第8話 芸術家・佐刀竹光(中編)
佐刀竹光
日本史史上において、もっとも絢爛豪華な時代とされる、億川鷹飛車の治世に生まれ、芸術家の中の芸術家、創造者の中の創造者と呼ばれる程、世界的にも類を見ない真の芸術家であった。
竹光がそう評される由縁は彼の作品ではなく、彼の信条にあった。
若い頃の竹光は、その時点ではある意味普通の芸術家であった。
と言っても既に竹光の作る作品は高く評価されており、竹光の名は世に知れ渡っていた。
しかし、竹光はこの現状に不満を持っていた。
「作品が評価されるのは悪い事ではない。しかし、私自身が真に評価されるべきと思うのは、作品を作り上げているその様である。完成した作品は完成された作品でしかない。そこに新たな創造の余地は無い。創造の余地がないほど完成された作品より、今まさに創造している様、創造性が溢れ出ている様こそ、真に美しく、芸術と呼ばれるべきものである」
それが竹光の信条であった。
しかし、周りの者でこの考えに賛同するものはいなかった。
「あなたの作品は素晴らしい。しかし、それを作っている姿を見ても仕方がない」
「作品を作っている様子など、その一瞬でしかなく、家に飾って愛でる事も出来ない」
「形としてそこにあってこその芸術」
と言った意見の者ばかりであった。
「芸術において、作品において、形のあるなし、残る残らないは意味がない。例えば壺を作ったとして、それが百年残ろうが、次の日には割ってしまおうが、その壺の持つ芸術性には関係がない。ならば例えそれが一瞬一瞬の事であろうが、それは芸術ではないのか」
竹光のそうした反論も周りの者には受け入れられなかった。
自分の評価してもらいたい事が評価の対象にすらならず、さほど意味のない事で祭り上げられている現状は、竹光の精神状態を非常に不安定にさせ、その後三年ほど竹光はパッタリと作品を作らなくなった。
そして、人々が竹光の新しい作品を見ることを諦め始めた時、竹光は新たな、全くもって新たな作品を発表した。
その作品はまさしく、竹光の評価してもらいたい事そのものであった。
竹光は、とある小さな芝居小屋を半年間借りきった。
竹光はそこで、作品を作る自らを見世物と、作品としたのだ。
「私の作品を作る姿に真の芸術性を見出してくれれば、お客さんは毎日でもお金を払ってこの芝居小屋に足を運んでくれるだろう」そうする事で、竹光は自らの評価してもらいたい事を評価してもらおうと考えたのだ。
しかし、お客は入らなった。
初めの一週間ほどは、冷やかしがてらの客が来ていたが、すぐに飽きて帰ってしまう。
それでも竹光は毎日芝居小屋の舞台で作品を作り続けた。
毎日、毎日作り続けた。
すると、一か月もしたころ、ポツポツと常連客が出来始めた。
それは、単なる暇つぶしで来ていた老人がほとんどであったが、彼らは一様に「竹光の作っている姿は、なにやら鬼気迫るというか、真剣さなのか、とにかく何か魅力があって、見ていたくなる」と話した。
竹光はそれが嬉しかった。
まさにそれが自分の求めていた、自分が求められたかったものだった。
そして、それは口コミで広がった。
当初冷やかしで来ていた客も、じっくり見るうちに、竹光に引き込まれていった。
連日満員になり、遠方からも竹光を見に来る物が増えたころ、大きな芝居小屋に移る事となった。今の芝居小屋の主人が泣きを入れて頼んだからだ。
連日入れないお客の対応に困り果てていた主人のもとに大きな芝居小屋から竹光のこの「作品」の権利を譲って欲しいと申し込まれたのだそうだ。
そして、いよいよ作品が完成した時、芝居小屋の拍手は鳴りやまなかった。
それまで竹光の意見を聞き入れなかった連中も揃って、兜を脱いだ。
竹光はこの上ない満足感を得た。
「この喝采を受けている『作品』はもうこの世には無い。それでいい。それがいい。それでいい。私の伝えたかった芸術は確実に伝わった」
そして、実際竹光が作っていた作品自体も、これはこれで素晴らしいものだった。
しかし、竹光自身はその作品にそれほどの思い入れは無く、適当に「欲しい人は持って行けばいいさ」と言ったが、欲しがる人々で大混乱を巻き起こしたため、くじで抽選をし、当たった人に安価で譲り渡した。竹光は外れた人たちに「この人から無理やり奪うようなことは絶対しないように」と釘を刺した。この時の竹光はある意味神がかった存在で、誰もが素直に従った。
竹光はその後も、何度も「作品」を発表した。
その度に満員御礼となり、各地の有力者や大名も訪れるほどであった。
将軍鷹飛車から直々に将軍の前で「作品」を作って欲しいという依頼を「時間の無駄」と断る事もあった。
竹光がぬかり地蔵を作ったのは、そんな「作品」を発表する事に飽き始めたころだった。