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私は「やがてめざめる魔女」を図書館から借りては返し、借りては返しという生活を何年も続けていた。発行した出版社は潰れているから自分の「やがてめざめる魔女」を取り寄せる事も出来ないし、古本屋でも全くお目にかかれないからだった。いっそ盗んで自分のものにしてやろうかと思ったけど、邪まな気持ちにヴィオリータが染まったりしたら大変なので我慢した。
どんなに忙しくても図書館の貸し出し期限ギリギリの2週間毎には図書館に訪れた。受付の人は全員覚えた。「やがてめざめる魔女」は私以外の注目を集める事は全くなく、毎回私は無事に借りる事が出来た。受付の人は何度も同じ本を借り出す私を何とも思わないようだった。見上げたプロ根性だ。私なら絶対に何か言ってしまうだろう。何で同じ本ばかり借りるのか。そんなの題名を見れば分かるか。いや、読んでない人には分からないだろう。この本はただの小説とは違うんだから。それとも魔女を本気で志すもの以外にはただの空想小説なのかもしれない。
中1の時、隣町の一戸建てに引っ越す事が決まった時、私は図書館が遠くなる事だけが悲しかった。親は念願の庭付きの家を手に入れたことを無邪気に喜んでいたけど、私はただひたすらわが身を嘆いた。魔女の修行を始めてから私は周りからどんどん浮いていたので、友達関係で悲しむ必要はなかったのは幸いだった。
中1の終わりという時期もあってか、転校先の学校でも大して注目もされず、無難に卒業を迎えた。新しい家で大不満なのはやっぱり暖炉がない事だった。どうせなら古びた洋館を買ってくれたら良かったのに。普通の家なんてダサイ。親は私が魔女になろうとしてる事になんか興味がなさそうだったからしょうがないのか。私の秘密を教えてもないから彼らが知る訳がないのだ。だが、あえて言いたい。親なら少しは察しろ。
なんで今更家をかったのかが理解に苦しむ。9つ上のトモ兄は昔から犬が飼いたくて仕方がなかったのに、前のマンションでは飼えなかった。が、すでにトモ兄は就職して県外にいた。意味がない。老後のためとか、親も親なりに考えた結果の決断なんだろうから、子供の私にはどうにもならない事だが暖炉のない家なんかがっかりなだけだ。
引っ越す事が決まった時、お母さんが「犬かネコを飼おうか?」って、目を輝かせながら言った事がある。私は首をすくめた。
「飼いたいなら飼えばいいじゃん。私はいらない」
お母さんは呆然としていた。馬鹿じゃないだろうか。
娘の冷めた態度に傷ついたのか、家にはペットはいない。一番飼いたかった人がいなくなっているのだから仕方ない。当然の結果だと思う。
私は使い魔として、猫やカエルやカラスなんかを飼っても良かったけど、そういう目立つものはなるべく後で揃えた方がいいような気がして、すぐには飼う気にはなれなかった。第一ペットとして親から干渉を受けたくなかった。私だけの使い魔を育てるには親は邪魔だった。お母さんは例えカエルを飼う、と私が言い出しても、10日もすればウキウキと私のカエルの世話を勝手にするようになるだろう。彼女はそういう人なのだ。そんなのまっぴらだ。黒猫を街中でみかけるとうずうずと左手の先がしびれることもあったけど、やっぱり我慢した。使い魔を探すにはもうちょっと余計な時間がいる。先に親が自分のペットを飼ってくれたらいいのに。
高校からの帰り道、私はちょくちょく図書館に寄ることに決めていた。最長2週間毎とはいえ定期的に図書館通いを必ずしなくてはいけない私にとって自宅と高校の間に図書館がくる事が望ましかったのだが、何とか希望が叶ったのだ。これからはバス代もいらない。自転車を汗だらだらかきながらこがなくてもいい。何しろ定期があるからだ。高校生になって本当に良かった。
しかし、せっかくの定期を使って図書館に行く予定の第1回目の今日、明日に控えた高校入学テストというありがたくないものの実施の為に新しい魔女の本を探したり、読んだりする時間のない私はまっすぐカウンターに行って手続きをしてそのまま帰らなければいけなかった。
せっかく図書館に通うなら図書館で勉強すればいい、と親は何度も言ってくるけど、図書館で勉強する人の気が知れない。静かなイメージが一般的にあるけれど、あそこは意外にうるさいから。何より本たちがざわざわしているのがうるさいのだ。私が魔女へと歩き出したからそう思うのかは謎だけど、今日も何人かの学生らしき人間が勉強している姿が目に入り、不愉快だった。鈍感なヤツラめ。
本の背表紙を見ているだけで吐きそうになる時がある。本の中にあふれんばかりの文字が詰まっている事は疑い様のない事実。魔法を使う時には呪文が必要だ。それにしても呪文が載っている魔法の本は一体どこに行けば見つかるのだろう。
『魔女は呪文を多く知っている。自分で作る事もあるが、昔から使われている呪文を利用する事が多い。一部の魔女は全部自分で作り出す。これはそれが有効な呪文であるかどうかは試して見なければならないので大変危険で手間のかかる方法である。人間から魔女になるものにはお勧めできない。人間の寿命が一つの呪文を見定めている間に終わってしまう可能性があるからだ。それに、自分の呪文に捕まってしまった魔女見習いを私は知っている。
魔女の呪文が載っているのは、もちろん魔法の本である。普通の本のフリをしている本もあるので確認には十分注意したい。それ自体が魔法を使えるのだ。使い込んだホウキとは比べ物にならないが、ある程度の魔法が書いてある本なら200程度の世界を飛ぶ際に基盤として利用も出来る。別の世界で呪文が必要になった際に呪文の確認も出来る為、飛ぶ時には魔法の本を基盤としての用途以外でも携帯する魔女は多い。
記憶も呪文で思い出す事は出来るが、複雑な上面倒な呪文が多いので荷物にならない限り魔法の本を携帯する事を私はお勧めする。
もちろん本を空間に隠し、必要な時だけ取り出せるようになれば楽なので、最終的にはそれをお勧めする。私はまだそこまでの力がない。空間に何冊の魔法の本を流してしまったかはもはや数えることが出来ないくらいだ。』
デニングは魔法の本については説明してくれているのに、肝心な呪文については教えてくれない。何度も「自分で作ろうか」とも思ったけど、自分の呪文に捕まるという事を想像しきれないので踏み込めないでいる。それってノイローゼ状態って事なんだろうか。何となくイメージするデニングの「捕まった魔女」は本当に不気味だった。あまりクリアに想像したら魔女になるのを止めてしまいそうだから想像しきれないのかもしれない。
小さい頃テレビアニメで見た魔女達は何の苦労もなくある日突然魔法を使えるようになっていたのに。魔法って簡単だと思っていたのに。あれがどんなに紛らわしく危険な情報であるか、私は魔女になる修行を始めて思い知った。
例えば、今私の手の中にキャンディーを取り出すとする。そのキャンディーが幻ならば別に問題はないが、実際に食べられるものなら、加える力の大きさは計り知れない。砂糖や水あめ。その他香料や着色料?
とにかく、具体的にキャンディーに何がいるのか細かく把握して、さらにその材料を世界のあちこちから少しずつ失敬して、キャンディーを作らなくてはいけないのだ。それから魔法で作ったキャンディーが占拠している体積分の空気をどこかへ飛ばさなくてはいけない。そのままだとキャンディーの周りの空気が圧迫されているからキャンディーが存在できないのだ。お店でキャンディーを買ってきたほうが、魔法で取り出すよりもずっと簡単だ。
私は魔法って杖を一振りでキャンディーを無限に目の前に出せるものだとばかり勘違いしていた。
もちろん、私がちゃんとした魔女になれば、違う世界からキャンディーを飛ばして、その空気をそのキャンディーをもらった世界のその部分にすげ替えるだけで済む。それが魔法の力だ。だけど、それには有効で丈夫な呪文が必要だ。でも、私にはそれを知る為の本がなかった。
空気をキャンディーにする事は出来ない。無から有は生まれないから。もちろん幻のキャンディーなら別だ。魔法はちっとも万能じゃないのだ。修行を続けるうちに分かった。
『魔法を万能のもの、例えば神の力や奇跡のように感じているのならば、すぐに修行をやめて人間としての幸せを追求した方がよいであろう。その方が簡単だし、実りも多い。魔女への道は平坦ではなく障害も多い。
寿命をいじる事は理屈から言えば可能である。が、もちろん魔女はそれをしない。魔女の死については後で別に述べる。
他の世界から何かの命を飛ばすのは簡単だ。すげ替えていくことにより、無限に近い命を紡ぐ事は出来る。
しかし、それにより世界のバランスは確実に崩れる。命に関して魔女は関わらない。不老不死の錬金術を魔女の生業とするのは「魔女」ではない。一つの命、例えどんなにはかない小さな命であっても、その寿命をいじった時の代償は大きい。宇宙空間を巻き込むほどの異常事態になるのは簡単なのだ。魔女は自然界のバランスを保ち続ける存在ではない。魔女は調律師ではないのだ。
魔女よ、命に関わることなかれ。これは警告である。』
世界を魔法で思い通りに出来るのにやらないなんて、魔女って何て自制心が強いんだろう。私なんか例えば明日のテストをうけなくて済むようにする為ならどっかの大陸が沈んでも構わないのに。もちろん実際にそんな事になったら後悔するに決まってるけど。




