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夕方、私たちは解散して、それぞれの家路についた。
朋美ちゃんのリボンを見た時、思い出したことがある。
小学校の時に、私がハブにされた理由だ。
当時、私は、髪形をツインテールにしていた。
髪を結うリボンを新調した時、リーダー格の子のリボンと、色が被ってしまって、「真似っ子だ」とイチャモンをつけられたのが始めだった。
それがきっかけで、リボンをつけない、今のようなストレートの髪型に変えたんだった。
帰宅。あれ? 机の上にはコンビニ弁当が並んでいた。
「おお、帰ったか。おかえり」と、父が降りてきて言った。
「今日はどうしたの? 仕事終わるの早いじゃん」
「お母さんが風邪でな、ノー残業で帰ってきた」と、父は顎を引いて応えた。
「そうなの?! その……、お母さん、大丈夫?」
「今日はもう寝てる。本当に熱で苦しい時は、眠ることもできないからな。『寝てる』ってことは、もう大丈夫なんだろう」
今朝、家の中が不自然なほど「静か」に感じたのは、母の生活音が無かったからだったのだ。
それでも「行ってらっしゃい」と言ってくれた。起きていたんだ。もしかしたら、熱にうかされて眠れなかったのかもしれない。
どうしよう、お粥でも作ろうか?
そう言えば、お粥の作り方を教えてもらった頃は、反抗期なんて想像もつかないほど、母にべったりだったっけ。
どうして、いつから母への反抗心が芽生えたんだったか。それも、今日なら思い出せそうな気がした。
鍋に、ご飯と水をひたひたに入れて、火にかけた。
「今更こんなこと聞くのもアレだけど――」
「『アレ』ってなんだ」と、父はポカンとして言った。
「こんなこと聞くのも変だけどってこと! お父さんはなんで、その、お母さんと結婚したの? あんなヒステリック・マザー」
「こら、俺の前でお母さんの悪口を言うな。まぁ確かにヒステリックな面もあるけどなぁ。うーん。こんなこと言うのも『アレ』なんだが、良く、わからんなぁ」と、言葉を濁す。きっとわかってはいるのにはぐらかそうとしているのだ。恥ずかしいから。
「わかんないの?」と、先を促した。
「もういっそのこと、『アレ』な感じに言ってしまうが――」
「もう『アレ』って言うのやめて。うざったい」
「悪い。いっそのこと、知った風な感じに言ってしまうけど、結婚するなら『いつも一緒にいたい人』よりも、『いつも一緒にいれる人』の方が良いと思うぞ」
「本当に知った風なことを言うね」
「悪い。でも沙世が聞いてきたんじゃないか」
お鍋がぐつぐつしてきたので、弱火にした。
ちょうどケータイが震えた。メールだ。私がケータイを開くと、父は察してその場を離れた。
メールは朋美ちゃんからだった。
[今日は楽しかったね。私、はっきりしないこととかが苦手なんだけど、そんなことどうでも良くなっちゃった]
ん? なんだか文章の繋がりがおかしい気がする。なので[どゆこと?]と返信した。
[ずっと友達でいようってこと、かな]
余計わけがわからないって。
[それよりも、友達でいるためにも、これは言っておかないと、と思うんだけど]
何だろう?
[沙世ちゃんって、楢崎君のことが好きなんだよね]
は?! どゆこと? 私は伊坂君のことが……。でも確かに、今日のファミレスでは、楢崎とばっかり話していた気がする。
[愛と恋の違いってヤツかな]
父の言葉で言うなら「いつも一緒にいたい人」と「いつも一緒にいれる人」の違いということか。良くわからない。
言われてみれば、実際、楢崎とは「いつも一緒にいれる」と思う。
そうか、私は楢崎に対して、特別な感情を抱いているのか。
伊坂君に対する思いを、激しく滴り落ちる滝に例えるなら、楢崎に対する思いは、大きな河のようなもので、確実に私の中で波打っている。滝にずっと当たっていることは出来ないが、大河にはずっと浸かっていることが出来る。
いいや、やっぱり良くわからない。愛と恋の違いなんて、曖昧で、良くわからない。
ご飯の粒と粒が曖昧になって、溶けていく。お粥の完成だ。
「あちち」
鍋全体が熱の塊になって、蓋を閉めていても、近づけば熱を感じる。
「あ、グラタン……」と、私は思い出した。
母が昔、グラタンをレシピ本を見ながら手作りしてくれたことがある。器ごとオーブンで焼くから、食卓に出てきた時に「熱の塊」だと思った。
私は「凄い」、「美味しい」、「レストランみたい」と褒めちぎった。
それから、何度か作ってくれたのだが、そのうち、グラタンは食卓に出なくなった。
二度目以降のグラタンは、当然のように受け取って、当然のように食べただけだった。
そういうことか。二度目以降も母は頑張っていたのだから、ねぎらいの言葉一つ、かけてあげるべきだった。
私が母に反抗心を持ったのは、高校に入学してから少し経った頃だった。
高校入試のために、母の言う通りの塾に入って、頑張って、頑張って、そうして母の満足する高校に合格した。
それなのに、母は毎日口うるさくて、嫌いになったのだった。
私の高校生活は「二度目以降のグラタン」だ。
私は母にもっとねぎらいの言葉が欲しくって、でも、母からしたら、高校受験合格のお祝いで完結していたのだ。
私も母も「グラタン」以外のメニューを作らなければならなかった。
私も母も「二度目以降のグラタン」も褒めてあげなければいけなかった。
とりあえず、今度から「行ってきます」を言うようにしよう。
他愛無い「挨拶」のような基本的な会話から、関係を取り戻していこう。
懐かしい。伊坂君とも初めはそんな感じだったっけ。