響き覚え
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
こーちゃんが、家の中で一番落ち着く空間てどこ? 自室? 居間? お風呂?
僕はトイレかなあ。あの狭い空間の中で他に誰もいないとか、最高じゃない? 作業や考え事をするなら、断然あそこだね。
自分だけのときとか、パソコンとカレーライスを持ち込んで、何時間もうんうん唸ったことがあるよ。その場で用も足せるし、環境が許すならおすすめだよ、個人的に。
あくまで個人的に、だけどね。ほら、ときどき聞くじゃない? 水場っていうのは良くも悪くも、いろいろなものが集まりやすいって。トイレもその例にもれず、不可解な話が時代を問わず存在する。
衛生と水は、人の身体の作り的に切っても切れない関係。ひいては生死がからむ事案だし、ちょっと極端な話が伝わるのも無理ないかもね。重大に接しなくては危険ということで。
僕もむかしにおじさんから、トイレにまつわる不思議な話を聞いたことがあるよ。今もトイレを使いながら、考える場合もある。ちょっとその話を耳に入れてみない?
おじさんが最初にこの体験をしたのは、学生のときだったらしい。
当時は学校でも洋式便座が採用され始めたときで、ようやくおじさんは学び舎に安息の地を手に入れた心地だったとか。
和式便座は非常に用を足しづらく、外出してそれと相対するときは緊張の瞬間だった。ゆえにお世話にならないよう、ならないようと外へ出るときにはお腹の調子をよく気にしていたんだ。
それが洋式便座となれば、格段に気が楽になる。きっちりと腰を下ろして用を足せるというのが、どれほど安心感をもたらしてくれるか。
他人が使った、使わないなどはこの場において些末な問題。自分が気持ちよいのならば、多少のことには目をつむれる。ぜい肉とも思えるゆとりから、おじさんは昼休みや放課後などで時間がとれるタイミングだと、その個室の中で便座に座りながら精神集中、あるいはお昼寝することも多かったとか。
そして、ある日の放課後。
すでに何度もやってきたようにおじさんがトイレで居眠りをしていると、ふと耳にいつもは聞かない音が飛び込んでくる。
笛の音。学校でありがちなリコーダーや吹奏楽のそれとは、微妙に異なった。
それらを模した、口笛のようにおじさんは思えたらしい。ところどころ、人の口を介して出すような音のぶれを感じたとか。あくまで、おじさんの感覚的なものにいわせたら、だったみたいだけど。
なかなか、うまいもんだなとおじさんは当初、のんきに聞き入っていたらしいね。
当時、流行った曲のひとつでおじさんのみならず多くの人が知っている、大ヒットを飛ばしたものだ。同じように口笛を吹いて、奏でた子もいたがその中でもこれは相当にうまい。
テレビなどでよく聞かされる1番の部分のみで、ぴたりと笛の音はやむ。いいものを聞いたとおじさんは腰をあげて帰り支度をしたものの……後になってから、はじめて気づいたらしいんだ。
家のテレビで、再び例の曲を耳にするそのときまで、おじさんはその曲をすっかり忘れてしまっていた、ということに。
テレビで聞いたとき、思わず「いい曲じゃん」とつぶやいて、祖母にちょっと笑われたらしい。あんた、そのレコードを買ったばかりだろう、とね。
まさかと、部屋を改めてみたときに、例の曲のレコードを見つけて唖然としたみたいだ。購入するくらいなら、すでに聞き飽きるくらいに耳へ入れているはず。
なのに、あのメロディははじめて耳にしたときの新鮮さを持っていた。CDを聞きなおしても、飽きるまでには何周もしなくてはならなかったとか。
――まさか、あの笛の音を聞くと、曲の記憶がなくなるとか?
ピンときたおじさんは、常にポケットへ小さなメモ帳を仕込むようにした。
あの日以降も、トイレで用を足しているときにどこからともなく、口笛の曲が流れてくるときがあり、おじさんは都度、その曲名をメモしておいた。
そうしてトイレが済んだ後で聞いてみると、やはり自分の記憶から例の曲が抜け落ち、新鮮な気持ちで聞くことができるようになっていたことに気づいたみたい。
それからしばらくして、おじさんにとって忘れられない珍事起こる。
その日の朝から夕方にかけて、おじさんの身の回りでトイレの水が流されるとき、それに合わせてあの記憶から抜け落ちた流行の曲たちも、合わせて流れていたんだ。
たいていの人は、たまたま口笛を吹くやつが近くを通ったんだろう……くらいでスルーしたと思ったかもだけど、中心にいるおじさんからすると異常事態に変わりない。
あとにも先にも、現象はこの一回のみで以降はおじさんがトイレをしているときでも、記憶を失う口笛が吹かれることはなくなったそうな。
でも、おじさんにとってはこの経験が将来に少し役立ったという。
何かの折に好みのメロディを流して印象を強める。のちに着信メロディとして知られるようになるアイデアのもとを仕事で出したひとりが、おじさんらしいんだよ。
ほんと根っこの部分だから、そう起源と信じてもらえるものでもないし、華やかな活躍ってわけでもない。
けれど、おじさん本人は例の経験があったから強く意見を出せたと思っているから、例の体験にちょっぴり感謝しているみたい。




