第7話 芸術家・佐刀竹光(前編)
芸術というものは、理解出来ない人にとっては全く理解できない。壺や絵画を見たところで
「壺だなぁ」「絵だなぁ」という感想しか口からは漏れてこない。いや、これは感想と呼べるような代物ではないだろう。ただの思考のダダ漏れだ。こんな事を実際芸術を理解出来ない男、そうオレが言ってるのだから、この事は信じてもらって構わない。
ただ、ずば抜けてパワー(この場合芸術パワーと言うべきか)の溢れ出る作品というのもあり、これに関しては、こんなオレでも否応なしに「凄い」と思わされてしまう。そういう物こそ真の芸術作品だと思うというのがオレの自論である。予備知識ありきの芸術など口の達者な評論家を喜ばせるだけである。真の芸術はただただ凄ければいい。
しかし、こんな田舎町の普通の高校生が、そんなにそんなに真の芸術作品に触れる機会などない。そんなオレが唯一と実際に触れた芸術作品がこの町にはある。
作品の名前は『ぬかり地蔵』。
昔の何とかという有名な芸術家が作った物らしく、文化的、歴史的にも価値があり、この町にとってはそれなりの観光資源となっているらしい。この町の中心から少し外れたところにある、山とも森とも言えない程度の中途半端な小山林とでも言うような場所の少し入ったところにそれは置かれており、幼稚園や小学校低学年くらいの遠足にはちょうどいい距離の為、遠足の小学生がそこへ向かっている列をよく見かける。オレ自身もその地蔵を見たのは小学校の遠足の時だった。
地蔵に興味のある小学生など皆無と言っていい。当時のオレのクラスの反応をオレの覚えてる限り反芻すると、それは間違いない。オレだって興味は全く無かった。「何故長距離を歩いてまで地蔵を見に行かねばならんのか。」そういった数々の不平不満を、小学校低学年の語彙力をありったけ駆使して母・ヒロ子に熱弁をふるったが、暖簾に腕押し、馬耳東風もどこ吹く風、黄金バットに錬金術よろしく全く聞きいれられなかった。
しかし、実際に行ってみると、そのぬかり地蔵がまずデカい。NBAのトッププレイヤー並のサイズをほこっていた。そして、実際近くに行くと、その地蔵の持つパワーに圧倒された。当時はそれを「芸術的」という言葉で表現するすべを知らず、ただ「すげぇ」と感じていたが、成長するにつれて、「あれは芸術だったんだな」という事がわかってきた。
その大きさ、地蔵の持つパワーにあてられた子供達に対し先生達は、「このお地蔵さんに触ると、頭がすっきりして、ついうっかりなんて事が無くなりますよ。みんなちゃんと触って帰って、明日から忘れ物しないようにしましょうね」などと、何ともおとぎ話チックな事を言うではないか。そりゃあみんなこぞって触るさ。「お前バカなんだからちゃんと触っとけよ」「うるせぇ、お前の方が触っとけ」などと言ういかにもありがちな会話や、「頬ずりすると顔がよくなる」などと言う噂が一気に流れたり、出発前の不満顔はどこへやらで、皆一様に楽しそうに帰ったものだ。
何故こんな古い記憶、およびオレの持つ芸術とは何か?という浅い自論を披露しているかと言えば、オレの妹達が明日遠足でぬかり地蔵の所へ行くと言って、小さい頃のオレと同様、母・ヒロ子に不平不満をぶつけているからだ。しかし、どうせ母・ヒロ子に相手をしてもらえない妹達はきっと標的をオレにぶつける事だろう。これは早々に避難した方が余計なストレスを生まずに済むであろうという考えで今オレはここにいます。
オレが創さんの家のリビングで紅茶を頂きながら、今日遊びに来た理由を長々と説明した。もっとも創さんの家はそんな理由などなくてもいつでもウェルカムで迎えてくれる。主にマミが。今のオレの話も、創さんは世間話を聞く程度に聞いてきたが、マミは真剣に、ブッダの説教を聞くアナンダの如く聞いてくれた。特に前半のオレの自論に関してはメモを取ろうとしたので、資源の無駄だと諭したほどだ。
「いやぁ、すいません避難場所に使わせてもらって」
「いいのよ、マミちゃんも喜ぶしね」
「は、はい、いいんです」
「妹ちゃん達にそのお地蔵さんの事教えてあげないの? 教えてあげれば明日を楽しみにするんじゃない?」
「いやぁ~、ネタバレ禁止って言われてるんですよ。母・ヒロ子に。オレの時も帰って来た時のテンションが楽しみで黙ってたみたいですから。オレもそれは見たいですからね」
「ハハ、かわいそうに妹ちゃん達。でもその気持ちはわかるわね。それに期待してない分反動も大きいだろうし」
「そうですね、思い出が相当美化されてる事を差し引いても結構な衝撃?感動がありましたからね。芸術ってああいう事ですよホント」
「あ、あのそのお地蔵さんってそんなに凄いんですか?」
「あぁ、なかなかのもんだよ」
「……私も見てみたいな」
あぁもう、そんな小声で、うつむき加減で言うんじゃねぇ!
これはもう脅迫だ! しかも相当質の悪い脅迫だ! だって可愛いもんな!
ちくしょう、ホントたまに狸だって事忘れるな。しかも幽霊だって事はほとんど忘れっぱなしだ。
「ふー、じゃあ今度行くか?」
「え、いいんですか?」
パァッと顔が明るくなって真っすぐこっちを見つめる。これって天然か? 創さんが仕込んでるんじゃないか? 後で確認せねばなるまい。
「あぁ、それくらいお安いよ。さっそく来週の土曜あたりでも行くか」
「はい、ありがとうございます。私、お弁当作ります!創さんに習いました」
「お弁当を持って行くほどのとこじゃないんだがな。近いし。まぁ、地蔵の近くに広場もあるし持ってってもいいか。じゃあ頼むよ、楽しみにしてるからな」
おいおい、最後の一言ってさりげなくイケメンだったんじゃねぇか?モテ男っぽい発言だったんじゃねぇか?マミの顔が三倍くらい明るくなったぞ。
そんなこんなでオレのカレンダーの来週の土曜日の欄には「ぬかり地蔵」と書きこまれる運びとなった。
早さ的には怒涛のように、勢い的には清流のような一週間が過ぎた。
ちなみに、妹達はかつてのオレと全く同じテンションで帰って来た。やはりあの地蔵はあいも変わらずの芸術性を帯び、NBAプレイヤー並の巨体をほこっているのだろう。雨に打たれて縮んでいる可能性も考慮に入れたがいらぬ心配だったようだ。妹達はしきりにオレに地蔵の凄さを熱弁してきた。「わかった、オレも昔行ったから」と言ってもオレの発言は完全無視で熱弁は続く。なにやらオレが行った時のとは全然違うくらいの事を言ってはいたが、いくら芸術的と言ってもたかだか地蔵が進化するわけがない。「地蔵はマイクロソフト・オフィスシリーズじゃないんだからバージョンアップはしない」と言おうと思ったが、どうせ理解出来ないだろうし、話がややこしくなりそうだったのでやめておいた。
いざ、地蔵を見に出発しようとすると、妹達がやって来て、「どこ行くの?」ときたもんだ。ぬかり地蔵を見に行くと伝えると、「あの地蔵は絶対見なきゃダメだよ!」と先日のような熱弁をまたふるいだした。
今からそこに行くって言ってるだろう!
この話の聞かなさは確実に母・ヒロ子の遺伝子をしっかり受け継いでいると見える。
創さんの家に行くと、二人も既に準備は出来ており、すぐに出てきた。
創さんプロデュースのおかげでマミは既にオレ以上に衣装持ちなのだろう(まぁ、ファッションに興味のないオレが服を持って無さ過ぎるのもあるが)。マミが同じ服を着ているのを見た事がない。今日は、フワフワとした女の子らしい服装だが、ちゃんと動きやすさを考慮されている服装だった。オレのあくまで個人的な意見としては、スニーカーってのがポイント高いね。創さんがこっちを見て、「どう?私のプロデュース」という目で見てきたので、オレは親指を立てて「グッドぅ」の意思を示した。創さんも同じハンドサインで答えてくれた。二人していい顔していた。マミが見てなくてよかった、説明しても妄言しか出てきそうにない。
歩き始めて小一時間もすると、ぬかり地蔵に到着した。所詮、小学校低学年が遠足で行く程度の所にあるものなのであっという間に着いてしまう。
「あ、アレですか?」
「そうそう、相変わらずデカイなぁ。妹達の言った通りだ」
多少木々に囲まれてるとはいえ、多少離れた所からでもすぐにそれとわかる。
「うわぁ、凄い大きい」
マミが素直に驚いた顔をして地蔵を見上げている。中学生くらいの背格好で、小学校低学年の妹達と同じリアクションをしてるのはなにやら危なげな感じがしないでもないな。
「このお地蔵さんって触るといいんですよね、触ってもいいですか?」
「あぁ、触るとうっかりしなくなるんだ。手抜かりが無くなるって事で『ぬかり地蔵』らしい。好きなだけ触るといいさ」
「メアテ君もたくさん触った方がいいわね」
「オレは小学校の遠足で触って以来うっかりした事は一度もないと自負してますよ」
「へぇ~、じゃあそういう事にしようかマミちゃん」
「……」
「どうした? マミ」
地蔵に触ったまま、マミは俯いて返事を返してこなかった。
「マミちゃん?」
「う、……うう」
マミはすすり泣いていた。
「マミ? 泣いてんのか?どうした?」
「マミちゃん?」
「なにか、……うぅ、なにか変なんです。なにか、とても……、とても寂しくて」
泣いていてなかなか要領を得ないマミから少しずつ聞き出した話を総合するとこういう事のようだ。
「思い出が思い出じゃなくなった。思い出がただの記憶になった。ただの知識みたいになった」と言う事らしい。正直オレにはどういう事かよくわからなかったが、創さんがそれに関する考えを聞かせてくれた。
「思い出っていうのはただの記憶じゃないの、ただの記憶っていうのは情報があるだけ。学校で勉強した事とか、例えば歴史の年号とか、誰々が何をしたかっていうただそれだけの事。思い出っていうのはそこに感情とか気持ち、つまり心がプラスされて記憶している物なの。楽しい思い出にはその時の楽しい気持ちが、悲しい思い出には悲しい気持ちが一緒に記憶されていて、それを記憶の中で思い出って呼ぶの。おそらくこのお地蔵さんは思い出から心の部分の記憶を吸い取るオルタナみたいね」
創さんの説明でなんとなく理解は出来た。
しかし、なんだそりゃ?どこをどうしてそういう事になるんだ?
いや、最初に創さんが言ってたな。オルタナはただ「そういうもん」だって。今回のこれもただ「そういうもん」なんだろう。
「わ、私、人間に死に変わって、皆さんに図書館から出してもらって、嬉しかった、事とか、創さんの家に居させてもらってからの、楽しかった事、とか、そういうのが、全部、……全部、嬉しかった事と、して、思い出せなくて、楽しかった事、として思い出せなくて、大事な、大事な事なのに、誰か他人の事みたいで、悲しくて……、寂し……みたいな感じで……」
泣きながら、途切れ途切れの言葉を繋いで話すマミの姿は見ている事さえ辛い。
「創さん、この地蔵がオルタナなのはわかりました。でも、うちの妹達もついこの間この地蔵に触ったばっかりですよ?」
「わからないけど、最近オルタナになったのか、それとも、マミちゃんのなにかに反応してこうなったのか。オルタナに原因を求める事は無意味、というか不可能なのよ」
やっぱり、わからないか。
「そういうもん」という免罪符でオルタナはどうにでも存在する。
「そういうもん」というだけで、どんな理不尽もまかり通る。
だけど、そんな事で納得は出来ないだろ。マミが死に変わって思い出を作り始めたのはつい最近だ。その数少ない思い出を一瞬でただの記憶に変えて、「そういうもん」で済まされるはずがねぇだろ。
「マミ、泣くな。泣くなら一人で泣くな。オレも泣くから」
衝動的、勢いまかせでオレはぬかり地蔵を触った。
変な感覚だった。一瞬でオレの思い出はただの記憶に変わった。
なるほどこういう事か。肺周辺の内臓をすっぽり持って行かれたような。なんだかスースーするような喪失感。確かに寂しいし悲しいよ。嬉しかった事も楽しかった事も悲しかった事も、思い出しても何も感じない。暗記した満州事変の概要を思い出すのと変わらない。辛かった思い出さえも、辛かったと感じたい。
これは……、ちょっと格好つけすぎたかもな。
「メアテさん! 何を、何で……?」
「マミ、これでオレもお前と一緒だ。な~んも思い出がねぇや。ハハ、こりゃあ中々しんどいな。やっぱ勢いで行動するもんじゃねぇな。オレも泣きそうだ。でも、お前も一緒の状況なら少し気が楽だ。マミ、一人じゃないから泣くな。楽しい思い出なんてこれからオレがいっぱい作ってやるよ。今までのよりずっと楽しくて、ずっと大事な思い出をさ。今までの分なんかあっという間に帳消しになるような。だから、泣いてんじゃねぇって。な?」
そう言って、マミの頭をガシガシと乱暴に撫でてやる。正直、そうやって誤魔化さないとオレ自身もたなくなりそうだ。
完全に泣き顔だったマミの顔に二割程度笑顔が戻って「はい」と答えた。二割の笑顔でもオレがホッとするには十分だ。
「しかし、……どうしたもんですかね」
と言ったところで、創さんだって答えに困っている。無言で地蔵を見つめている。つられてオレも改めて地蔵を見てみる。
見たところで正直どうなるもんでもないが、原因と手掛かりになりそうなものがこいつしかないんだから仕方ないっちゃ仕方ない。三人そろって地蔵をただ眺めているっていうのもあまりに生産性がない。
だが、改めて見てみると、小さい時に見た地蔵となにか違って見える。地蔵自体は何も変わってない気がするのだが、何かが違う。違和感。
「なんか、……違う。こんなもんだったかな」
「ん、メアテ君どうかした?」
「いえ、なんか昔見たときよりオーラがないっていうか、なんか、グッと来ないというか……」
正直、自分でもなんだかよくわからない。漠然とした違和感。
「小さい時は感受性豊かだし、時間が経って、記憶が大げさになったとかかもしれないわね。わりとよくある事よ」
確かにそうかもしれない。でも、なんかそれとも違うような気もする。
漠然とした違和感を持ったままこの日は帰るしかなかった。
家に帰っても違和感がぬぐい切れず、ずっとモヤモヤが続いてる。思い出がただの記憶になるオルタナだってこのまま納得は出来ない。
「あぁもう、とりあえず何かしてみるか」
とりあえず、ネットでぬかり地蔵について調べてみることにした。有名な芸術家が作ったとかいう話だし、この街の観光資源だ、なにかしら情報は出てくるだろう。
調べてみると、地蔵の作られた年代、時代背景、さらに、この地蔵を作った芸術家、佐刀竹光についての情報が出てきた。その中にはこの人の持つ芸術論が大きく取り上げられており、それはおそらくオレの感じた違和感をぬぐい去る情報だった。
「佐刀竹光……、こいつか原因は?」
オレはあくまで「とりあえず」と自分に保険をかけて、創さんに電話をかけた。電話番のマミが最初に出たが、今はかまってられない。すぐに創さんに代わってもらった。
「創さん、メアテです」
「メアテ君、どうしたの?」
「地蔵について調べたんですが、あの地蔵のオルタナの原因が地蔵を作った本人の可能性ってあるんですか?」
「……、それは、正直わからないわ。オルタナはまだ研究が浅くて、というより研究のしようがほとんどないと言った方がいいかもしれないわ。だからその可能性がないとは言い切れない。オルタナは、あってしまえばある。そういう物だから」
「なるほど、なら十分です」
「十分って何が?」
「地蔵を作った佐刀竹光に会いに行く理由ですよ。明日行きましょう」
「佐刀竹光って、え、相当昔の人じゃ……、そうか、実ちゃんね」
創さんとの電話を切った後、オレはすぐに神菜に電話をかけた。
オレの頼みには基本的に一肌脱ぐどころか、毛皮のコートを二、三枚羽織る勢いの神菜だが、マミの為だと事情を話せば協力は惜しまない奴だ。
「もしもし、オレだ。一村だけど」
「お~、イッチー? 珍しいねぇ、どうしたのぉ? もしかしてデートのお誘いかなぁ?」
電話越しなのに、アイツがニヤニヤしてるのがわかる。
「お前をデートに誘うくらいなら、一人でヨドバシカメラにでも行くさ」
「ひっどいなぁ~。どういうことよぉ」
「人をからかうならもっと上手くやれって事だな」
「ふ~ん。で、何の用だったのぉ?」
「ちょっと来て欲しいんだけど」
「あぁ、今無理無理ぃ~。くるりのトリビュートアルバム聴かなくちゃいけないんだぁ」
オレの要望に食い気味で拒否してきやがった。さすがに防寒体制バッチリだ。
「お前にしてはなかなかいい趣味だが、いいよ、今急いで聴かなくたって。きっとくるりは待ってくれるさ」
「トリビュートだからくるりは待ってません~」
「くるりは待ってなくてもオレは待ってるぞ~」
「イッチーに待たれてもねぇ……」
「マミも待ってる。マミが困ってる。頼む、すぐに創さんの家に来てくれ」
「すぐ行く!」
またこいつは食い気味で。少しはオレの話を聞けよ。二分だけでもいいから。
神菜が電話を切り、オレも切ろうとした時、玄関の扉が開く音がして、神菜の声が聞こえた。
「来たよ~」
「お前、ちょうど来るところだったのか? いくらなんでもすぐ来すぎだろ」
「ん~。電話した後普通に歩いて来たよ、平均時速約三キロでねぇ。ま、電話を切った後に少し前の時間に戻ったけどねぇ。ちょっと早く着いちゃったから外でイッチーが電話終わるの待ってたんだよぉ。驚いた? ねぇ、驚いたぁ?」
してやったりって顔で下から覗き込んできやがる。
あぁ、確かにしてやられたよ。オレが呼んどいて、その呼んだ理由を忘れたようなもんだ。どうかしてた。これだよ。この能力があるからオレは神菜を呼んだんだ。
「で、何の用~?」
オレは事情を全て話した。同時に、オレが調べた佐刀竹光についても創さんとマミ含めて話して聞かせた。