エピローグ
いくら待っても返事はなかった。返事の代わりにあったのは何かが落ちるような物音。
何かおかしいと感じたユーリは、玄関のノブへと手を回し、
「開いてる……?」
イクトリア外周は中央に比べて田舎じみてはいるが、さすがに鍵を開けっ放しにできるほど安心できる場所でない。そしてその事は、小さい頃からここで一緒に育ってきたリンとソーニャも知っているはずだ。実際、彼女たちが鍵を開けっ放しにしていたことなど、ユーリの記憶上では一度としてない。
「リン? ソーニャ?」
玄関から家の中へ一歩踏みいると、そこには異常な光景が広がっていた。
「これ、は……」
家じゅう荒らされているのだ。まるで家の中で争いでもあったかのように物が散らばり、テーブルなどの一部の家具は完全に壊れてしまっている。
その中でも特に目を引いたのが、
血だ。
辺りに飛び散った血痕。
「――っ!」
ユーリの頭から一気に血の気が引いた。ここまでくれば疑いようはない、二人に何かがあったのだ。それも飛び切りよくない何かがあったのだ。
「リン! ソーニャ!」
どうか無事でいてくれ。
そう願っていると、再び聞こえてくる者音――音源は今ユーリが居る場所の近くから、おそらくリンの部屋からだろう。
慌てすぎて足がもつれ、転んでしまうほど狼狽しながらも彼はなんとかリンの部屋へとたどり着く。そして不安に高まる心臓を何とか抑えつつ、扉を開けると。
「~~~~~~~っ!」
ベッドには手を縛られ、轡をされたリンが首を振りながら必死に何かを叫んでいた。だがユーリは彼女の言葉を聞き取れない、それは轡が邪魔しているからではない。
あったからだ。
地面にうつ伏せに倒れ、小さな血の池を作っている少女が――大切な妹、ソーニャの死体があったからだ。
ユーリの意識はしばらく空白を刻む。
目の前の現実を受け入れられない、これが現実なのわからない。
崩壊しかけた彼の精神状態をまともに戻したのは、背後から感じた気配――明確な殺意だ。咄嗟に振り向きながら身を逸らすと、
「あぐっ!?」
右目に痛烈な痛みが走る。
「……っ」
思わず右目に手をやると、その手が赤く染まる――どうやら眼球ごと顔を斬られたらしい。それを成した人物を、ソーニャを殺しリンにこんなことを強いる目の前に立つ男を、ユーリは睨み付ける。
「そんなに睨みつけないでくれよ、なぁおい劣等種?」
剣を体の前で見せつけるかのようにビュンビュン振っているのは、デュオル軍の兵――それも魔法使いからなる部隊ではなく正規の兵士、いわゆる貴族というものだ。
「なんで、何でこんなことをするんですか!」
「命令だからだよ」
尋ねた質問に対し、貴族は顔を醜悪に歪めながら言う。
「グレイス閣下からの命令だよ。お前、二度も敵前逃亡したんだって? だからお前には罰を与えるのさ」
「なっ!?」
罰――リシアと共に魔王のもとへ向かう際に、グレイスが言った言葉が脳裏に浮かぶ。
『絶対に後悔させてやるからな』
グレイスはユーリがリシアと共にテレポートした後、まさしく有言実行したのだ。自分が言った事を現実にさせるための、ユーリの家へと彼の息がかかった兵を送り、二人を殺そうとした。しかし、リンに止めを刺そうとしている時に、ユーリが帰ってきたのだろう。それで全ての理屈はあうが、
「だからって!」
そんな事が許されるはずがない、許されていいはずがない――ユーリの自惚れでなければ、そんなことをすれば、リシアとルシアの二人に報告が行ってしまい、それなりの問題になるはずだ。
命令を出したグレイスも、それを実行したこの貴族もマイナスこそあるものに、決しプラスになることなどない。其れともグレイスとこの貴族は、それもわからないほどバカなのだろうか。
「おい、劣等種。お前さ、リシアとルシアに助けてもらえるとか思ってるだろ?」
グレイス閣下が言った通りだな。と、笑いながら言う貴族の口調に感じる違和感――どうして、こいつはリシアとルシアを呼び捨てにして、グレイスを閣下と呼ぶのだろう。
「安心しろ、この国はもうすぐグレイス閣下の……いや、グレイス陛下のものになる。ルシアはとっくの昔に拘束したという連絡を受けたし、ルシアを人質にすればリシアも同じ運命をたどる」
貴族は薄気味悪い笑顔を浮かべる。
「全く、魔王がイクトリアをメチャクチャにしてくれたおかげで、俺たちグレイス派がつけいる隙ができたよ。はっ、魔王に感謝したぐらいだな」
目の前の男が言っていることが本当なら、グレイスとその直属の配下たちは、長年機を狙ってクーデターを起こす準備をしていたことになる。
リシアとルシアが必死に国を守ってきたのを容易く裏切るその行為を、ソーニャを殺したという非道を許すわけには行かない――いずれにしろ、今ここでこいつだけは確実に倒さなければ、リンの命が危ない。
「そんなこと、させるか!」
右目の痛みを必至に抑えてユーリは飛び出すが、
「――っ」
貴族が右手に持った筒状の小さなスイッチを押すとともに、ユーリの体中に電撃が流れる。電撃の発生原はユーリの首についた首輪、魔法使いが魔力のない人間に抗えない絶対の証。
「くく、ははははははっ!」
耳障りな音を聞きながら、ユーリは自由が効かなくなった体を支えるように壁へと倒れこむ。
体は痙攣するばかりで一向に動こうとしてくれない。
「今からお前の幼馴染も殺してやるから、待ってろや」
「っ!」
ソーニャに続いて、リンも――そんなのは絶対に嫌だ。
動け、動いてくれ。
「あぁ?」
どれほどの意思と力を込めても、ユーリの体はまるで進まない。そんな彼の姿が滑稽に映ったのか、貴族は「ふはっ」と意地の悪い笑みを浮かべて、
「ほーら、ちょっと待ってろよ」
リンの髪を掴んで持ち上げる。
「~~~~っ」
「リ、ン――」
幼馴染のくぐもった声が、おそらくユーリに助けを求める声を聞こえるが、何もできない。どうしても体が動かない、立ち上がれない。
「はい、さようなら」
貴族は剣をリンの首に当てると、
「やめろぉおおおおおおおおっ!」
リンの首は呆気なく首が胴体から分離した。
助けを呼ぶ声はもう聞こえない。
「……あ」
自分が守りたいと思っていた人たちは、どちらも物言わぬ体になってしまった。
「なんで」
自分はデュオルのために働いたのに、どうしてこんなことになったのだろう――全てに裏切られた気がする。疑問ばかりが浮かぶ。
何で、
何で。
何で?
何で!
「お前も見つけたら殺せって言われてるから、殺させてもらうな?」
血に赤く濡れた剣が近づいてくる――ソーニャを殺して、リンを殺した剣が近づいてくる。だけどユーリには何も出来ない、まだ体が動かないから。
そもそも、
「……もういいや」
何をしても意味はない。
大切な者はもういない、頑張る意味はない。二人の死はイコール……ふと思う。ユーリにとって大切な者とは、ソーニャとリンだけだったのか。
「死ね」
剣が振り降ろされる。
脳裏に金色に揺れる髪を持つ、混血の女の子が浮かぶ。
「僕は……っ!」
彼女を助ける。
そこからほぼ無意識だった。
「お前まだ動け――っ」
振り降ろされる剣の刃先目がけて必死に手を伸ばし、魔法を発動させる。
「かっ」
「…………」
相手の時間が静止したかのように、貴族はその動きを完全い止める。ユーリは剣から手を離さない様に注意しながら、未だ痺れの残る体に鞭打って立ち上がる。
「リンとソーニャは守れなかった。ようやくわかりました」
右手を貴族の首にかけ、思い切り閉める。
「か、かっ!?」
「僕が間違っていたんだ、僕のせいで二人は死んだ」
ユーリの残された左目――魔眼に、まさしく魔が宿ったかのような暗い感情が見え隠れする。
「リシアだけは絶対に守る、何があっても守る。でもそれじゃあ前と同じだ、言ってるだけじゃ何も始まらない。昔の僕はだから間違えた。
この国を中から変えるために軍に入る……あは、あはははははははっ! そこから間違えてたんだよ、僕は!」
魔法の効力で貴族の全ては固定されているにも関わらず、ユーリの鬼気迫る表情を見て――まるでかつて物語の中で聞かされた魔王の様な笑みを見て、その眼を恐怖に染める。
「ラグナ、君が正しかった。行動しないと駄目なんだ、皆、殺して……殺さなきゃ! 魔力を持っているとか持っていないとか、そんなの関係ない。人としての心を――優しさを持っているかいないか、それが大事なんだ!
心がないあなたみたいな奴を、グレイスみたいな化物を、一人残らずこの世界から殺しつくす。そうすれば優しい世界が出来上がる、みんな幸せに暮らせる世界が!」
ふっとユーリは表情から感情の火を消し、淀んだ瞳で貴族を見つめる。
「さぁ、まずは一人目です。よりよい世界のために、死んでください」
手に力を込める、貴族の命の炎がどんどん弱くなっていくのが、ユーリには堪らなく楽しく感じた――もう少し、もう少し。どんどん力を強くしていったその時、
「……にぃ、だめ」
「っ!」
ユーリは手の力を抜き、倒れながら意識を失う貴族を完全に無視して、声が聞こえた方へと駆けよる。
「ソーニャ!」
「にぃ」
小さくて弱々しい体。自分が守れなかった幼い存在を抱き寄せると、確かにまだ命を感じる事が出来た。ユーリは泣きながら何度も妹の名を呼び、彼女を抱きしめる。しかし、ソーニャはもうあらゆる感覚が曖昧なのか、まるで夢の中に居るかのように話かけてくる――おそらく彼女はもう長くはない。だからこそ、ユーリはソーニャの言葉を自分に刻みつけようと、心を澄ます。
「にぃ……手」
「…………」
宙を彷徨うかのような弱々しい手をしっかりつかみユーリは、心の中で何度もごめんと繰り返す。こうなったのは全て自分の甘さが原因なのだから、最初から敵を皆殺しにしておけば全て上手く行った。差別主義の奴らを全員殺せば世界は――、
「ソーニャは、優しいにぃが……好きだ」
「っ」
そうして彼女の手から何かが『移動』してくるのを感じる――それはユーリの物と対極に位置する質を持った魔力。そして、
「ぐぅ、がぁあああああああああああああああああああああああああっ!?」
突如走った右眼の痛み。
何かが出ていく感覚。
新たな何かが収まる感覚。
「っ――ソーニャ、何をしたの? ねぇ、ソーニャ!」
「……………」
ユーリの質問に対する答えは、返ってくることがなかった。
▲▲▲
「ルシア、大丈夫ですの?」
空が美しい黄昏に染まる時間、リシアはイクトリア中央広場にて処刑を待っていた――他の誰でもない、彼女自信の処刑を。
「我は大丈夫じゃ」
一本の太い棒に一緒に縛られているのは妹のルシア――数時間前まではこの国の女王だった少女だ。彼女は縛られているにも関わらず、王位を半ば剥奪されたのにも関わらず、毅然とした態度でこの状況を招いた敵を睨み付けている。
「そんなに睨まいでもらいたいですな、女王陛下……いえ、『元』でしたか」
「っ……グレイス」
二人の周囲を兵が囲み、そのさらに周囲には同情、敵意、好奇心の全てが入り混じった瞳を輝かす多くの見物人がこちらを見ている――敵意を向けているのは大半がルシアこそが魔法使い差別の元凶だと、勘違いしている者たちだろう。
実際にはルシアを殺しても何も変わらないというのに、差別の元凶は間違いなくグレイスなのだから。そんなグレイスは多くの人に自慢気な笑顔を振りまきながら、
「それでは処刑を始める!」
「っ……」
ユーリと別れた後、イクトリア中央に戻ったリシアは、グレイスにルシアを人質にとられ、訳の分からないまま拘束された。
こうして処刑を待っている間にルシアから聞かされた話によると、グレイスはクーデターを起こして自分が国のトップに立つつもりらしい。彼などが国の頂点に立てば、リシアとルシアというストッパーが居なくなり、魔法使い達は今よりも酷い境遇に落とされかねない――それこそ、下手をすれば皆殺しにされてしまうかもしれない。
「構え!」
だが何を思おうと今更だ。
グレイスの指示により、周りに居た兵士が一斉に銃を向けてくる。
「ルシア……」
「姉さまっ」
二人は縛られながらも必死に互いの手を手繰り寄せ、優しく掴みあう。
リシアはぎゅっと目を瞑りながら、せめてルシアだけでも助けたいと願うが、
「撃てぇ!」
その願いが効き遂げられることはなく、辺りに銃声が響き渡った。
しかし、
「……?」
いくら経っても衝撃すら訪れない状況を不信に思い、リシアが恐る恐る眼を開くと、そこには信じられない光景が広がっていた。
「――っ、止まってる?」
そう、放たれた数多の銃弾は二人を射抜くことなく、その全てが着弾間際で空中に止まっていたのだ。
まるで『固定』されたかのように。
「なんだ、これは!?」
そして、グレイスの怒声に応じるかのように見物人を押し退け、兵士たちが見守る中リシアとルシアを目指し、ゆっくりと歩いてくる少年の姿があった。
●●●
時は夕暮れ、場所はイクトリア中央広場に作られた処刑場。その中心では二人の少女が一本の棒にくくりつけられ、今まさに銃殺されるところだった。
「させない」
ユーリは魔法を使って放たれた全ての銃弾を、彼女たちに着弾する前に固定する。もちろん銃弾に触れることなく、ただ認識するだけで。
「なんだ、これは!?」
今この状況を作り出している奴を排除すれば、全てが解決する。そう考えたユーリは聞こえてきたグレイスの声に苦笑を浮かべながら前へと進む。
処刑という不穏なものとは対照的な美しい夕焼けの下、恐怖と不安に彩られた大勢の人を躱し、華やかなレンガ道を堂々と歩く。
「っ、お前は何故……いや、そんなことはいい。何をしている! 撃て、反逆者だ!」
ようやくユーリの存在に気が付いたグレイスは、彼が持つ兵士全員に命令を出し、次に数多の銃弾を浴びせる対象を指示する――すると、今までリシアたちから少し距離を取り、二人を囲むように半円を描いていた兵士たちは一斉にユーリへと銃口を向け――、
「射抜け……」
背後から手足を撃ち抜かれ、全員が地面に倒れ伏す――彼ら自身が、先ほどリシアたちに放った銃弾によって。
「!?」
その光景を見て誰もが息を呑む――能力のわからない未知の魔法を操る少年に。圧倒的な力で兵士を倒した少年に。そして、その少年が放つ圧倒的な怨嗟と憎悪に。
「何を茫然としている、続け! 撃つのをやめるな!」
グレイスの一喝で、今まで茫然としていた兵士たちが、わらわらとまるで蟻の様にどこからか溢れ出してくる。
「無駄ですよ」
向けられる銃口、放たれる銃弾。先ほどの倍をゆうに超えるそれらは、ユーリに着弾する直前にまたしても完全に止まる。止まった銃弾はそこからくるりと半分周り、弾頭を、己を放った主人の方へ向け、
「醜い化物が、僕と同じ視線に立たないでください……腹立たしい」
ユーリの冷たい一言とも共に、兵士たちは地に伏せる他の仲間たちと同様に足を射抜かれる。彼らはさぞ苦しいのか、地面に爪を立てながら「うぅ」ともがいている。しかしユーリには彼らの痛みが理解できない――むしろ、どうして痛みを感じるかわからない。
人を平気で殺そうとする奴らに、痛みを感じる感覚などないはずなのだから。痛みを感じる感覚さえあるのならば、人を殺そうとするはずがないのだから。
だから殺さない――だからユーリは誰一人殺さない、傷つけることはしても……例え相手が心のない化物だとしても一応人間である以上殺しだけはしない。
「…………」
憎悪と怨嗟で研ぎ澄ました怒りの剣を振るうのは構わないが、それを収める優しさという名の鞘を持たなければならない。
ソーニャは死ぬ間際に、ユーリには優しくあって欲しいと言った――本来なら化物など殺してやりたい、立ち塞がる奴は皆殺しにしてやりたいが、愛する妹がそう願うのならば例え相手が痛みを感じな化物であっても殺しはしない。
きっと殺してしまえば自分も同じ化物になってしまう、決して化物になりたくないと思っているわけではない。もうこうなった以上、自分がどんな存在になっても気にはしないが、、妹の願いは叶えてあげたい。だからユーリは憎悪と怨嗟に塗れた心の中心に僅かな優しさを置く。
「…………」
ユーリは再度ソーニャの言葉を思い出しながら、自分が今倒すべき敵の元まで歩いて行く――数多の兵士のうめき声を背景に、立ち込める血と硝煙の匂いを嗅ぎながら、緊張で張りつめた見物人たちの視線に送られて。
「ユーリ!」
己の名前を呼ぶ少女を、この世にただ一人の残った守りたいと思う少女を一瞥し、ユーリは息を吐く――彼女が無事だった事で生じた安堵の溜息を。
その様子に、そして顔の右半分に右眼を両断した大きな傷がある事に気が付いたのか、リシアは息を呑み、それ以上話しかけてはこなかった。それに今は彼女と話している時ではない。、見つめるべきはリシアではなく、
「グレイス……あなたを、潰す」
ユーリが静かに吠えるとグレイスは、劣等種の分際で誰を呼び捨てにしているだのと、どうでもいい事を叫んで来る。この状況においてそんなことしか言えないとは、彼に生きている価値はないように感じられる。
殺したいな。
唯一残った左目を細め、ユーリは今だ喚き散らすグレイスを見る。
「素直に銃殺されておけばよかったものを! 私にここまで恥をかかせて……貴様はただでは死なせないそ、屑が!」
言って筒状のスイッチを取り出すグレイス。
形状から考えてあれはユーリの首についている首輪を発動させ、体に電撃を流させるための発信器だろう。さきほど実家で兵士から同じことをされたので、すぐに反応する事が出来た。
「ふぅ……」
ユーリが溜息を吐きながら首を傾げると、グレイスはそれ以上動かなくなる。そして彼が右手を差し出すと、グレイスの手に握られていたスイッチが一人で宙を飛んでやってくる。
「――っ!?」
しっかりとユーリの手に握られたスイッチを見てグレイスは、
「何か言いたそうですね? いいですよ、顔は動くようにしてあげます」
と、全身から余裕を醸し出した態度で魔法をコントロールする。
「っ――貴様! な、なんだこれは!? 何をしている!」
「どうしたんですか、そんなに怯えた声を出して。せっかく話せるようにしてあげたのに、言いたい事はそれだけですか?」
「だ、誰が貴様の様な劣等種に――っ」
うるさい。
「もう喋らなくて結構です」
ユーリはもうこれ以上の寛大さは必要ないだろうと言うかのように、盛大な溜息を吐いて再度グレイスを喋れなくする。しかし、彼を殺すことが出来ない以上、これだけでは納まりが付かない。だから、
「僕の魔法を知りたいんですよね? いいですよ、教えてあげます」
グレイスの圧倒的な有利を突き崩した未知の魔法――ユーリが持っている『浸食固定』とは明らかに異なる力。
それが聞きたいのだろう?
ユーリは笑いながら歩く、グレイスにこれから死を告げる死神の様に……いずれ、世界に崩壊を招く新たなる魔王の様に。
「僕は貰ったんですよ、あなたの命令で死んだソーニャから」
そして彼は目を開く。妹が死に際に自身の魔法『浸食移動』で、魔力と共にユーリへと移動させた新たなる右目を。
「――っ」
黄金の両眼、けれど開かれた右眼は白目の部分が真っ赤に――まるで泣いているかのようにに赤く染まっていた。そんな歪な魔眼を両目に、体内に異なる二つの魔力を宿したユーリの魔法は、もはや『浸食固定』でも『浸食移動』でもない。
「認識しているあらゆるものの動きを支配、コントロールする。それが僕の魔法『浸食支配』」
「あなたのおかげで手に入れた力です……お礼を言った方がいいですかね? それとも、あなたにも痛みを……教えて……」
「~~~~っ!」
ユーリは痛みを味あわせるようにグレイスから右眼を抉り出し、持ち主に似合わないほどキラキラ美しいそれを手で転がして遊ぶ。
「痛みを感じますか? それとも感じませんか?」
「~~~~!」
グレイスは何も反応しない……否、魔法のせいで出来ないのだが。
「酷いな、何か言ってくださいよ」
さて、グレイスを痛めつけるのはこの辺りでいいだろう。本当ならば何度殺しても足りないくらいなのだが、それをするとソーニャが悲しむ。それにリンもそんな自分は見たくないだろう。
「――くっ」
魔法が強力に成った分、魔法使い二人分の魔力を内包するユーリですら長期間『浸食支配』を使用するのは困難なのか、軽いめまいに襲われる。
魔力が付きて魔法が使用不可能になる前にグレイスを行動不能にしておこうと、彼はその辺りの兵士から銃をもぎ取り、グレイスの両足に二発ずつ、計四発の銃弾を叩き込む。
「~~~~~っ!」
「あはっ、そんな恨めしそうな顔をしないで下さいよ、殺したくなるじゃないですか」
ユーリがは発動させていた魔法を解除し、グレイスが悶絶しながら地面に倒れこむのを横目で満足そうに見下ろしながら、リシアたちのもとへと歩いて行く。
「二人とも、大丈夫? 今ほどくから」
二人は問いかけに応じつつ、何とも言えない目線を向けてくる。やがてリシアは意を決したのか、
「ユーリ、いったい何がありましたの? ソーニャさんが死んだって……いったいどういうことですの? それにあなたの目は――」
「大丈夫、大丈夫だよリシア。僕は何ともない、もう全部解決したから。君を苦しめる奴らはもういない、仮に居たとしてもまた僕が潰す」
「わたくしは……」
リシアは心配そうな面持ちで話を続けようとするが、壊れそうなほど危うい笑顔を向けてくるユーリに遮られる。
「リシア、それにルシア……お願いがあるんだ。別に拒んでもくれても構わない。でも出来る事なら、どうか」
叶えて欲しい。
そしてユーリは二人を自由へと解放するのだった。
▲▲▲
「本当にいいんですの?」
「うむ、どう考えても我より姉さまの方が適任なのじゃ。それに昔からの約束を姉さまは裏切るのか?」
「そんな言い方は卑怯ですわ」
広場での一件の後、グレイスとそれに恭順するものたちを、ユーリに言われるままにキマイラで国外追放してから数時間がたった。
辺りがすっかり暗闇に包まれる中、リシアたち三人は中央広場が見渡せる宮殿のバルコニーへと立っていた。
リシアは左隣で幸せそうな笑顔を浮かべ、自分を見上げている妹を見たのち、右隣で世界を冷たく睥睨している少年を見る――ユーリ、わたくしは。
あの時、ユーリが願った事とは、
『僕は世界を変えたい。行動しないとダメだとわかったんだ……そうしないと大切なものは何もかも零れ落ちていく、何一つ守れない。だからどうか――』
『首輪を外してくれ』
『全てはそれから始まる』
ユーリはそう言った。
魔法使いにかかっている首輪を外し、全ての『人間』が平等な世界を作る。そして、優しい世界を作るために『人間』同士協力していきたい。
そんなこと、出来るわけありませんわ。
正直な感想がそれだった。
魔法使いの首輪を外せば、どの様なことが起こるかわからない。今まで差別されてきた恨みが爆発し、少なくとも国中がパニックに陥るかもしれない。しかし、まだ会って間もないと言うのに、ユーリが言うとそれは実現可能だと思える。
命を助けられたからだろうか? 生まれて初めて出来た同年代の友達だからだろうか?
リシアが盲目的になっているだけかもしれないが、どうしようもなく彼を信じてみたい気持ちになる。
魔力を持つ者と、持たない者は相容れない。
そんな定説を彼と共に打ち砕いてみたくなる――自分を生んでくれた両親の様に。
心はもう決まっている。
ただ少し怖いだけだ。でも、
「頑張って」
ユーリの声に背中を押されてリシアは、
「わたくしの名前はリシア・デュオル。前女王であるルシアから正式に位を譲り受けた、この国の新しき女王ですわ」
魔力を持つ者と、持たざる者を従えて混血の女王は広場を埋め尽くす民衆に……ひいては画面を通して国中に居るであろう全ての『人間』に語り掛ける――右手にデュオルに存在する全ての魔法使い、その首輪を外すためのマスターコードが収められたスイッチを握りしめ、彼女は話す。
この国を、この世界を真の平和へと導くために。
「わたくしは」
だんだんと心惹かれ始めている少年と、その光景を見るために。
「わたくしたちは――」
次で最終話になると思います