掛捨て
山岡はナビに従い、中央自動車道、中津川インターで降りた。深夜一時を回っていた。国道のコンビニに寄り、さらに北上し、暗闇の細い道に入り、目的地の駐車場に着いたのは二時半であった。
金曜日の仕事を終え、自宅で食事をして、山行の準備をし、マイカーで出たのであった。近い場所であれば、早起きをして車を走らせるが、遠出の場合にこのパターンを多用した。夜中のうちに登山口に駐車し、車中で仮眠して、早朝に登り出すのであった。
今回の山は〈御嶽山〉、駐車したのは田の原の登山口である。星空が素晴らしく、明朝の登山に期待を膨らませた。駐車場には同朋の車が二十台ほどすでに停っており、また三台ほど入ってきていた。
山岡は、運転の疲れはあったが、さらに睡眠を深めるためにコンビニで買ってきた日本酒を二百CC飲んだ。車中は狭く寒さもあったが、持参していた寝袋にくるまって寝込んだ。
周りが少し白み出し、車の外がざわつきだしたので、五時前に眼が覚めた。山岡はまだまだ眠れるのであったが、意を決して飛び起きた。服装は自宅を出るときに済ませており、コンビニで買った昼飯のおにぎりもザックに詰めてあった。登山靴を履けば準備OKで、菓子パンで朝食を済ませ車を出た。
朝到着であろうか、駐車場の車も三十台を超えているようであった。見れば八人の団体さんが今にも出発しそうであったので、先行すべく登山口に向かった。
太陽そのものはまだ東の山から出てきていなかったが、足元の登山道は問題なく、頂上への道標に従い登って行った。いつの間にか太陽が見えており一時間半ほどであろうか、〈大判山〉と書かれたピークに出てザックを下した。
山岡は、何か違和感を感じた。〈御嶽山〉は初めてあったが、日本百名山にも選出されている登山者のメッカであり、地図も用意していなかった。先に見える大きな山が〈御嶽山〉であるはずだったが。
そこに夫婦連れの登山客が上がってきた、
「こんちわ」
山岡は聞いた。
「頂上までどれくらいですかね。」
夫のほうが、
「まだ三時間くらいじゃない。〈恵那山〉まで。」
「・・・・・。」
夫婦が先に出て、山岡は考え込んだ。
(おかしいな。どこをどう間違えるのだ。)
三十分は動くことができなかった。
(ナビのセットを間違えたかな?いやそんなはずは、)
山岡は考えるのをあきらめた。
(まあ、いいか。取り合えず頂上に上がろう。)
再び歩き出し、たまに出てくる道標に『恵那山富士見台縦走路』とあった。
天候も良く、景色も見え隠れし山岡は〈恵那山〉を登頂した。登山をじゅうぶん満喫し、駐車場に戻ったのは、午後二時ころとなった。先に下山していたグループが携帯電話を覗き込みながら何やら話していた。
「何かありましたか。」
グループに向って尋ねたら、
「〈御嶽山〉が噴火したって。」
九月二十七日のことであった。
山岡は駐車場を後にし、風呂にでも浴びようと運転していた。と、傍らの携帯電話が着信した。自宅の妻からであった。
「よかった、あなた、大丈夫?」
「なんだよ、急に。」
「テレビで噴火したっていうから。」
車を止め、ラジオを点けた。ラジオでは〈御嶽山〉の噴火の被害を告げ始めていた。そこに、また携帯が鳴った。今度は非登録の番号であった。
「山岡さん、〈恵那山〉登山どうでしたか?」
「え、誰ですか?」
「失礼、山岡さんが申し込みになった、登山保険のベスト生命です。」
「・・・確か、山行計画で〈御嶽山〉としていたはずで、〈恵那山〉に登ったと何故わかるんですか?」
「あっ、・・・。失礼しました。」
担当が電話を一方的に切った。
山岡は確かに3日ほど前にベスト生命の山岳保険にインターネットで申し込んでいた。ホームページの申込書には、登山日、山名、登山コースもプルダウンで選択できた。それらを入力しなければ、保険が有効でないとも書かれていた。
山岡は、ペットボトルに残っていたお茶を一口含み、着信番号に返信した。
「はい、ベスト生命です。・・・あっ、山岡さんですか?」
向こうでも着信番号が出るのであろう。
「あのう、質問に答えてくれませんか?」
「・・・、いやあ、まいりましたな。あまりにもうまくいったので、つい様子うかがいに電話しちゃいました。」
「・・・?うまくいった?」
ベスト生命の担当は観念したようで、不思議なことを説明し出した。
「五百円の掛捨てで、二千万の死亡保険ですよ。私どももお客さんに簡単に死なれたらこまるんですよ。」
「・・・?」
「当社は優秀なブレインを持ってましてね、危ないって言うんですよ。〈御嶽山〉が明日にでも噴火すると言いましてね。調べたら五十人ほどのお客様が〈御嶽山〉に登ることになってまして、」
「・・・?」
「十一人の団体さんは、バスを細工したんですが、山岡さんはすでに田の原で就寝されていたので。本当に危なかったんですよ。」
「・・・だから?」
「だから、寝ている間に神坂峠に移動してもらいました。」
「・・・?おれは三時間も寝てないぞ。どうやってそんなことができるんだ?」
「うちは、機動部隊も充実してまして、あっ、これは他言しないでくださいね。命が守られたのだから、あまり気になさらないで下さい。」
「ばかなことを言うな、」
「もし、世間にばらすようなことをすれば、機動部隊があなたを処理しますよ。山岡さん。」
逆に脅され山岡はぞっとした。
「し、しかし、もしそのことが予知できたのなら、地元市町村なり、国なりに報告すれば被害もないのじゃないか。」
「こういうことは、誰も信じません。山岡さんに事前連絡したら、信じて登山をやめますか?・・・私どももお客さんから五百円を集めて運用し、利益を追求しています。お客様を守れば利益の追求となるんです。」
「とんでもない会社だな。」
「何と言われようと構いませんが、山岡さん。くれぐれも他言なさらないように。」
山岡は、後に噴火での登山者の被害が増えていくのを気に病んだ。
一月後、山岡は紅葉の〈八ヶ岳〉に登る計画を立てた。保険はベスト生命にインターネットで申し込んだ。保険料は八百円に値上げされていた。
すると、すぐにベスト生命からメールが入った。
『お申し込みありがとうございます。お気をつけて楽しんで下さい。』