第四章
眩い銀色の光包まれたかと思うと、次第に辺りの風景が変わっていき、気が付けば、
「ようやく来たか、屑どもが!」
目の前にクマの様な禿げ――血管を浮かべてさぞ機嫌の悪そうなグレイスが立っていた。ユーリとリシアはほぼノータイムで来たにも関わらず、ようやく来たかと罵声を吐く彼にはうんざりするが、そうも言っている場合ではない。
「これはっ」
ユーリたちがテレポートした場所は、女王陛下が住まう宮殿の正門前だ。言わばこの国の最終防衛ラインと言っても過言ではない。しかし、
「本当に辺り一面、魔物だらけですわね」
「だから電話で言っただろうが、この屑め! 貴様らもさっさとこの私の指揮下に入って戦え! リシア、貴様は卑しい血筋とはいえ仮にも中将。その力を見せてみろ」
「っ――ほんっとうに一言余計なじじいですわね」
「なんだと貴様! 劣等種の分際で――」
と、その瞬間グレイスの背後から襲い掛かってきたグリズリーの化物のような魔物。
まずい。
2人が咄嗟にグレイスを助けようと走り出すと、
「劣等種の分際で……リシア、貴様は私に何という口をきいている!」
音速を超えているのではないかというほどの速度。まさしく人体に眠る力を最高まで引き出したかと思えるグレイスの肘撃ちが魔物を木端微塵に吹き飛ばす。
「っ!」
グレイス。
ただの小うるさい木偶の坊かと思っていたが、ユーリは認識を改めざるを得なかった――これがデュオル軍 大将グレイスの力。文字通り圧倒的だ、中将であるリシアも凄まじかったが、彼の力はそんなものを軽く凌駕している。
見るからに軽く撃った一撃にもかかわらず、あの速度と威力の攻撃。
「…………」
この人が本気を出したら、いったいどれだけ。この人が味方で、
「何を見ている、屑が!」
やはりこんな味方は嫌だと思い直すユーリであった。
「行くぞ、屑ども! 足手まといになるなよ!」
「ふんっ――準備はよくて? ユーリ!」
「はい!」
戦いの場所は宮殿前、ユーリとリシア、そしてグレイスによる最初で最後の共闘がこうして幕を開ける。
襲ってくる魔物は大まかに見て三タイプ攻撃型、防御型、そして速度型だ。一人だけで戦っていたならば、いくら歴戦のグレイスでも手間取っていたであろうその相手を、
「行きましたわよ!」
「言われなくてもわかっている! とめておけ、劣等種!」
リシアがキマイラによる二種類の銃弾で敵を追い込み、時には直接移動させる。
そして目的の場所、すなわちグレイスの前まで移動させた敵は、彼が全力の力を溜めるまで、
「わかりました――『浸食固定』っ!」
ユーリがその場に固定する。
「いいぞ、離れろ……はぁあああああああああああああああああああああああああああっ!」
気合い一閃。
全身の筋肉を躍動させ、上半身を一つの砲台の様にして撃ちだす鉄拳の一撃は対象の魔物だけでなく、風圧によって地面と共に周囲を抉りながら突き進む。
「相変わらずのバカ威力ですわね」
「貴様、誰がバカだ!」
「褒めていますの、よ!」
リシアもリシアで会話をしながら舞い上がるようにして空中に躱したかと思うと、自分のこめかみに銃口を向け、
「終わりですわ」
瞬時に相手の背後へ移動、その心臓を速射によって的確に射抜く。
リシアもグレイスも圧倒的に強い。単体で戦っても魔物など相手にならないほど強いのに、二人そろえば大抵の魔物は瞬殺できる。
「ふっ!」
一方のユーリも二人ほどではないが負けてはいない。
突進してくる敵を紙一重で躱し、その脇を片手で軽く触り魔法を発動。その時点で完全に停止してしまった相手の急所を技術など関係なくただ殴り、殴り、殴り続ける。
一発一発は魔物にとって大したダメージでないが、
「どうだ!」
積み重ねれば小型の魔物なら確実に命を奪う事くらいは出来る――多少の体力と引き換えに、実に相手を倒す。
彼らだけではない。
この場に居る仲間の魔法使い、貴族と呼ばれる普通の人間たち。その誰もが全力で、時にはユーリ以上の力を振るって戦っている。それでも、
「少し、きついですわね」
それでも圧倒的な人数差は覆せない。圧倒的な統制力の高さはどうにもならない。
どちらか一方でも崩れれば、どうにかなるのだろう。どちらかさえ崩れれば瞬時に攻守を逆転させることすらできるギリギリの戦い。
故にこのままではまずい。
「このままでは押し切られますわ! グレイス、何か考えはありませんの!?」
「黙れ、卑しい混血が! 押し切られなどせんわ! 負けることを考えるなど、恥を知れ!」
「っ――話になりませんわね!」
言い争いながらも次々と敵を仕留めていく二人。だが魔物の数は一向に減らない、むしろ増えているようにさえ思える。
「おかしい」
あの時と同じだ。
初めて魔王と相対したあの時と。
「考えろ」
前回と同じ作戦なのだとしたら、そもそも魔王とその配下アリスは何と言っていた?
覚えている――目的は達成した。魔法使いは敵ではない。
そう言っていた。別の意味に捕えるならば、前回の戦いは人間を殺すことこそが目的だった?
「違う」
ユーリは考えをまとめる、頭の中に散らばるピースを集める。
「っ!」
そうか、魔王の目的は極論――時間稼ぎ。
魔王は召喚した魔物とデュオルの兵を戦わせることにより、戦力が減る事を狙っていたのだろう。つまり前回の戦いの目的は、イクトリア中央に存在する兵をなるべく外周へ引き出し、中央付近の警備を手薄にすること。
おそらくその隙に魔王は大胆にもイクトリア中央へと潜伏したのだと考えられる。次に行うことは簡単だ――どこか広い場所に隠れながら、戦力が整うまで魔物を召喚し続ける。
そして今に至るのだ。
「グレイス閣下、今です!」
「黙れ劣等種が!」
ユーリは戦いつつも、考えることも決してやめない。
ならば今回の目的は何だ――そこまでして戦略を練る奴が魔物による中央襲撃などで終わるだろうか?
彼の脳裏に過るのは知性と自信、そして凶暴性を内包した黒髪の少年、魔王の姿。
「ありえない、彼はそんな単純そうな人には見えなかった」
そこでふと気が付く。
魔法使いとして真なる魔眼を持ち、外周から瞬時に移動してきた彼だから気が付けたこと。
「赤い?」
視界がわずかに、言われても気が付かないほどごくわずかに、赤く染まっている気がしたのだ。ユーリはその血の様に赤い鮮やかさに見覚えがあった。
「アリスが持つ魔力の色――まさかっ!」
「どうしましたの?」
ユーリの声に反応し、近くに居たリシアが応戦しつつ、傍へとやってくる。
「まだ確信はないんだけど、魔王の目的はイクトリア中央を陥落させることじゃないと思うんだ」
「それは、どういう……」
「ハッキリとは言えない、でも前回の戦いを踏まえると、魔王がそんな単純な手を打ってくるとは思えない。だから」
ここに来る時とは逆に、ユーリの方からリシアへと手を伸ばす。
「一緒にイクトリア中央、その上空へテレポートして欲しいんだ」
「上空へテレポート、それで何かがわかりますの? ……いえ、愚門でしたわね」
この短い期間にも関わらず、二人の間に出来ている信頼関係はいちいち理由を聞かなければ行動出来ないほど、軽く細いものではなかった。
リシアはふっと笑い、差し出されたユーリの手を力強く掴む。
「では、行きますわよ」
ユーリはやってくるであろう浮遊感に眼を瞑り、覚悟を決め――
「どこに行く気だ!」
辺りに響く戦いの音を消し去る程のグレイスの怒声。
彼は寄ってくる魔物を瞬時に粉砕しながらも、リシアとユーリに眼を向けている。絶対にこの場から逃げる事は許さない――そう言いたげなプレッシャーを放ちながら。
「わたくしたちは――っ」
「黙れ、劣等種が! 敵前逃亡するとは恥を知れ!」
ユーリはグレイスに対する苛立ちを隠しきれなかった。
彼はここまで強いのに、デュオルの大将という立場であるのに、どうして相手を理解し、優しさを持って触れる事が出来ないのだろうか。
ユーリの勘が正しければ、今は一分一秒を争うほど危険な局面だ。それなのにこちらの言い分も聞かずに、自分の言いたい事は喚き散らしてばかり。
器が小さい。
今だけではない、人間は話せば理解しあえるというのに、グレイスはそれすらしない。
「リシア、行こう」
「ユーリ? しかしグレイスを説き伏せなければ――」
「時間が経てば圧倒的に僕たちが不利になる状況なんだ、下手をすれば致命的な事が起きるかもしれない。僕とリシアだけじゃない、僕たちの大切な人たちも巻き込んだ何かが」
「……ルシア」
「うん、だから行こう」
その言葉にリシアはキュッと手を握って頷いてくれる。
「どこへ行く気だ、劣等種! 特に貴様だ、魔法使い――また逃げるつもりか!」
「僕は逃げるんじゃない、あの時も一度も逃げてなんかいません!」
リシアが引き金を引き体が銀色の魔力光に包まれる。
視界変わり、浮遊感を得だす直前、グレイスが最後に放った言葉が聞こえてくる。
「絶対に後悔させてやるからな」
「…………」
それは何故か、妙にユーリの耳へと残るのだった。その理由について考える間もなく、激しく襲ってくる浮遊感に、彼の思考は塗りつぶされる。
「酷いっ」
手を繋ぎながらイクトリア上空を泳ぐように落下している二人。
彼らの視界から見える今のイクトリアは、とても王都とは思えない惨憺たる有様だった――至るところから黒く不穏な煙があがり、同時に毒々しく真っ赤な炎が様々なものを焼いている。
地面に居る兵たちが点程度にしか見えないこの上空にあっても、怨嗟と絶望を孕む戦いの音が聞こえてくるようだ。
「リシア、一刻も早く戦いを止めよう」
「期待していますわよ、ユーリ。そのためにここまで来たのですから」
「わかってる。絶対に僕が魔王の居る場所を見つける……そして」
今度こそ倒して見せる。
眼を開くのが厄介なほどの風圧を感じつつ、彼はしっかりと眼下に広がる戦場を見渡す。炎により色付けされた戦場――だがそれは本当に炎によって色付けされたのだろうか?
至る所から火の手が上がれば、戦場は赤く染まる。だが、
「火の手がないところも赤く染まってる」
そう、イクトリア中央のほぼ無傷なヵ所ですら赤く染まっているのだ―――それ以前に炎に照らされれば赤ではなく、オレンジに近い色になるはず。仮に炎により照らされたのだとしても、その赤は逆に薄すぎる。
「この赤い光があの黒騎士の魔力光なら」
眼をこらさなければわからない魔力光の赤を、炎によるオレンジで隠している。
それが今回の襲撃の本当の目的。
「そこに魔物の大量投入によって兵の気を紛らわせ、時間稼ぎも同時にしているとするなら」
隠そうとしている魔力光。
時間稼ぎ。
戦線に参加しない魔王。
これら三つの要素から見えてくる真実は、たった一つしかない。
「リシア、魔王は何らかの大規模な魔法を使おうとしてる」
「大規模魔法?」
「魔法陣って聞いた事あるでしょ? 魔法使いは特定環境下でのみ、自らの魔力を魔法陣に大量に注ぎ込むことによって、通常とは威力も範囲も桁違いの圧倒的な魔法を使えるんだ」
「魔法国家ネフィクス――別名反逆国家で三年前に開発された技術ですわよね?」
魔法使いであるならば誰でも使えるが、発動には通常の何倍もの溜め時間と、常人ではショック死してしまうほどの魔力を吸い取られる欠陥品。それが一般的に知られている魔法陣の正体だが、
「それを使っているといいますの?」
リシアは再度キマイラでテレポート魔法を使い、高度を稼ぎながら言う。
「うん、魔眼を持たないリシアには見えないかもしれないけど、この高さからなら僕はハッキリわかる――炎で上手く隠されているけど、イクトリア中央を覆うように放たれてる真紅の魔力光。これほど巨大な魔力光を放つには、例えどんな魔力を持っていても、放出する場所が魔眼だけなら出せない」
「なるほどですわ、つまり」
「うん、つまり魔法陣を展開している以外には考えられない」
そして魔法陣を使える特定環境下とは広い場所に他ならない。ユーリのその思考を読んだかのようにリシアが後を続ける。
「それほど大きな魔力光を放出しているとなると、魔法陣の大きさは相当なものですわ。このイクトリア中央でそれほどのスペースが確保出来て、人に見つからない場所」
「至る所から出現した魔物の存在を合わせて考えるなら」
魔王が居る場所は、
「「地下浄水施設!」」
そこ以外に考えられない。
「リシア!」
「わかっていますわ、飛びますわよ!」
二人は確信と共に、再度飛ぶ。
魔王との最後の戦いが待っている場所、王都イクトリア地下浄水施設へ向けて。
●●●
ユーリは絶対に叶えたい願いを持っている。大切な妹と幼馴染、二人のためにこの国の在り方を変える。魔法使いへの差別をなくして、誰も傷つかいない優しい世界を作る。二人にはその中で生きて欲しい。
だが例え絶対に叶えたい願いがあるからといって、暴力に訴えるつもりはない。だからユーリは軍に入って、中からかゆっくりと平和的に国を変えていく事を願った。結果的にユーリはまだ何も出来ていない。
それでも、魔王の強引に行動に移す様なやり方は絶対に間違っている――魔王の目的が何なのかはわからないが、暴力で変えた世界に優しさはない。
「この先、みたいですわね」
二人が今居るのは地下浄水施設の中央――イクトリア全ての水が集まる場所へと続く、暗く大きく不気味な通路。
リシアの言う通り、進むにつれて肌で感じられるほど濃密な魔力が渦巻いてきているのがわかる。魔法使いでもなく兵士でもない、ただの一般人が来たのなら、とっくに気を失ってもおかしくない異常な怨嗟の胎動。
「うん。とりあえず優先順位としては、魔物を召喚していると思われる黒騎士を止める。出来れば行動不能にして、魔王を二人で狙い撃つ」
「その作戦には賛成ですわ。でも魔王の魔法『絶対勝利』に勝つ手段はありますの?」
何が起きても絶対に勝つ能力。
「多分勝てる、きっと魔王は――」
「次に邪魔したら……殺す。言った、はず」
「ユーリ!」
リシアはグレイスも目を向く超スピードを持ってキマイラを引き抜き、銃撃。放たれた魔弾はユーリの脇腹へと着弾し、彼の居場所をリシアの背後へとテレポートさせる。
「ラグナの邪魔は、させない……絶対に」
ユーリが先ほどまで居た場所に振り降ろされ、コンクリートを木端微塵に粉砕する漆黒の大剣。常人では満足に扱えないような剣の主は銀色の髪を持つ黒騎士、真紅の魔眼を有する魔王だけの騎士。
「アリス……あなたがここに居るってことは、やっぱり」
「お前に名前を教えた覚えは、ない……だから、死んで?」
アリスは漆黒の騎士甲冑を鳴らしながら、大剣を真っ直ぐこちらに向けてくる。ここで見つかるのは想定外ではあったが、彼女がここにいる以上は魔物の召喚は一旦止まっていると見える。だったらここは――
「ユーリ! 魔王に勝てる手段が見つかっているなら、あなただけ先にいきなさいな!」
「なっ、何でですか!? ここは二人でアリスを倒した方が」
ユーリの言葉の続きは、かつてないほど追いつめられたかのようなリシアの声に封殺される。
「わかりませんの!? 目の前の少女は狂っていますわ……強すぎる。例えグレイスと三人で組んで戦ったとしても、勝てるどうか……」
おそらくそれは長年中将として戦ってきたリシアだからこそ、アリスと同じく強者の位置に立つからこそわかる戦力差。
二人で戦ったら、どちらも殺される。
そう考えているからこそ、リシアはユーリに先に行けと言っているのだろう――その理屈はわかる。どうしようもなく正しいその理屈をわかりはするのだが、
「一人だけ置いていけるわけがない!」
短い付き合いとはいえ、ユーリに取ってリシアは既にリンたちと同じくらい大事な人なのだ。そしておそらくそれはリシアにとっても同じなのだろうが、彼女はユーリが安心するような笑みで微笑み。
「わたくしは大丈夫ですわ、いざとなったらユーリに頼りますわ。だから――」
「大丈夫……どちらもここで、きっちり殺す。わたしは誰も、逃がさない」
感情が欠落した冷たい声を発しながら突っ込んでくるアリス。
もうお互い迷っている時間はない。
「行きなさいな、ユーリ! わたくしはこいつを倒しますわ、あなたは魔王を!」
言って再度ユーリに魔弾を撃ち込むリシア。
「っ――」
気が付けば、背後で恐ろしいほど大きな破砕音が響いてくる。おそらくリシアとアリスが戦闘を始めたのだろう。通路の大分先までテレポートさせられてしまったため、今更向こうに行っても何もかもが手遅れだろう。
「リシアならきっと大丈夫だ、彼女は僕より遥かに強い」
それにユーリにはやるべきことがあった……それは彼の目の前に居る存在。真紅の魔法陣を背に立ち、獰猛かつ自信気な顔でこちらを見る視線にはどこか懐っこい笑みも感じられる。
「また会ったな、ユーリ」
「……魔王ラグナ、今度は逃がしません」
リシアは自分を信じて任せてくれた。もう前回の様な失敗は許されない――誰よりもユーリ自信が許せないと、彼は拳に力を入れるのだった。
▲▲▲
ユーリを通路の奥までテレポートさせることに成功したリシアは今、魔法使いか混血かの違いはあれど、本当に同じ種族かと思うほど圧倒的な存在を前にしていた。
これまで放たれた大剣による攻撃は、いずれも何とか躱すことが出来た。しかし、
「剣閃が見えませんわね……」
躱せたのはどちらも偶然だ、実力が違いすぎる。リシアはこれまで訓練、実戦共に様々な相手と戦ってきた。しかし、傲慢だと思っていたのでこれまで決して口には出さなかったが、自分に比肩しうる敵など存在しなかった。あのグレイスですら、リシアがキマイラをフルに活用して戦えば、おそらく負ける事はまずないだろうと自負している。
戦闘経験を瞬時にトレースし、すぐさま応用して使用する天性の戦闘能力。
誰にもバカにされないために限界まで鍛え上げた銃技。
母から引き継ぎ、自分流に研ぎ澄ました魔力。
リシアはこれまでそれら全てを余すことなく使って戦ってきた――故に相手を見ればどの程度の実力者かはすぐにわかる。
感情が感じられず、何を考えているのか全く読めない瞳。
魔力の質も量も、おそらくリシアより圧倒的に上だろう。
「……っ」
体が震える――怖がっていますの、このわたくしが?
リシアは思わず一歩足を後ろへ下がりそうになるが、なんとか踏みとどまる。ここで下がってしまえば、自分が決定的に負けてしまうような気がしたから。
「……そろそろ殺して、いい?」
髪から銀の粒子を散らしながら、黒く怨嗟で淀んだ大剣を片手で構える。
倒す。
ルシアを守るため、ルシアが収めるこの国を守るため、イクトリアに住む全ての人を守るため……守りたいものならたくさんある。
目の前の存在を倒す。
自分を信じてくれたユーリのためにも。
「デュオル軍 中将 混血のリシアとその愛銃キマイラ、参りますわ」
リシアは絶対に勝つという意思を持ち、高らかに……誇らしげに声を挙げる。それに対し、アリスは冷たい瞳で彼女を睨み、
「……ラグナの半身、魔法使いアリス。それと、ラグナの剣にして、わたしの愛剣……ダモクレスが……あなたを殺す」
銃と剣、異色の戦いが幕を開ける。
「先手必勝ですわ!」
先に攻撃を仕掛けたのはリシア。相手の方が圧倒的に強いという事がわかっている以上、後手に回って守りを固めても意味はない。最初の内はそれでやり過ごせたとしても、時が立つにつれて辛くなってくるのは当たり前だ。
故にリシアは先手を選んだ――より正確に言うのなら、それしか選ぶ手がなかったのだが。
「キマイラ!」
呼びかけ、装填してある銃弾を魔弾から実弾に切り替える。放つのは銃撃の後、テレポートして死角から相手を狙う事の出来る魔力付与弾。
アリスが途方もない実力を持っていたとしても、不覚をつけば避けられる道理はない。
「食らいなさいな!」
「……っ!」
リシアが引き金を引き、三発の銃弾をほぼノータイムで撃つのと同時、アリスは身にまとう甲冑、そして大剣を持っているとは思えないほどに――まさしく羽が生えているのかと勘違いしてしまうほどの速度でひた走る。
人間にして人間を超えた身体能力を持つアリスは、大剣を居合の様に左腰にため、飛来する三つの銃弾全てを躱す。それも、
「やってくれますわねっ!」
体を少し捻ったり、首を横に倒したりと、必要最低限の動きのみでリシアの攻撃を躱し切る。「ではこれはどうですの!」
リシアは視線と意思を持って、銃弾がテレポート、射出される位置をインプットし、銃弾に合図を出す。
瞬間移動した銃弾が狙う場所は三か所――うなじ、左わき腹、右膝。
全てが相手の視界に入らない攻撃、この攻撃に初見で反応するのはまず不可能のはずだ。実際、アリスもリシアの二段構えの攻撃に気が付いていない。銃弾はもうコンマ数秒もかからずに着弾する位置へと達している、もうどんな身体能力を持っていようと逃れる事は不可能だ。
「あっ……ぐ……」
三か所を死角から同時に撃ち抜かれ、アリスは苦悶の声と共に勢いそのままに地面を滑りながら倒れる。
よもやうなじを撃ち抜かれて――すなわち首を撃ち抜かれて生きているとは思えないが、警戒する事に越したことはない。リシアは無言で銃口をアリスの死体に向けて、
「ユーリがこの場に居なくてよかったですわ」
狙いをランダムに五発の銃弾を、アリスの死体へと撃ち込む。
中将になるまで戦い続けた経験上、人間的にどう思われようとも止めは確実に刺さなければならない。仮にこれで相手が生きていれば、殺されるのは自分になるのだから。
「今いきますわ、ユーリ」
リシアは先に行かせたユーリの下へ向かうべく、暗い通路を進む。彼を先に行かせたのは判断ミスだとは思わないが、魔王の配下ですらここまで強力な力を持っているなら、魔王自身は一体どれほどの……。
「無事、ですわよね?」
そこまで考えたところで、リシア途端に笑いが込み上げてくる――気が付けばユーリの事ばかり考えている自分に気が付いたからだ。
「ふふっ……でも、決して悪い気分ではないで――っ」
熱い。
腹部がたまらなく熱い。
「あっ……」
腹部に突如現れた妙な感覚に、リシアがそっと視線を落としてみると――レイピアの様な何かが、背後から彼女の背中に深々と突き刺さり、貫通して彼女に柔かそうな脇腹から飛び出していた。
「痛ぅ!?」
腹部を貫通するそれは、リシアの傷を広げてより深い痛みを与えるかのように、グリグリと剣先を捻る。すると今まで麻痺して熱いとしか感じなかった感覚の他にも、明確な痛みが襲ってきて、彼女は咄嗟にキマイラを使って自分の位置のみを数歩分後ろへとテレポートさせる。
そこで彼女はようやく自分を刺し貫いたものの正体を理解する。
「鳥、ですの?」
湧き水の様に血が出てくる腹部の穴を、左手で必死に抑えながらリシアは見る――目の前にはレイピアの様に鋭くとがった嘴を持ち、体が黒い鎧に覆われているかのような小鳥だった。
通常の生態系では存在し得ないその姿から、一目で正体が魔物であると言うことがわかる。問題はどうしてこの魔物がここに居るのかということだ。
最初から居たのに見逃していた?
もしくは今どこからか入ってきたのか。
「っ!」
考える暇もなく、その鳥は再度リシアを貫くために飛翔してくる――それも、
「何ですのっ――この数は!?」
先ほどの鳥に続いて、通路の暗闇から続々と現れる同種の鳥たち。そのいずれもがリシアへの明確な殺意と敵意を持って飛来する。
鳥の形をした弾丸の様に迫ってくるそれらに、リシアは舌打ちしながらキマイラをお構えると、精密かつ高速の射撃で次々と迎撃をしていく。
一撃食らった時の出血量から考えるに、そう何度この鳥たちの攻撃を受けるわけにはいかない。だいいち当たり所が悪ければ即死もあり得る攻撃だ、故に迎撃を失敗することは出来ない。
「…………!」
限界を超えた集中の中で、リシアは世界がゆっくりに感じるのを感じる。外せば死ぬかもしれない――その緊張感が彼女の技をより高めていく。
一秒が一分に感じるほどの濃密な時間の中、リシアは飛んで来る鳥を機械の様な精密さで撃ち抜いて行く。そしてついに無数に現れるかと思われた鳥たちの飛来が収まると、
「っはぁ、はぁ……」
リシアはキマイラの銃口を下げ、壁にもたれかかる。
腹部に受けた傷、そして先ほどの攻防における精神的疲労によって、最早立っているのも限界に近い――よりリシアを追い詰めていたのは、どちらかと言えば後者だ。常人ならばとっくに穴だらけになっているであろう、絶対にミスが許されない精密射撃を超高速で何度も行ったのだ。
「これ以上、魔物が襲ってきたら……少しきついですわね」
途端、リシアの足が震えだし、ガクッとその場に座り込んでしまいそうになるが、何とかこらえる。彼女はここで倒れるわけにいかないのだ。
「ユーリ、わたくしが今行きま――」
「行かせない……誰の所にも、行かせない。わたしが……あなたを、殺すから」
「っ――はぁ、何ですの? ほんっとうに……もう!」
リシアは渾身の力を振り絞って、キマイラを暗闇の奥――何者かがゆっくり歩いてくる方へと向ける。次第に姿を現したのは予想通りの人物であり、予想が外れて欲しいと思っていた人物、魔法使いアリス。
「さっきの魔物、突然現れたのでおかしいと思っていましたけれど、それがあなたの魔法ですの?」
「…………」
アリスは何も答えない、それを肯定と取ったリシアはなおも自分の推理を伝える。
「ユーリから聞いた話と、先ほどの魔物による攻撃。そうですわね、あなたの魔法は『魔物を召喚する』能力ってところですの?」
魔物とはいえ、意思を持った生物を自由に作り出す能力。確かに強力ではあるが、リシアはふと気が付く。それが魔法ならば、何故アリスは撃たれたにも関わらず立ち上がる事が出来たのだろうか。
彼女はアリスの首など、先ほど自分が狙いをつけた部分をさりげなく観察する――するとそこには血痕はあるものの、肝心の傷跡が消しゴムで消したかのように綺麗さっぱりなくなっていた。
「気になっているなら……教える。久しぶりに、楽しい……だから、お礼」
「でしたら魔王共々、この国から出ていってくださると嬉しいのですが」
「それは、出来ない」
言ってアリスは大剣の切先をやや下げると、相変わらず何を考えているのかわからない瞳で、
「……わたしの魔法は『生命の樹』」
自分が持つ魔法のネタバラシをしていく。例えどの様な魔法か知られたとしても、どうしようもないだろうと確信を持つかのように。
「能力は生命の操作……ありとあらゆる生命を、操作して……創造する」
「生命の、操作?」
アリスが言った言葉はリシアの理解の範囲を超えていた――言っていることは分かるが、もしそんなものが本当に存在するならば。
「だから、わたしに死の概念は……ない」
「――っ」
「どんな事でも出来る……生命を生み出すことも、殺すことも……わたしは何でも出来る。ラグナが、彼があの時、解き放ってくれた……彼を守るための、魔法」
だから何をしても無駄だ。
「わたしは、負けない……ラグナのためにも、絶対」
アリスは初めて明確な感情を浮かべてくる――憐れみと言った感情を。自分に絶対に勝てないリシアを憐れむ、嘲笑と自信を含んだ感情を。
「……確かに」
リシアは構えていた銃をおろし、
「わたくしでは、あなたには勝つことは不可能なようですわね」
「……そう、戦うのは無駄。だから――」
「だからと言って」
例え勝つことが無理だとしても、アリスをユーリの下に行かせることは出来ない。
「わたくしが戦うのをやめると思ったのなら」
キマイラの銃口を再度アリスへと向け、リシアはただ駆ける。傷の痛みも、精神的疲労も全てを置き去りして、
「大間違いですわ!」
「……面白い」
勝敗が最初から決まっている二人の少女達の戦いは、激化する。
●●●
真紅に発光する魔法陣、それを背に悠然と佇むラグナはやってきたユーリを眺めて、嬉しそうに言う――まるで突然昔ながらの友人が訪ねてきたことに喜ぶ様な表情で。
「お前って本当に俺の居場所を突き止めるの得意だよな。おまけにいつも突然くるし!」
カラカラと笑いながら、どこまでもフレンドリーなラグナ。
「今はアリスもいねぇし、ここまで来れた褒美に質問に答えてやるよ!」
「…………」
初めて出会ったときも思ったか、ラグナはどうしてこんなにも何でもかんでも教えたがるのだろうか。おそらくは本人のどこか子供っぽく懐っこい性格が原因なのだろうが、聞けるものは聞いてしまおうとユーリは問う。
「あなたの本当の狙いは何ですか? イクトリアを陥落させようとしてるのは、どう考えてもフェイクですよね」
リシアにも持論を展開したが、今となってはそれが正しかったのだとハッキリわかる。さもなければ魔王はここに居ないはずだし、彼の背後に魔法陣が展開しているわけもない。
「俺の本当の目的ってことか……んぅまぁ今更もう止められないし。よし、教えてやるよ!」
彼はどうしようもなく軽い雰囲気で、どうでもいい事を告げるように言う。
「俺の目的はこの世界をぶっ壊すことだ」
「壊す?」
「そこの魔法陣、発動させたのはアリス――俺の仲間の黒騎士だ。あいつの魔法『生命の樹』はあらゆる生命に干渉することが出来る。
魔法陣によって増幅された『生命の樹』の効果によって、俺たちは世界中の貴族を……いや、この世存在する全ての魔法使い以外の人間を、醜い化物に変えてやる。
言葉は喋れない、力は弱い、そして子供も作れない。だが意識と思考能力はハッキリと残してやる。永遠に苦しみ続け、自分たちの罪に後悔し続けるようにな」
「魔法使い以外の人間を、化け物に?」
アリスという少女が魔力を吸い尽くすと言われている魔法陣を使ったにもかかわらず、十分以上に余力を残した状態で、リシアとユーリに襲い掛かってきたことから想像できる彼女の総魔力量にも驚いたが、
「なんでそんな事を……そんな事をしたら!」
ラグナがしようとしている事に比べれば全てが霞む――同時にハッキリ理解する。どんなに友好的に見えたとしても、ラグナは紛れもなく魔王。
この世界に悪意を振りまく敵なのだと。
「わきまえさせるんだよ、本当の劣等種が誰なのかを。魔法使いが劣等種だと? ふざけるな! 魔法使いこそが頂点に立つべき存在だ。それを劣等種扱いし、奴隷のごとく飼いならすことが、どれほどの罪か……ユーリ、お前も魔法使いならわかるだろ?」
確かに、魔法使いが劣等種と蔑まされ、酷い目に合わされる光景は嫌と言うほど見てきた。決して悲劇のヒロインぶるつもりではないが、ユーリ自身がそうなのだから――つい先日、理由も聞いてもらえず処刑されそうになったことが正にそれだ。
この世界は魔法使いに厳しい。
「だから俺が正す。真の劣等種を化物に堕とし、魔法使いがその上に立つ……俺は最初に世界を壊すと言ったが、それも正しくはなかったな。壊すんじゃない、俺は世界を正しいあり方に直すだけだ」
ラグナは続けて言う。
「少し昔話をしてやるよ――昔とある魔法使いの少女が居てな、そいつは身に宿る稀少な魔法故に、貴族どもに奴隷……いや、ペットとして飼われてた。遊びと称して痛めつけられ、食事もろくに与えられない。
少女はそんな生活を続けているうちにとある自衛方法を見つけた。感情を殺して何も思考せず、自分はおもちゃなのだと思い込むようにしたんだ」
「――その女の子って」
ユーリの脳裏に一人の少女の姿が浮かぶ。ラグナと並び立つ、美しい髪を持った少女の姿が。
「あぁ、アリスだよ。あいつは俺が貴族の下から助け出すまで……いや、助けてからも苦しみ続けてる」
わかるか、ユーリ。と、ラグナが吠える。
「この世界は間違っている。あいつほど美しくて優しい存在が、誰よりも尊くて才能に満ち溢れた存在がどうして! どうして苦しめられなきゃならない? それも遥かに劣った愚物どもに……そう、だからこの世界は間違っているんだ。
そしてそんな間違っている世界はいらない――俺がこの世界を変える、魔法使いたちが幸せに暮らせる世界に!」
「幸せな、世界……」
ラグナの目的が叶った先、ユーリが願っていた世界が訪れるのだろうか。平和で優しく、リンとソーニャが幸せに暮らせる世界が……その答えはきっと、
「あなたは間違っている」
「何?」
その答えは否だ。
「誰かのために世界を変えたい、そう思えるほど優しいあなたがどうして分からないんですか? 優しいのは魔法使いだけじゃない……魔力を持たない人間の中にも、優しい人は居ます」
幼馴染のリンの様に。
「あなたの願いが叶えば、確かに魔法使いにとっては住みやすい世界になるのかもしれない。でも、魔力を持たない人間は――その中に確かに居る優しい人たちはどうなるんですか?
全員が全員、魔法使いを劣等種として見ているわけじゃない。友達として、家族として……同じ『人間』として一緒に生活している人たちが居る。あなたの願いはそれを容易く壊す、わからないんですか!?」
今の生活に満足しているわけではない。しかし、今の生活の中にも決して壊されたくないものが、守っていきたいものがあるのだ。
「なるほど……お前の言いたい事は確かにわかる」
ラグナは一歩一歩踏みしめるようにユーリに近づくと、彼の前で足を止めて言う。
「だけどな大半の人間は腐ってる。真の優劣種である魔法使いを蔑み、家畜か何かの様に扱う。そんな奴らは報いを受けて当然だ」
一呼吸置き、彼は心底残念そうな声で、
「魔力を持たない人間の中で、優しい奴は……たった一握りなんだよ」
「だからって、その一握りを犠牲にしてもいいんですか!?」
いいわけがない。
「あなたの言いたい事は確かにわかります。だけど、例えどんな目的があったとしても、世界中に不幸をまき散らすのは間違っている!」
「何が、何が間違ってる!? 今の世界、幸せを享受しているのは魔力のない劣等種ども……そろそろ交代してもらうだけだ。お前ら魔法使いが幸せになり、劣等種が不幸になる。正しい世界に戻すだけだ!
そう、そうだ! その為に犠牲だ。確かに劣等種の中にもお前の言うような奴は居る。だけどな、そいつら少数のためだけに大勢いる魔法使いを苦しめ続けるのは間違っている! だから――」
「犠牲になってもらうんですか、あなたの様に?」
「……何だと?」
ユーリの言葉にラグナの目が細められる。
「あなたは人間だ――あなた自信が何よりも嫌う、魔力を持たない人間。でも、僕が守りたいと思い、あなたが犠牲にすると言った……とても優しい人間だ」
…………。
………………。
……………………。
二人は互いに眼を合わせたまま沈黙する。
ユーリはただ待った、目の者が口を開くのを。そして、
「どうしてわかった、いつからだ?」
その言葉を持って確信する。魔を総べる者、魔王ラグナが魔力を持たざる人間である事を。
「最初からですよ、あなたに『絶対勝利』の能力を聞かされた時は動揺してしまいましたけど、よく考えるとそんなことはあり得ない。運命に直接干渉しかねない魔法を行使するためには、それ相応の魔力が必要になる」
「だからどうした? まさか俺の体から魔力が感じられない……とか言うんじゃないだろうな?」
「言いませんよ、魔眼で捉えらえるのは体外に放出されている魔力だけですからね」
「回りくどいな、ハッキリ言えよ。じゃあどうして俺が魔法使いじゃないと言える?」
ユーリは真っ直ぐにラグナを見つめ、
「簡単ですよ。言うべきじゃなかったですね、あなたの剣が持っている能力の事なんて」
「…………」
「気が付かないんですか? その剣は鞘に入っている状態にも関わらず、周囲に満ちたアリスさんの魔力を吸収し続けている。
わからないんですか? あなたが傍に居るだけで極微量に、僕の魔力すらあなたの方へと強制的に引き出されていっている。つまり――」
「おぉっとぉー」
ラグナは頭をボリボリかいて、悪戯がばれて恥ずかしそうにするかのように笑う。
「つまり、俺からも魔力がこのエクスカリバーに吸収されないとおかしいわけだ? そしてお前ら魔法使いは、漂う魔力を目視できる魔眼を持っている」
ラグナが魔法使いでない事は、エクスカリバーの特性を知っているものならば一目でわかる。だからこそ、あの時アリスは彼に注意したのだろう――あまり剣の能力を喋るなと。
何にせよ彼が先ほど口した「お前ら魔法使い」という言い方から、真実はハッキリした。
「あなたのその片目、真紅の瞳も魔眼じゃない……ただの義眼か何かですよね?」
「これか? これは一応本物だよ。ちょっとした事故で失明しちまってな、アリスに作り直してもらったんだ」
なるほど。
アリスの魔法『生命の樹』が、彼の言う通りの力を持っているならば、その程度の事は造作もないだろう。
「あなたは何で――」
「魔法使いを名乗った理由か? ただの人間が魔法使いのために立ち上がるより、魔法使いが魔法使いのために立ち上がった方が、お前らも勇気がわくだろ? それに『絶対勝利』なんて強力な力を振りかざせば、魔法使い同士の無駄な争いを避けられるかもしれない。
はぁ……ったく、まぁ全部無駄だったわけだがな。贅沢は言わないけどよ、いっそアリスに本物の魔法使いに変えて欲しかったよ」
確かにそうすれば全てがうまく行っただろう。だが何故ラグナはそれをしなかったのだろうか、ユーリは問いかける。
「言っただろ? あいつが干渉できるのは『生命』……言いかえるなら『生命力』ってところだ。決して『魔力』には干渉できない。お前らが魔物って呼ぶアリスの召喚獣にも、魔力は感じなかっただろ?
さぁ、もういいだろ? これで話はおしまいだ。俺の正体が何であれ、俺は俺の願いを諦めるつもりはない。それでもお前が俺を諦めさせたいなら……」
ラグナはその場で腰を捻ると剣に手をかけ、
「力づくで止めてみろ」
思い切り振りぬく。だがその速度はグレイスやリシアと比べると、遥かに遅い――これまで積極的に戦闘はしてこなかったのか、ユーリでも辛うじて躱せる速度だった。
それなりには早い、けど!
ユーリはバックステップで背後に躱しながら考える――先ほどの攻撃速度から考えると、向こうの力は自分と同じくらいだろう。いい意味でも悪い意味でも、そこまで実力差があるようには感じられない。
「勝機はある!」
先手は相手に譲りはしたものの、主導権を相手に渡すつもりはない。ユーリは開いてしまった距離を埋めるべく、身を低くして地面を駆ける。相手の獲物が剣である以上、一撃も食らうことは出来ない。さらにあの剣の能力によって魔法が意味をなさないため、不利なのが自分であるのも理解しているが、それでも彼は駆ける。
「舐めるな、ユーリ! 俺がただの人間でも、勝てるとは思うなよ!」
「舐めてなんかいません!」
何の力も持たないで、ここまでの事をやろうとしてきた男を、舐めるはずがない。
ユーリは横薙ぎに振られたラグナの攻撃を、身を屈めてやり過ごす。そのままの勢いで彼の左足首を狙った蹴りを繰り出す――地面を這うように繰り出されたそれは、当たる直前で躱される。
「ちぃ……やっぱ面倒くせぇ、ユーリ! 今からでも遅くない、俺と来い!」
蹴りを飛んで躱したラグナ。隙だらけのその体めがけ、ユーリは腰を捻り立ち上がる勢いの全てを利用して拳を放つ。
「が――っ」
今度の攻撃は見事に当たりラグナの体がくの字に曲がる。
「僕は絶対に間違えない。あなたの様に怒りに狂わされたままでは、優しい世界は作れない!」
「そうか、よっ!」
そのまま飛ばされるかと思えたラグナだが、寸前でユーリの服の首元を引っ張り踏ん張る。その拍子に前へと俯く形になったユーリの背中へ叩き込まれこまれたのは、剣の柄だ。
「それでも俺は進んでやる!」
空気を強制的に吐き出させられるかのような衝撃に、地面へと倒れこむユーリ。しかし、完全に倒れ切る前に、
「憎悪と怨嗟の中を生き抜くには、怒りって感情も必要なんだよ。お前みたいに綺麗ごとだけじゃ――」
ユーリの腹に内臓を抉り返すかのような強烈な蹴りが突き刺さり、一瞬の間だけ呼吸が出来なくなる。
「誰も救えない!」
「っ……だからって」
先ほどのラグナを見習うわけではないが、ユーリも食らいつけば絶対に離さないとでも言うかのように、自分を襲った強烈な蹴りを繰り出した右足を両手で掴む。
「うわぁああああああああああああああ!」
「うおっ!?」
ユーリはそのまま立ち上がり、自分が倒れるのもお構いなく全力で重心を前へとかける。すると二人は公園で喧嘩している子供の様に二人して倒れ、ラグナはユーリの下敷きになる――もちろんただ倒れてただけで、マウントポジションが取れるわけもなく。
「どけ、この野郎!」
「この分からず屋!」
二人は体勢を入れ替えながら殴るけるの小競り合いを……世界の命運がかかっているとは思えない戦いを開始する。
こうなれば武器など関係ない。この距離ならば剣も剣としての用途を成さないため、柄で殴る道具としてしか機能を果たさなくなる。
「あなたは信じられないんですか!」
「何をだよ!? 主語がねぇんだよ、アホユーリが!」
「自分自身をですよ!」
ユーリが頭突きをしながら発したその言葉に、ラグナは彼の腹を思い切りける事によって返答する。
「俺を信じるだ!?」
彼の蹴りによって再び開いた間合い。ユーリとラグナの二人を流れる汗や血を拭い、ゆっくり立ち上がりながら相対する。
「こんな方法でしかあなたは世界を変えられないんですか? そんな訳ない……あなたほど魔法使いの痛みがわかる人なら――魔法使いならざる身で、魔なるものの王を名乗るあなたなら、痛みを考えられたはずだ!」
「痛み、それはいったい誰の――」
「魔力を持たない人たちのですよ! あなたなら出来たんじゃないですか? ただの人間のあなたなら、同じ魔力のない人間達の事を理解することが! 魔法使いの痛みを理解できたのに、どうしてそれをしなかったんですか!
そうやって互いが持つ痛みを、互いが持つ恐怖を、あなたが架け橋となって対話して無くしていけば、こんなことをしなくても世界は!」
変わる、変えられるはずだ。
しかし、ユーリのそんな希望ともいえる願いは届かない。
「痛み、恐怖? あいつらは何も感じちゃいねぇよ! 仮に俺は対話を試みようとしたって、そんな場所は設けられるわけがない……あいつらによって不都合な存在は潰される!」
「それはラグナ、あなたがその努力をしなかったからだ! 最初から間違っていたんだ! あなた自身も、それに賛同してしまったアリスさんも」
「アリスも、だと……このっ――黙れ、ユーリイィイイイイイイ!」
ユーリの言葉にピクリと反応したラグナ。何がそこまで逆鱗に触れたのか、彼は先ほどのユーリの様に駆けてくる――ユーリを構えたその剣で両断するために。
「そうやって怒るのは自分が間違っていると、あなた自身が知っているからだ!」
迫ってくる斬撃、怒りと憎しみで鈍った太刀筋は避けるのに容易かった。
ユーリは純白でありながらも、怨嗟をなおも吸い続けている剣を躱し、ラグナの顔へとカウンターで拳を叩き込む。
「――っ!」
宙を剣が舞う。
地面に人が倒れる音がする。
「…………」
「…………」
やがて静かで美しい音と共に、純白の剣が地面へと突き刺さる。
「負け、か」
二人して戦っていた時の喧噪が嘘だったかのように静まり返った場所で、ラグナは地面へ横たわり、天井を見つめたまま言う。
「はい、僕の勝ちです――っ!」
「ラグナ!」
悲痛な声と共に、風を追い抜かん速度で二人の間に割って入り、ラグナを守護するかのように大剣を構えたのは銀髪の黒騎士。
「殺させない、ラグナは殺させない! わたしが絶対に守る!」
「よせ、アリス」
今にも飛びかからんばかりの狂犬じみたアリスに、ラグナは身を起こしながら静止の声をかける。
「もうよせ、アリス……それに少し考える事が出来た、帰るぞ」
「……いいの? あいつ殺さなくて、わたし達の願いを……諦めて」
ラグナに声をかけられ落ち着いたのか、再び淡々とした口調になったアリスは、ラグナの下へ歩いて行くと、魔法『生命の樹』を使って彼のあらゆる傷を完全回復させる。
「優しい世界を作る、その願いは諦めない……でもな」
ユーリはラグナがチラリと自分を見た気がした。
「まぁ何でもいい、アリス。魔法陣を解除しろ、それが終わり次第帰るぞ。もう疲れた」
「……わかった」
「帰すと思いますの?」
銃声と共に聞こえるリシアの声。
見ればユーリの隣にテレポートしてきた彼女は、傷だらけの全身で何とか体重を支えつつも、しっかりターゲット――アリスの心臓を撃ち抜いていた。
まずい。
アリスが死んでしまったことにより、ラグナが戦意を復活させるのではないかと思ったユーリであったが、
「大丈夫か、アリス?」
「……うん」
撃ち抜かれ、遠目から見てハッキリと穴が開いていたアリスの胸が見る見るうちに塞がれていく。おそららくその変化は外見だけに留まってはいない、彼女がピンピンしている以上、破壊された心臓も綺麗に治っているはずだ。
これが『生命の樹』。
瞬時に心臓を再生したアリスの魔法の力。その力を話でしか聞いていなかったユーリは、目の前で奇跡を起こされた気分になった。
「それでそこの金髪、お前はまだやる気なのか? やる気なら俺たちは構わないが」
ラグナはゆっくり立ち上がり、地面に突き刺さった剣を手に取る。
「誰が金髪ですのよ! ……ふん、やるに決まっていますわ。あなた方はここで――」
「待って、リシア」
戦闘継続を告げようとするリシアを、ユーリは手で制す。ユーリはボロボロだし、リシアも見た限りかなりの怪我を負っているため、今のは完全に強がりのはずだ。
どう考えてもこのまま戦えば、最悪二人とも殺される。それほどの力をあの少女、アリスは持っているはずだ。しかし、その主であるラグナに交戦の意思がないのならば、ここは戦闘を避ける方が無難だろう。
「…………」
これくらいの事もわからないなんて、今のリシアは相当ダメージが酷いな。と、ユーリは再度彼女を横目で確認する。
「リシア、ここで戦っても僕たちは勝てない。相手が魔法陣を解除して引いてくれるって言ってるんだから、ここは応じるべきだと思うけど」
「っ……ですけれど!」
イクトリアをここまでメチャクチャにされれば、頷くのも難しいのだろう。それを察したのかラグナは、隣に寄り添うように立っている少女に問いかける。
「アリス、イクトリアに居る魔物の戦闘ロジックはここからでも書き換えられるか?」
「?……うん」
ラグナはユーリとリシアの方を見ると、戦闘前の明るく懐っこそうな声と表情で言う。
「今も上に居る魔物どもの動きは、連携が取れない程度に鈍らせる。そうすれば軍の兵士でも楽に倒せるはずだ」
「だから見逃せと言うんですの?」
なおも挑発的な彼女に、ユーリは「リシア」と諌めようと声をかける。すると彼女は、
「あーもう! わかっていますわよ! わたくしはもう知りませんわ」
と、頬を膨らませてそっぽを向いてしまう。いくら怪我を負って判断力が鈍っていたとはいえ、その結論は最初から彼女の中にあったのだろう。だが、初めて惨敗を喫した相手にプライドが許さなかっただけなのだ。
「お前らって本当に面白いな!」
ユーリとリシアのやり取りを笑いながら見て、ラグナは言う。
「まぁとにかくだ。話がまとまったところで、帰らせてもらうぜ?」
ラグナがアリスの腰を抱きながら言うと同時に、二人の背後で魔法陣が粉々に砕け散る――おそらくアリスが魔法陣に解除を命じたのだろう。
二人はこちらに背を向けると、ユーリたちがやってきたのとは反対側の通路の闇へと消えていく。そして彼らの背中が完全に見えなくなるその間際、
「ユーリ、色々ありがとな。この借りはすぐにでも返してやるよ」
楽しみにしとけよ。と、手を振るのだった。
●●●
魔法陣の灯りが消え、僅かな人工の灯りに照らされるのみとなった地下浄水水施設中央。ユーリとリシアの二人は背中を合わせて座っていた。
「終わりましたわね」
リシアの優しい声を聞くと、魔王との戦いが終わったのだという実感がようやく持ててくる。ラグナの話からすると、上での戦いもすぐに鎮圧されるだろう。そうすればこの国はもとの……平和とは言えないまでも、ある程度の調和が保たれた国に戻る。
「この後はどうするの?」
「そうですわね、わたくしはとりあえずルシアの下に向かいますわ。怪我も直したいですし」
身近でこのような戦いでが起きてルシアもさぞ怖がっているだろうし、姉妹二人でゆっくりするのはいい事だと思う。などと考えていると、ユーリもリンとソーニャの顔が見たくなってきてしまう。
「ユーリは本当に、一目瞭然……というより、わかりやすいですわね」
「え、何が?」
「隠さなくてもよろしくてよ、二人に会いたいのでしょう?」
考えていたことを容易く読まれ、思わず振り返りそうになるが、すぐに思いとどまる。もう少しだけ、こうして互いに背中を合わせていたかったのだ。
「……うん、ちょっと会いたくなったかな」
言葉にしなくても人の気持ちを理解して、かけて欲しい言葉をかけてくれる。
まったく、リシアには本当に敵う気がしない――いつか自分もなれるのだろうか、彼女ほど強くて優しい人間に。
なれるのなら、なりたいな。
ユーリが彼女にばれないように微笑んでいると、
「仕方ないですわ、ユーリにはしばらくお休みをあげますわ。今回、魔王を撃退した報酬として実家で休んで来なさいな」
言って、彼女は後ろからキマイラを優しく突きつける。
「戻ってきたらまた忙しいですわよ、覚悟なさいな」
リシアの声にはどこか子供の面倒を見る母親の様な暖かさが宿っていた。そんな彼女が堪らなく愛おしく感じつつ、ユーリはただ頷く。
「ありがとう、リシア」
そしてユーリの体は銀色の光に包まれ、気が付けばリンとソーニャの待つ家の前へと立っていた。
「ボロボロになるまで殴られちゃって、二人に説明するのが大変だな」
ユーリは扉を数回ノックし、待つのだった。彼が守りたいと願った二人の笑顔が、自分の怪我を咎めつつも心配し、暖かく出迎えてくれるのを確かな幸せと共に想像しながら。