かつどう
山坂の娘が警察に遭難届を出したのは、火曜日であった。山坂は妻を病で失ってから大学生の娘と神戸市内に二人で暮らしていた。
「父が帰ってこないのです。」
山坂は週末にはよく一人で出かけ、たまに泊りで帰らない日もあるが、その時はいつも娘に連絡を入れていた。娘はさすがに二晩も連絡が入らなかったので、警察に届けることにしたのであった。しかし、いつものように行先は教えられていない。警察も届け出を受理しただけという感じで、捜索などできない。
日曜日、山坂は北国街道を歩いて辿ろうと、JR北陸本線、福井県の今庄駅に降り立った。
北国街道(東近江路)は、今庄から彦根まで江戸時代に越前(現在の福井県)から近江(現在の滋賀県)を抜け、江戸もしくは京に向う主要道であり宿場も沿線に設けられた。現在は国道365号線と変わり、JRはその地下で北陸トンネル、北陸自動車道は、6キロ北でやはりトンネルにて、滋賀県へ入る。そのためこの国道で越境する交通量は少なく、谷あいのかつての宿場町も、のどかな集落をとどめる程度である。
山坂は国道を14キロほど歩き、県境となる栃ノ木峠に午後一時に到着した。峠の右手滋賀県側は余呉高原スキー場となっており、リフトが山の上まで続いていた。
山坂は舗装路のウォーキングに飽きたため、用意していた地形図をながめ、北国街道を外れ県境の尾根を山歩きすることとした。地図には道がのっていなかったが、希望的予測通り踏み跡が県境尾根を走っていた。藪を掻きわけたり、倒木を乗り越えたり苦労しながら、踏み跡をなぞった。左手に降りると先ほどの国道が谷を通っているので、迷ったら無理やり降りていけばよいと安易に考えていた。
しばらくすると踏み跡が確かな山道となり、木々も開けた送電線の鉄塔に出た。
頻度はわからないが送電線は電力会社のメンテナンスが入る。そのため地図にない道が鉄塔へ続いているのである。火の用心の看板を立て、その方向を示したりもしている。
山坂はその道を軽快に進み、沢に下りた。さらに沢の流れに沿うと林道となり、国道365号線に戻った。合流地点より少し下れば、中河内という集落に出た。
午後五時を過ぎ、西日が山に落ちていたが、山坂は中河内発午後五時五十五分の余呉バスがあるのを下調べしてあったので、バス停を探した。犬にほえられ集落内を進み、それは集落の入り口にあり時刻表を確認した。確かに土日祝17時の欄に55分の記載があったが、数字の横に※マークがついていた。時刻欄外の説明では、『予約が必要です』とあった。
山坂はあてが外れ面喰ったが、先を急ぐこととした。中河内から次の集落椿坂までは、7キロほどの距離で、その前に椿坂峠を越える。初秋であったその日、六時を回るとすっかり日も落ち、外灯のない国道は暗闇と化した。 山坂はヘッドランプを付け、歩を進めたが、周囲の様子がつかめず、不安となった。さすがに足腰も疲れをごまかしきれない。三十分前に、滋賀県側からの軽トラックをやり過ごして以来、全くの往来もない。時折、こちらの気配を感じた鹿がけーーんと鳴き去っていく音くらいしかない静けさである。
山坂はこういう経験は幾度もあるが、何かの恐怖感はぬぐえず、道路の端を歩かず、センターラインをランプで追った。そんな時、前方から車のライトが近寄って来たので道路端に寄った。車はやはり軽自動車で山坂の横を通り過ぎたが、すぐにバックで戻ってきて、窓ガラスを下した。
「何しているのですか。」
運転していた男が山坂に尋ねた。こんな時間にこんなところを一人で歩いているおやじが気にかかったのであろう。
「バスが無くなったので歩いて駅に行こうとしてるだけです。驚かしたようで申し訳ない。」
「・・・・へえ、もしよかったら乗っていきません。余呉駅だったら二十分ほどだし。」
山坂は思わず顔が歪んだのが自分でも判った。
「いえ、結構です逆方向ですし。」
「いいよ、乗りなよ。」
やはり顔色を悟られたようで、山坂も言葉に甘えることにした。
車はなぜか、千葉ナンバーで四輪駆動のワンボックス軽であった。後部座席に乗り込むと、別の男が座っており、助手席には買い物帰りであろうか、大きなスーパーのビニル袋が4、5包み置いてあった。
車は動き出し、なかなかUターンしないので、
「あのぉ、余呉は反対ですが。」
山坂が切り出すと、運転手は、
「いいから、おれたちの別荘に寄って行きなよ。」
と、
「と、とんでもない。もう遅いので結構です。ここで下してください。」
後部座席から運転席へ身を乗り出して言うと、右わき腹にチクッと痛みを感じた。
気がついたのは、何時のことだろう。土の上に下着だけでうつぶせだった。足首にはチェーンが巻かれていた。上半身を起こし、徐々に視界が回復していくと、薄暗い対面に同じ境遇の人が座りこんでこちらを覗き込んでいた。
「ダイジョウブ?」
向かいの若者は、東洋系の外国人であった。
「これは、どういうことだ?」
山坂は、同朋に聞いた。
「ワタシは、ワカリマセン。」
やや肌黒い華奢な外国人は声を殺すように答えた。土間の壁は石であり、洞窟のようであった。光の入る方を見ると、人の力では動きそうにない鉄板のような蓋でふさがれているようだ。その先から、複数の男女の話す声が、こもったように聞こえた。
同朋は、インドネシアから数人のグループで来た、滋賀県の企業の工場で働くワーカーであった。休みの日にコンビニで買い物した帰りに拉致されたそうだ。
二人はそれぞれの身の上話と、鉄蓋の向こう側の人間の想像話をしていた。すると、鉄蓋がズルズルと開けられた。
「さっきから聞いていたが、もう友達になったのか。」
車を運転していた男だった。
「この部屋は入った順番で、出られるんだ。」
ネシア人を引きずり出し、鉄蓋を閉めようとした。
「君たちは何者だ。何をしているのだ。」
山坂が大声をあげた。
「我々は、『かつどう』だ。」
「・・・・・・」
意味不明の回答であり、絶句した。
蓋の向こう側から、口論しているような騒がしい声々が聞こえてきた。どうやら、ネシア人が何かに対し抵抗をしているようであった。山坂は入口の方へ体を動かし、耳を外に対した。口論の声質の違いより外には十人くらいいるようであった。
「おい、逃げたぞ。なぜ鎖を外したんだ。」
「いいから、追え、追え。」
そこは、山の中であった。ネシア人は下着で裸足のまま飛び出した。連中は逃げ行く先をライトで照らすが、特定ができない。そこらあたりを散弾銃で射撃したが、当たった様子がない。散弾銃の音が止むと、遠くで鹿の鳴き声がさらに遠ざかっていった。
山坂は、静かになったかと思うと、遠くで銃声が響き、いっそう恐怖心が増した。それから一時間もたたずに、連中は戻ってきたようであった。
「まずいな。」
「いそいで荷物をまとめろ。ここは引き払う。」
「本部へは、移動中に連絡を取ろう。」
携帯電波が届かない場所であった。
山坂は穴の中に取り残された。外の喧騒が無くなり、自分の状況と裏腹に安堵感が生まれ、冷たい土間の上に寝込んだ。
捜索隊が来たのは、水曜日になっていた。
同朋であったインドネシア人は山中を走りまわり、ようやく見つけた民家にもぐり込んだ。警察に保護され、福井県の山中であった、ここの捜索も出された。
山坂は若干の衰弱があったが、次の日には娘とともに帰宅した。
病院で取材に来た記者に聞いたところによると、監禁されていた場所の横に大きな穴が掘られており、鹿の死体とともに、十人以上の人がバラバラに放り込まれていたそうだ。このことは、すぐにテレビで『かつどう とは?』という題目でワイドショーのネタとなっていた。
半年後、警察の捜査も進み、『かつどう』について明らかになってきていた。
『かつどう』は、学生を中心に組織され、イスラム国への傭兵等の派遣を行っていたのである。
福井県のアジトは、その派遣前の傭兵養成所の一つであり、民間人や外国人ワーカーを拉致して、その攻撃の訓練として、殺人や人体解剖などの材料となっていた。外国人ワーカーが狙われたのは、すぐに捜索がされにくいとの計算であった。
山坂は改めて、無事であったことを喜び、彼にお礼をするべく、滋賀県の工場を訪ねた。工場の総務にそのことを申し出たところ、マスコミの取材を嫌い帰国したとのことであった。代わりに同国の友人を紹介してもらい、住所でも聞けないかと面会した。
水色の作業服を着た、やはり小柄で、浅黒い肌の友人は言った。
「カレハ、イマ、シリアにイル。」
「・・・なんですって?」
「イキテルカ、ワカラナイ。」
山坂の命の恩人で、三時間の友人はイスラム国支援者であった。『かつどう』に殺されかけたが、主張は『かつどう』側の人間であった。
山坂は友人に対し、「このことは誰にも言わない方がいい。」と言い残し、用意していた謝礼を渡して工場をあとにした。