 ナオのものにも負けないくらいの大声で、ニカは言った。

 部屋は、二つの怒りの余韻を残しながらしんと静まりかえる。

 「…………ってるよ」

 「?」

 「分かってるよそんなことは……!」

 俯いたまま、ナオが言った。

 「だからこんなに苦しいんだろうが!!」

 ドッと俺たちを押しのけて、ナオは走って部屋を出ていく。

 大きく開いてゆらゆら揺れる扉を見ながら、俺はゆっくりと瞬きをした。ひねった足首が気がかりだった。

 俺は、隣で俯いたままの妹の頭にぽんと手を乗せる。

 「……ナオのこと、信じてない訳じゃないの」

 「うん」

 「でも、許せなかったの。勝手なこと言うの」

 「うん。お前の気持ちは、ちゃんと伝わってるよ。俺にも、ナオにも」

 うりうり頭を撫でてやると、妹は目元を赤くした顔を上げ少し笑った。

 俺はちょっと待っているように言うと、隣の雨漏り部屋からトートバックを持ってきた。

 中から救急キットを取り出して、妹に渡す。

 「湿布と包帯とネットが入ってる。脱脂綿とか消毒液もあるから、擦りむいたとこ見つけたら手当してやってくれ」

 「お兄ちゃんは行かないの?」

 「俺は天井を修理しなきゃいけない」

 そう言うと、妹は、そっか、と納得した。

 「でも、ナオどこにいるのかな」

 「適当に探してれば、双子パワーで見つかるだろ」

 笑って、それこそ適当に言ってやれば、妹もきししと笑って頷いた。

 トコトコ部屋を出ていく後ろ姿を見送る。

 それから、俺は未だうっすらと青い色をしている球体に手を当てた。

 「悪いな、不躾な弟で」

 『構わないさ。兄弟というのはなかなか大変だな』

 「そうだな。大変だけど、やっぱり、いつも何となく、大切なんだ」

 『君らしいな』

 クスクスとナナが笑った。少し安心したのか、表面がオレンジ色になる。

 『……少し、二人と話がしたいな』

 「修理が終わったら、語り部屋に連れてくればいい。俺の仕事も見せられるしな」

 『そうか。そうだな』

 それから、俺はナナに天井裏の状態を説明したり、とりあえず応急処置として見つけた穴をふさいで、シミがひどい部分に継ぎをしておくと話した。

 

 作業を全て終えて、工具セットや空になったバスケットを車に置いてから、トートバックだけ持って語り部屋に向かった。

 語り部屋は、書庫の隣にある。ガラス張りのスペースだ。図書館とかによくある『お話会の部屋』だな。

 部屋にはもうここに住んでいる人たちが集まっていて、俺が入ると、たくさんの球体がわあっとオレンジやピンクに染まった。

 俺は窓際にある椅子に座り、ノートを開く。

 ノートには、例のマドレーヌの作り方の他に、最近大学であったこととか、読んだ本のこととか、ゲームのこととかが、特に脈略無く書き連ねてあった。

 俺は一度深呼吸すると、ただ淡々と、世間話を始めた。

 

 *  *   *


 語り部屋の隅でナオとニカは、ナナと共に兄であるジンを見ていた。

 椅子に座り肘掛けに手を置いて、俯き気味にノートを見ながら話す姿は、彼の周りにいる球体の中の人々によく似ていた。

 マドレーヌ作りの苦労を語る兄は、双子にとってなかなか不思議だった。

 『正直、彼の好きな本や、お菓子の作り方や、最新の家電や、国語や科学を、みんながみんな興味があるわけじゃない』

 一つ目の話が一段落した時、ナナが言った。

 『生きた人間だって、それは同じだろう?』

 言うと、ナオとニカは頷く。

 『だがな……彼の好きな本や、お菓子の作り方や、国語や科学の話に、私たちはみんな、救われているんだ』

 ジンがパラパラとノートをめくり、次の話題を探していた。

 それから、あ、と言うように顔を上げる。

 『彼の話が、私たちと世界を、確かに繋げてくれる。世界から置いて行かれた私たちを、どこまでも連れて行ってくれる』

 その昔、死者をこの世に呼び戻す研究が、極秘裏に行われていた。

 死者の持つ心配事や未練を使って、無理矢理魂をこの世界に縛り付けようというものだった。

 研究はそれなりに進んでいたのだけれど、突然起こったたくさんの魂の暴走(一般的には呪いや祟りと呼ばれるものだ)により、研究員は全員死んだ。

 閉じこめられた腐らない死体と、中途半端に戻ってきた魂を残して。

 『先週、一人が天に昇っていった。彼が、その一人の子孫を見つけて、写真と手紙を届けてくれたんだ』

 語り部の仕事は、彼らを縛る未練や心配事を、ひとつひとつ丁寧に調べ、伝えることで、皆を天に帰すことだ。

 どうでもいい世間話は、天に帰れるその日まで、彼らを決して独りにしないためだ。

 『生きている死者が全て天に昇るまで、どれほど時間がかかるか分からない。けれど、今までの語り部は、語り部としての力が無くなるまで……いや、無くなってからも、我々に力を貸してくれる』

 語り部の力は、いつか枯渇する。

 この場所で、あの椅子に座っても、声が死者に届かなくなる。

 それでも、便利なものがたくさんある世界で、旧語り部たちは、現語り部への助力をーー死者たちへの助力を、惜しむことは無い。

 『私は、きっとなかなか天には昇れないけれど、その時が来たら、声が枯れるほど、ありがとうを言いたいな』

 ナナが穏やかにその願いを呟いた時、ジンが話を再開した。


 *   *   *


 「二人と話してどうだった?」

 『なかなか有意義な時間だった。頭の良い子たちだな』

 「俺の弟妹だからなー」

 言うと、ナナはクスクス笑った。自分で言うか? と言われているようだ。

 『特にニカの方は話し上手だし、聞き上手だな。私の天に帰るための願いまで、言わされてしまった』

 結構粘ったんだがなあ、とナナが笑う。

 俺はフッと苦笑した。

 『……迷惑だっただろうか?』

 「願いを二人に言ったことが? ナナが嫌じゃなきゃ、別に良いよ」

 『……そうか』

 なら良かった。とナナは言う。

 洋館の廊下にある扉から、裏庭に出る。

 足を踏み出して、俺はいつものようにふーっと息を吐いた。

 「報われるな。これを見ると」

 『みんなからの、嘘偽り無い感謝の気持ちだ』

 夕暮れ時、木々の間から西日が差し込む庭は、虹色に光っていた。

 一等細かいラメのような光の粒が空から降り注いで、日の光を受けたそれはキラキラと輝く。

 ラメは庭の隅にある暖炉の煙突から絶え間なく出てきていた。

 暖炉の火の周りにはいくつかの球体が集まっていて、たくさんの木の枝やマシュマロが宙に浮いている。

 『無理矢理私たちをここに留めた研究や研究員、それを望んで私を差し出した家族は、未練と言うほどではないが、やはり素直に許すことは出来ない』

 「うん」

 『けれど、そこそこの念力や、私たちに食べ物の味を感じさせてくれる機械や、感情を表現できる殻や感謝を伝えられる暖炉なんておかしなものを残してくれたこと。……君との出会いをくれたことには、少しだけ、感謝しても良い』

 「うん」

 頷くと、球体の色がぽっと朱色に変わった。それから、はあ、とため息を吐く。

 『……年甲斐もなく、生きた人間に恋をするなんてなあ』

 「またそれか。年甲斐っていうか、俺と同い年だろ」

 『生前はな。だが、もう何十年と経つんだ』

 おばあちゃんも通り過ぎてるんだ。と言うナナに、俺はケラケラ笑った。


 ナナは、昔の暴走で自分の未練が何だったのかを忘れたらしい。

 そういう人は他にも何人かいる。

 そういう場合は、死者自身に自然と生まれた願いを語り部に叶えて貰うことを約束して、天に帰る条件にすることもあった。

 今までの語り部みんながみんな、死者と約束をしたわけじゃない。どうも、願いが生まれること自体が希で、語り部との相性みたいなのもあるみたいだ。

 ナナの願いは、どうも俺と共にいることらしい。

 春になる少し前に、俺はそれを了承した。


 にぎやかな気配漂う庭に、ニカとナオもいた。

 ニカは虹色の中で二、三人の小さな球体と一緒に駆け回っていて、腕を引っ張られているナオは目を回している。

 「あっ、お兄ちゃーん! ナナさーん!」

 こちらに気が付いたニカが手を振った。俺も手を振り返す。

 心なしかニカの目が輝いているようで、俺はまた少し苦笑いした。

 別に何を言ったって良いけど、あとで俺の方にも根堀り葉堀り事情聴取が行われるのを考えると、ちょっと目眩がした。

 ニカがナオを引っ張ってこちらに走ってくる。

 それからドッとナオの背中を押して、たたらを踏んだナオが俺の前に立った。

 ナオはしばらく視線を辺りに彷徨わせたあと、俯いて言う。

 「…………ごめん、なさい……」

 「ん」

 ぽん、と頭に手を置いてクシャクシャ撫でてやると、ナオはやめろと手を振り払った。

 でもその手は、さっきよりずっと優しい。

 にししっ、と隣でニカが笑って、ナオが嫌な顔をする。

 俺とナナは揃って笑った。

 庭はまだ虹色で、暖炉の煙突はラメを吐き出し続ける。

 また庭に駆け出していく弟妹を見送って、俺はうーんと伸びをすると、朱色の球体にちょっと寄りかかった。浮いてる割に意外としっかり受け止めてくれたりする。

 ふしゅー、っと、ゆったり力を抜くように、ナナは息を吐いていた。

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