同行二人
山村は、休みとなれば趣味の山歩きに出ていた。住んでいるマンションの管理組合の会合の後で岡田に声を掛けられた。
「山村さん、いつもお休みに車で出られているようですが、登山ですか?」
「いやあ、単なる山歩きですよ。しがらみからの逃避でしょうか。」
「今度、連れてってくださいよ。」
「え、岡田さんも登られるんですか?」
「いえ、なにか趣味を持ちたいと思っていたんですよ。逃避したいのかな。」
「ほう、じゃあ次の日曜日なんかどうです?」
岡田はスケジュールの確認であろうか、会合でもいつも持ち歩いているタブレット端末を操作しながら、
「ぜひ。お願いします。」
これが、最初であった。
「山村さん、休憩しましょうよ。」
「ええ、ではそうしましょう。」(またか)
岡田は肥満体形でなくむしろ痩せ形で体力はありそうであったが、すぐに音を上げて、歩みも遅かった。
「すいませんねえ、山村さんのペースと違うんでしょう。」
「いやあ、初めてだったらしかたありませんよ。がんばって、がんばって下さい。」
岡田は休憩のたびにタブレットを操作していた。
「何をされているんですか?よけい疲れますよ。」
「せっかくだから、記録を付けているんですよ。」
岡田は下りは下りで、足が痛い、膝がおかしいと弱音をはいた。ちょっとした段差で立ち止まり、恐る恐る足を出していった。何組ものおばさんパーティーにも道を譲る必要があった。
山村は行程を四時間程度と考えていたが、駐車した場所に戻ってきたのは、午後四時で七時間以上かかっていた。隣で寝ている岡田を疎ましく思いながら、マンションへ二時間半の帰路を運転した。(まあ、次は無いな。)
岡田が山歩きに懲りて(次はないな。)そう思っていたが、山村の全くの見当違いとなった。毎週のように電話がかかってきた。「今度はどこへ行きますか。」
そのうち、慣れてきてペースも上がるだろうと、同行し出して六回目、下山時に雨が降り出した。雨具を着込み、ズルズル滑る山道で岡田の足はなかなか前に出ない。挙句には日が暮れ真っ暗となってしまった。
ずぶぬれになったため、下山後、温泉施設に寄ったが、「すいません。」の一言で自分だけビールを飲み、山村はまた、帰路を運転した。案の定、岡田は助手席でいびきを掻いて熟睡を通した。手に持ったタブレットは、イルミネーションランプが何回も瞬いていた。
こんなこともあった。歩き出して十分そこらで、休憩を求められた。すると山道の脇に座り込み、例のタブレットを操作し始めた。
「さあ、岡田さん行きますよ。」
二十分近くの休憩となったので、山村は切り出した。
「もう少し。」
岡田は水に口も付けずに、三十分ほど端末をいじっていた。
(ただでさえ、遅いのに。)
「ブログか何かを作成しているのですか?」
「まあ、そんなところです。」
岡田の手は止まらなかった。
山村は、以前の山行を行いたかった。岡田からの電話に対し、口実を付け断ることもした。
「仕事が忙しくなって、なかなか休みが取れなくなって、また今度行きましょう。」
月一度のマンション組合の会合では、顔を合わす。その日の会議が終わり、
「山村さん。先週も、その前も一人で山に行っていたでしょう。なぜ誘ってくれないのですか。」
「・・・」
「わかっているんですよ、朝六時でも五時でも、車で出かけるのを見ましたから。」
「・・・あ、あれは。・・か、会社の連中に誘われて、・・・来週、そう来週、〈大台ケ原〉に行きましょう。都合どうですか?」
「もちろん、OKです。」
(ストーカーか?何か変な奴につかまってしまったな。)
名古屋市内のマンションを早朝五時半に出て、大台ケ原の駐車場に着いたのは、午前九時過ぎとなった。名古屋は、山好きの者にとっては便利な場所で、鈴鹿山脈は近く、高速に乗れば、中央アルプス、南アルプスも日帰り圏内である。山村は、大台ケ原はロングドライブとなるが、アップダウンの少ないルートで、岡田の歩くスピードもましであろうと考えての選択であった。
大台ケ原の最高峰、〈日出ケ岳〉には、約一時間で登った。山村の思惑通り、岡田も最後の階段の登りで、苦労をしていたが、順調な足取りであった。大台ケ原は世界有数の降雨量を誇り、展望が利くのは宝くじを当てるようなものと言われているが、この日は周りの山々、熊野灘の太平洋も望まれた。
「いやあ、これが最高ですね、山村さん。」
「そうでしょう、岡田さんは晴れ男ですかね。」
以前、年齢を聞いたときは、山村のほうが三歳ほど年上であったが、お互いの敬語は変わらなかった。
東大台周遊コースを進み、尾鷲辻という地点で昼飯とした。そこで、岡田はまた、タブレットを操作し出した。
「さあ、天候もいいし、先に進みましょう。」
「・・・山村さん、申し訳ない。実は仕事のやりとりをしているのですが、どうも相手が込み入りまして。」
「やっぱり、仕事でしたか。いいですよ、待ちましょう。」
今日はいいペースでここまで来てたので、山村も付き合うつもりで言った。
「いえ、そうもいきません。山村さん、先に行ってください。」
これまでにない、思わぬ提案に驚き、
「大丈夫ですか、こちらを行けば駐車場の近道ですが。・・・わかりました、それでは車で待ってますね。」
「いえ、私もこれのケリがついたら、自分でバスででも、タクシーででも帰りますから。山村さんはゆっくり周遊してください。これだけ整備された道ですから、ひとりでも大丈夫です。」
「・・・そうですか。」
山村は、心配ではあったが先に進んだ。牛石ケ原から大蛇嵓と高原の散歩を満喫した。シオカラ谷の吊橋を渡り、駐車場に戻ったのは午後二時半であった。
そこで、三十分ほど岡田が来やしないかと待ってみたが、携帯にも出ず、気配がないのでエンジンキーを回した。(もう、先におりているのだろう。)
それから、四日後、マンションの管理組合の会長が、山村の部屋に来た。岡田が亡くなったので、来週香典を届けに葬式に行ってほしいというのだ。
「ほんとうですか?」
「なんでも、岡田さん、偽名でこのマンションに住んでいたみたいだが、勤めていた会社の役員か何かで、社葬だそうだ。山村さん、おつきあいがあったようなので、頼めないですか。」
「・・・は、はい。」
後で、新聞等で調べたら、岡田は「田岡グループ」のCEOであった。「田岡グループ」は中部地方でサービス企業を中心に今では二十社を越え、M&Aで毎年のように優良企業を傘下に組み入れていた。そのM&Aを一手に仕切り、クリーンな企業買収を行っていたのが、CEOである田岡であり、表舞台に顔を出さないトップとして、マスコミにも取り上げられ、有名であった。
葬儀はそのグループ各社やその取引先など大勢の関係者が参列していた。
山村は葬儀に向い、ある不思議な出来事を思い出した。二年前の母親の葬儀であった。山村は事情を聞かされていないが、身寄りは一切なく、自分の父親の話も聞かされていなかった。その葬儀は山村の家族のみでひっそり弔ったのだが、ある葬儀会社から墓を進呈されたのである。なんでも生前に母親が申し込んでいたとのことで、それは郊外の清楚な墓地で、割とりっぱな墓石であった。母親はそんな大金を持っているはずもなく、葬儀会社は、いわゆるくじのようなものに当たったと説明した。
山村はまさか、あの後大台ケ原で事故とかがあったのか懸念があったので、葬儀後会社関係の集まっているかたまりに近寄った。
「あのう、岡田、いや田岡さんのマンションのものですが、いっしょに山に出かけてその後連絡がなかったんですが、死因のほうは、まさか、その時の事故でしょうか?」
すると、やや後ろの方から一人の男が出てきて、
「山村さんですか?マンションの?」
「は、はい・・・。そうですが。」
別の会議室に連れて行かれ、弁護士の名刺を差し出したその男が言った。
「田岡CEOは、業務上のトラブルにあったんですよ。」
「わ、わかりました。詳しくは結構です。あの山、大台ケ原で、田岡さんを置いて行った形だったもので、もしかしてそのあとになにか、と気にしてたので。そうでなくて、私は結構です。」
山村は、業務上のトラブルについて、表に出るのを恐れ、この会議室に連れてこられたものと考えたが、
「山村さん、実は喪主をお願いしようかとも思ってたんですよ。」
「なんですって?」
「岡田さん、ご家族は?」
ある山行で山村は聞いた。
「私は、天涯孤独なんですよ。養護施設出でね、昔は孤児院などといったところですよ。たぶん、捨て子です。それもあって、家族を作ることも憶病なんでしょうね。この年まで未婚です。もちろん子供も作っていません。」
「そうでしたか。さびしくはないですか。」
「その施設はいつも二十人くらいいましてね。みんな兄弟ですよ。今でも付き合いがあります。」
「なるほど、その点、私は一人っ子ですから、よく友人の兄弟を羨ましがったものですよ。また、父を知らされず、母と二人っきりでしたから、・・・。だから妻と結婚して子供も三人、なんとか育っています。」
岡田が身寄りがないのは、聞いていた。しかし、喪主をするほどの付き合いではない。
「田岡CEOから何も聞いていないのですか。」
四十年前、三歳の山村は母親におんぶされ寝ていた。
「ごめんね、ごめんね。」
母親は毛布にくるんだ乳飲み子を、巡回で留守となっていた交番の椅子の上に置き去った。その乳児も母親とのわかれとは気付かず、毛布の中で熟睡していた。
「CEOは自分を捨てた母親を恨んでましてね。探偵社を使って、探したんですよ。何人もそれらしい女性があがりましたが、DNAで一致したのがあなたのおかあさまだったんです。」
「・・・・・」山村は声が出なかった。
「その後、それとなくお母さんを見ていたのですが、恨みは全くなくなったと言っていましたよ。人それぞれ事情があるのでしょう。」
「じゃあ、あのお墓は、」
「ああ、CEOに言われ、こちらで手配しました。遺言で自分もその墓に入れてくれとあります。死期がわかったのでしょうかね。墓に入るために山村さんに打ち明けなければと、あのマンションに偽名で入りました。」
「そうだったんですか。」
「企業買収ってなぜかブラックなイメージお持ちでしょうが、事実買収される側から理屈の合わない恨みを買うこともありますが、CEOはできた人でね。グループの会社の要職に養護施設で一緒だった人たちを採用しています。なんでも施設で教えてもらったパソコンでのし上がったようなものだといって、資産の多くは各所の施設に寄付しています。」
(自分に弟がいたなんて。それが岡田さん、いや田岡グループのCEOだなんて。)
「もう一度聞きます。死因は仕事のトラブルですか。大台ケ原からどうやって帰ったのですか。」
「彼は、表に顔を出さないトップとして有名で、実際、偽名を使ったり身を隠す癖がありますけど、グループにとっては、失ってはならないお方です。グループとして常に監視をつけ、身を守ってきました。もちろん、山村さんと行かれていた登山でもです。この前の大台ケ原でもです。」
「はあ。」
「駐車場には、警護を配置していました。・・・」
「やはり、一人にしたのが、まずかったんですね。」
「・・・・・」
後日、山村の母親の墓に田岡の納骨がなされた。
遺言により山村に多額の遺産が入ったが、名古屋市内の児童養護施設にばらまかれた。




