商談 (その4/5)
山尾の家から、静岡県警までは車で30分ほどであった。
「山を下りてから飛んで帰りましたよ。・・・疲れていたし、その時はむしゃくしゃしてたので。」
取調室で刑事に聞かれ答えた。
「その後どこかに寄られてませんか。またその日は後で車で出かけられていませんか。」
「まっすぐ家に帰って、ふて寝ですよ。確か食事も取っていない。」
「そうですか、これはあなたの車ですね。」
写真を見せられた。
「は、はい、いつこれを?」
「あなたのお家をうかがった時にね、それで、木曜日の時もこの車で出かけたのですか?」
「ええ、そうですが。」
「山を下りたのは、2時頃と言われましたよね。」
「は、はい。確かではありませんが。」
「あそこからあなたの自宅まで、遅くても2時間てとこですね。」
「ええ、朝は1時間ほどで行きました。」
「帰りは?」
「よく覚えてないのですが、それくらいでしょ。」
「それはおかしいですね。」
「えっ、」
「あまり知られていないのですが、高速道路だけでなく、主要な道路には車載ナンバーを記録する機械が付けられてましてね。この車のナンバーの当日を調べたら、国道469号を西に向かってまして、あなたが出たはずの十里木高原から、だいたい10kmのところを16時48分に通過しているのですよ。」
「・・・」
「その後は通常の時間でお宅まで帰られたようですがね。それとも誰かに車を貸しました?」
「・・・」
山尾は驚いた。自分に容疑がかからないようにと“飛ぶように”と嘘をついたが、実は、駐車場から自宅までの記憶が無かったのだ。
「まあ、今日はこの辺で結構です。ご自宅まで係員に送らせます。ご協力ありがとうございました。」
山尾は、留置でもさせられるかと心配したが、あっさりと帰された。
(しかし、2時間も駐車場にいたのか? 寝ていたのだろうか。まさか?)
記憶が無いとなると非常に不安である。家のものに聞いたがその日は、夕方帰ったきり部屋にこもっていたそうだ。
(まずいな、まさか本当に俺がやったのだろうか。あの先生の殺され方はまだ聞かされていない。やはり待ち伏せしていたのだろうか。あの時の心情だったら、待ち伏せして問いただして口論になったかもしれないな。しかし、俺が殺人をするか?明日また警察が迎えに来る。どう説明しようか。開き直って正直に全く記憶が無いと言おうか。)
山尾は眠れなかった。
翌朝、聞かされていた時間通りの9時に同じ係員が車で迎えに来て県警に入った。
「どうですか。空白は埋まりましたか?」
昨日と同じ刑事が前置きもなしに訊ねた。
「申し訳ありません。何も覚えていないんですよ。駐車場から自宅まで、いや次の朝まで全くの記憶が無いんです。私が先生を殺したのでしょうか。」
意外な返答に刑事も、
「人を殺したか、殺してないかも覚えてないのか?」
「申し訳ありません。」
「・・・」
手を横に広げた刑事は別の刑事を見やった。
「被害者は、頭部を太い棒のようなもので殴られている。凶器は見つかっていないが、その辺にあった丸太か何かであろう。死因はそれだ。」
「・・・」
「凶器が見つかれば、指紋も出るだろう。どうだ、お前がやったんだろう。そうに違いない。」
「いや、それはちょっと。・・・」
「しかし、大きな仕事が理不尽に飛んだんだ。岡川氏を憎んでいたのだろう?」
「もう、いいですけど。悔しかったのは悔しかった。」
「そう、その場の収まりがつかなかったものだから、岡川さんが下山してくるのを待ち受けた。問い詰めたがラチガ開かなくなって、そばにあった丸太で殴打して、斜面から蹴落とした。」
「待って下さいよ。私は何も隠さず正直に話しているのですよ。記憶が無いのだから、そんなこと。・・・誰か他の人は見てたりしないのですか。その人が見てたのであれば、私も認めますよ。」
「もちろん、我々は目撃者も探している。ただ平日なので登山者も見つからない。」
「しかし、いくら憎いとしても、殺人までするでしょうか。」
人ごとのように言った。
「だから、その時はそういう状況だったのだ。」
やはり証拠不十分なのであろう、山尾は再び帰された。
岡川は、越前岳で山尾と別れたのあと、東の尾根を進んだ。間もなく“富士見台”という場所に着いた。
「あっ。」
思わず声が出た。これまでの霧が晴れ、富士山が壮大なる姿を現したのであった。
”富士山”それは日本の真の象徴ではないだろうか。日本列島の中心に独立峰として聳え、くしくも日本の最高峰である。あの、360°から判る姿形は天候等の条件がそろって、見ることができた時は、幸せな気分になれる。東名高速でも富士が見えたところで、追突事故が多発する。仕方のない事象であると云える。
岡川は置いてきた山尾の事を思いやった。
(越前岳で昼食でもしてれば、合格だったな。再試験合格とでもしてやろうか。これから戻ればまだ頂上で休憩しているかもしれない。)
山尾は頂上におらず、すでに下山していた。
(あら、やっぱり運気の無いヤツだったのか。ええい、帰ったら電話で連絡してやろうか。)
岡川は、軽い昼食を取り、朝登ってきた道を下りていった。見え隠れする富士の姿を堪能しながらの下山となった。三角点を過ぎると、下方にはゴルフ場のコース、こどもの国の建物が見えた。空はすっきりと青空となり、富士の懐に吸い込まれるようであった。
さらに進むと、電波塔が現れ展望台に、下の駐車場の自分の車も確認できた。
(あっ、仮眠でもしているのか。)
山尾の車も停車したままであった。
すると、背後のススキ原からガサゴソと聞こえ、振り返った。
「な、何だ、君は。」
突然、手に持った鉄パイプで殴りかかってきた。
「わ、ワー。おい。」
頭部直撃で岡川は意識を失った。