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世の中には不思議が沢山ある。楽しい事から怖い事まで沢山の不思議。どうしてこんなに不思議で答えの中々見つからない事が沢山あるんだろうって時々うんざりしてしまう。その重みで生きることが嫌になっちゃったって錯覚するくらい。
その全ての謎を解き明かす為に魔法使いになる事にした。全ての正しい答えは魔法でなら調べられるはずだから。って事で、まずは魔女のなり方を調べないといけない。魔法は魔女でなければ使えない。
杖で「アブラカタブラ」って呪文をかけたら、謎の答えを手に入れてる。それって最高じゃない?呪文で何でも出来るってお手軽でナイス。想像するだけでわくわくしちゃうものだ。
魔女になる事を決心してからの最初の日曜日、早起きして市立図書館に出かけた。魔女になる方法を調べなくちゃ。すごく楽しみ。朝の空気は気持ちよくて太陽も楽しそうだった。全てが笑っているみたいにキラキラ輝いている、5月の日曜日だった。魔女になる決心をして行動を起こすにはちょっと不似合いなくらいの上天気だった。だって魔女が魔法をかけるのは夜に決まっているから。明るい中かける魔法なんてうさんくさくていけない。だけど夜中に開いてる図書館なんてない。子供は夜中は外に出られない。どっかで妥協しないと。
実際に図書館に行ってみると、驚くほど必要な本がない事が分かった。魔女のなり方の本が置いていなかった。図書館って予想外に役立たずな場所だった。もちろん、それは間違いだったって後で知ることになった。でも、その時は知らなかった。何しろ子供だったから仕方がない。子供って目の前の事に気がつくのがやっとなんだもん。時には大人より賢いけど無知なのは確かだ。
私が行った市立図書館は必要な本が山となっている万能な図書館ではなかったので、とりあえずタイトルに魔女と名のつくものをかたっぱしから読んで知識をつける事にした。読むほどに本によって魔女も様々でますます色々分からなくなった。もちろん1日じゃ足りなくて、何度も図書館に通う事になった。学校の図書室も利用した。
魔女と名のつく本はうんざりするほどあった。中にはちっとも役に立たないものも多かった。子供だましの魔女の話なら表紙にそう書いておいてくれればいいのにそんな親切な本は一冊もなかった。読む時間も惜しいほど私は今すぐ魔女になりたいのに。タイトルに魔女と書いていなくても魔女に関する本は多いのかもしれないけど、そこまで調べる時間はなかった。
何冊も読んでいくうちに魔女になる為に重要と思われる大まかな共通点をいくつか見つける事に成功した。
魔法アイテムを持っているか、持っていないか。魔女になるには必要なものが沢山あった。必要、と言うよりも、持ってないと魔女とは言えないもの。
魔法アイテムを集めるのは本当に大変だった。まずは魔女鍋。鉄、またはスズの魔女鍋なんて小学生のおこづかいではとても買えない(というより、どこに売っているのかわからない。外国だろうけど)し、ぐつぐつ色んな物を煮詰める為の暖炉もなかった。こんなんで大丈夫?
暖炉はサンタとも関わりが深い「不思議」につながる重要なもののはずだった。どうしても欲しかった。仕方ないので自分で作る事にした。まず、レンガ。いくつ必要?煙突も。うちはマンションの4階。このマンションは8階建て。ずい分と長い煙突がいる。しかも、私の部屋からまっすぐ煙突を伸ばすには少なくとも4つの部屋に穴を開ける(私の部屋から垂直に煙突を作るにはそうするしかない)ことになる。どうやって頼もう。思わず大人たちが「いいですよ」って言っちゃう言い方ってある?3日間ずっと朝から晩まで考え続けて、2日遅刻し、授業中に3回立たされ、1回いのこり掃除をしてもアイデアは何も思いつかなかった。親からも先生からも友達からも怒られっぱなしの生活にうんざりして、暖炉はひとまず諦めた。
何でもお金もいるけど、頭も使うものだ。お金はどうしようもなくても、頭は日々使うんだから少しづつ賢くなってるはずで夜にはいい事を思いつくかもしれない。希望は捨てなかった。
暖炉や魔女鍋以外にも問題は山積みだった。杖、魔女のホウキ、薬草。干からびたドラゴンなんてどこにいけば手に入るのか。水晶球。その辺に売ってるんじゃない、本物のタロットカード。
長期戦になりそうだった。現に本を読んで調べている間に私は小学生を卒業してしまったのだから困ったものだ。ひたすら本を読んでいるだけだった。時間が経つのは恐ろしく早かった。
気の短い私は全く別の方法で少しずつでも魔女に近づく事にした。私は数ある魔女本の中でも一番気にいった「エルシー・デニング著。やがてめざめる魔女」という本をお手本にする事にした。実際に人間から魔女になった人の話だ。作り話(百科事典とかお堅い本のコーナーに置いてなかったから)かもしれないが、参考になる事は満載の本だった。
著者の魔女になりたかった動機も気にいった。自分を醜いと言った男に対する仕返しとして魔女を選ぶなんてスゴイ。容易な整形や暗殺に走るのではなく、魔女へと向かった心意気が気にいった。遠回りな上、最低男に対する未練まで感じさせる選択。よっぽど最低男が好きで、よっぽどひどいことを言われたんだろう。ふられた経緯は書かれていなかったけど、未だ恋愛経験のない私にすらその熱い気持ちは伝わった。私に失恋経験があったら号泣したかもしれない。
デニングは魔女についてこう書いている。
『魔女には大別して、生まれつき魔女と修行して魔女になった魔女がいる。違いは魔女の血が流れているかどうかだが、どんな魔女になるかを別とすれば大事なのは魔女の「血」ではない。魔女の血が必要となるのはいずれ訪れる昇級審査の類いのものであり、大魔女や魔女様になるつもりがない大半の魔女にとっては無関心な事である。魔女独特のプライドの高さから生まれつき魔女の方が一段高い気位を持っている感は否めないが血統を重んじる重要性は魔法の力の強さと比例しない。
魔女にとって一番大事なのは名前だ。名前により自分の力の強さが現される。魔女名を新たにつけようとする見習い魔女を目指す人間にとっては特に、その名を非常に慎重に、心してつけるべきである。
もちろんたいがいの場合自分でつける前に名前は決まっているものだ。それを見つけられるかどうかが最初の砦とも言えよう。
魔女の名前の中で一番重要なのは秘密名である。魔女は必ず持っていて、魔女かどうか見分けるには秘密名があるかどうかが一番分かりやすい。それを持たぬ者は魔女にはなりえない。
中世の魔女狩りで人間達は秘密名の存在にまるで気がつかなかった。狩った相手が魔女ではなかったからだ。実際に暇つぶしに火あぶりになって断末魔の悲鳴をあげてみた魔女も実は何人かいるのだが、殆ど全部と言っていいほど処刑されたのは罪もないただの人間で、その多くが普通の女性だった。
当時の魔女達は魔女狩りを人間達が楽しんでいる祭りの一種だと思ってほったらかしていた訳だが、実際に行われていた事が魔女の名を借りた虐殺であった事を知り、後日嘆いた。嘆いたのはもちろん少数だ。殆どの魔女が気に留めなかった。それは魔女が冷たいからというわけではなく人間が自分達で解決すべき問題だからだ。魔女ならば魔女狩りなど意味のないものに時間を割いたりしない。自らが狩られる事に対する恐怖等ではなく、実行不可能な事だからだ。これについては魔女の死の項で述べる事にする。
さて、魔女になろうとしているあなたに問う。あなたには誰にも知られない、自分の心の中ですら口に出せない秘密の名前があるか?』
「やがてめざめる魔女」はまだまだ子供の私にとって難しい本だった。大体これから魔女になろうとしている人に魔女狩りの話なんかするあたり、意地悪だ。意地悪って魔女のイメージにぴったり。私は意地悪になりたいから魔女になりたいわけではないんだが。
デニングの話は面白くて読まないでは、そして考えないではいられなかった。
私は自分の秘密名についてじっくり考えてみた。坂巻すみれ。この名前以外に私に秘密の名前なんかあるのか。魔女名にしたって私は何て名乗ればいいんだろうか。これからずっと、もしかしたら何百年も使う事になる名前。慎重につけなければ。もとい、探さなければ。
自分に他にも名前があるとしたら、自分の今の名前に似た名前だと何となく思った。すみれは英語でヴァイオレット。小3の時にお母さんが教えてくれた。ヴァイオレット。うん、いいかもしれない。でもそのままではダメだ。魔法を使う為には丈夫にしなくちゃ。デニングも言っている。
『魔法を使う為には何でもまずそれが丈夫かどうかを確かめなければいけない。呪文の途中で壊れてしまうようなヤワなモノを基盤にして魔法をかけたりしたら、魔女として失格だ。
魔女ならば魔法に対してゆるぎない確信を持たなければならない。全ての魔法に対しその精神で立ち向かう事が出来たなら、魔女としてかなりの腕を持った魔女と言えよう。無論その時の称号は魔女様と呼ばれるものである事が多い。そのぐらい魔法を完璧にかけていくことは困難である。
丈夫でないものは丈夫にする必要がある。例えば私の魔女名ウリーピは元々英語のripe、熟した等を意味する単語であるが、丈夫にする為に力を加えて捻じ曲げた。ライプのままでは私は魔女見習いに辿りつく前に潰されていただろうが、ウリーピはそんな目にはあわない。丈夫でないものは丈夫にする必要がある。これには初期魔法から高等魔法まであらゆる魔法が使われる。丈夫にする方法はいくつかあるが、呪文を使うのが一番容易である。薬を作るのは時間がかかるうえ、失敗すると危険も大きいためある程度の力を持った魔女向きである。力のない魔女では薬が失敗かどうかの判別が容易ではない。ましてや他人が作った薬では。材料集めから、作り方に至るまで、他人に頼っていては魔女とは言えない。魔女に学校はないのである。
本当を言うと、この本も本来ならあまり役立ててはいけない。ただ、真実を示すものは学ぼうとする者にとっては重要であると私は考える。だから、記した。
さて、魔女に学校はないが、魔法を学ぶ事の出来る場所はいくつかある。それは魔法学校として機能している場所もあるし、どうしても安定性だけを重視するならばそれを選択するのもいいだろう。だが、その場合は二度とこの本を開かない方がいい。相対する力はやがて己を蝕む。どれだけの犠牲を払って「学校」で学ぶのかは分からないが、瞬きをする間もない間に魔法は消え去るだろうから。私は「学校」で学んだのではないし、「学校」になる気もない。』
ヴァイオレットを丈夫にするにはどう捻じ曲げたらいいんだろうか。私は自分の秘密名探しよりも先に魔女名を完成させる事で自分に自信をつけようと思った。一番大事な事だって思ったからだ。「ヴァイオレット」という言葉をずっと頭に思い浮かべていたら、紫の洪水に襲われているような気分になってきた。これがデニングの言っていた潰しってヤツ?
私はずい分と気味の悪い不安な夜を何時間も過ごした。でも、それだけの事はあった。明け方になって、私は魔女名を手に入れたから。
ヴィオリータ。私の魔女としての名前。それが思い浮かんだ時、私の中に空白があるのに気がついた。きっとここに秘密の名前があるって感じた。大丈夫。私は魔女になれる!
秘密名の存在も確信した私は次のステップに上がる事にした。
『本来地球上における魔女というのは元々薬師や産婆だった者を指す事が多い。確かにあるべきものをあるべき形に誘導するのは魔女らしいと言える。
魔女は無から有を生む事はありえないからだ。そう見える場合は別の世界、もしくは空間から「借りてきた(奪った)」に過ぎない。その行為を「飛ばす」と言い、魔女自身が世界や空間を移動する事を「飛ぶ」と言う。
これが本当の魔女の飛び方だ。いわゆるありがちなホウキにまたがり空を飛ぶという行為は意味をなさないものである為、本来魔女が行うとも思えないが、見習い魔女の誰かがホウキを基盤に魔法をかけた際に生じる一種の浮遊力で遊んだ事が元になっているようだ。
実際私もホウキにまたがって空を飛ぶことこそ魔女としての醍醐味だと初めは思っていたので、わざわざ満月の晩を選び何度か飛行してみたが、上の段階に進んだ際にはその子供じみた行為を二度としなくなった。多少残念ではあるが本当に「飛ぶ」事の方が面白いのでは仕方あるまい。飛ぶことと浮かぶだけでは比較にもならないのだ。
魔女とは魔女宗を信仰するもの。すなわち自然を理解し愛する力を持つものである。土、火、風、水、大気に親しむ事は何よりの修行である。
魔女を目指すものよ、窓を開け、天に向かって両手を差し伸べよ。その中に何がつかめるか。次の修行の始まりだ。』
デニングの修行は魔女鍋や薬草等道具よりも精神の方が重要視されていた。これならお金は必要ないので子供でも出来る。物足りない感じはするけどさ。とにかく魔女っていうのは気が長いらしい事はよく分かった。
デニングは自然に耳を澄ますことに最低でも半世紀はかけたい、等と無茶な事も書いていて、それを読んだ時には唖然とした。そんなに年と取ればホウキで空を飛びたくなくなるに決まっているじゃないか。
本の後ろについている作者紹介がこの本には全くないからデニングは一体何歳なのかは分からない。この本が発行されたのが1975年だからもう死んでいるかもしれない。実際に自分も同じ修行をした後にこの本を書いたのだとしたら、デニングがいくつから修行を始めたのは謎だけど、10歳から修行を始めても1975年には60歳にはなるんだから21世紀の今はもう死んでいるかもしれない。それとも魔女だからまだ生きている?
その日から、私も窓を開けて空を眺めた。朝も夜も暇さえあれば空を眺めた。面白さなんかまるで感じなかった。これを50年もひたすらやってたらそりゃ何らかの力もつきそうだ。私はやってられない気分になり、図書館で他の参考になりそうな魔女の本を探した。やっぱり役立たずの本が多い中、それでも何冊か見つけた。
魔女宗に関してはかなりグロい儀式や意味の分からない儀式をやる集団なんかもいるらしい。素っ裸で踊るとか。焼けた灰の上を歩くとか。子羊の生き血を飲むとか。そういう魔女のグループを見つける方法は知らないし、仲間になるのも嫌だったので、まどろっこしいが結局デニング方式で様子を見る事にした。デニングのやり方では誰かを傷つけることがないから。まだ力のないうちに変な魔法を使ってその跳ね返りで台無しになるのもごめんだった。
ヴィオリータは自分の血も含めて、血を一滴も流さないで魔女になりたかった。ホウキで空を飛びたいのなら別の師を探した方がいいのかもしれない。それこそどこにあるかは分からないけど「魔法学校」を探すとかね。でも、私がなりたい魔女にはデニング方式で十分間に合うはず。デニングはお金や儀式の要求しなかったけど、時間を要求したのだという事に気がついたのは私が高校生になった春のことだった。