断罪されて辺境に送られたけれど、疲れているし王宮に戻る予定なのでなにもしません~元王太子殿下と婚約者の方は、自力でなにか始めてくださいね~
わたくしは人の気配を感じて目を覚ました。
いつの間にか、執務机に突っ伏して眠ってしまっていたらしい。
侯爵家の娘にあるまじき行いだわ……。
ああ、額を押しつけていた両手の甲が痛い。
わたくしは首だけを動かして、背後に立っている人物を見た。
「ウェルナー殿下……」
この国の第二王子殿下が、ご自身の上着を手に持って、わたくしを見下ろしていた。
執務机に置かれたランプの光が、ウェルナー殿下の乱れた金髪や、眠そうな緑の目を照らしている。
なんでウェルナー殿下がここにいるのだろう……?
「レベッカ嬢、起こしてしまったか……」
そう言いながらも、ウェルナー殿下は、わたくしに上着をかけてくれた。
まだ春先の寒い時期。わたくしの執務室も、夜気で冷えていた。
上着の暖かさは、わたくしの疲れた心身をやさしく包んでくれた。
――いやいや、待って。包まれている場合ではないわ。
ウェルナー殿下は、なんでこんなことをしてくれているの……?
わたくしは王太子であるルーカス殿下の婚約者。ウェルナー殿下と二人きりになんて、なってはいけなかった。
たとえ、ここが王宮の執務室であっても……。
「ウェルナー殿下、いけませんわ……」
わたくしは、のろのろと重い身体を起こした。頭が割れそうなほどに痛い。ああ、もっと眠っていたい……。
わたくしの下になっていた書類は、しわくちゃになっていた。これでは作り直すしかないわ……。
「すまない……。だが、私も眠すぎて仕事にならないのだ……」
ウェルナー殿下は力なく笑った。
会話が微妙に成り立っていない。
ああ、この方も、ひどくお疲れなのだわ……。ウェルナー殿下の涼しげな目元に、隈ができている……。
ウェルナー殿下はきっと意識がはっきりしない状態だから、なにか間違えて、ここに来てしまわれたのだろう。
わたくしも気付いたら白紙の束を抱えて厨房に立っていたことがあるから、ウェルナー殿下の状態が理解できるわ。
一昨年まで、この国は疫病に苦しめられていた。たくさんの民たちが亡くなった。王宮でも、王妃殿下や重臣、文官たちが亡くなった。
やっと疫病が収まった昨年の秋、今度は空飛ぶ虫によって小麦が食い荒らされた。
冬の間は一昨年に収穫した小麦でなんとかなっていたけれど、そろそろ国の備蓄庫にある小麦を少しずつ放出していかないといけない。
国王陛下と王宮の者たちは、少ない人数で、通常業務に加えて小麦関連の対応に追われていた。
「仮眠室に行って、少し眠られては……?」
わたくしの提案に、ウェルナー殿下は力なく首をふった。
「そんなことをしたら、次いつ起きられるか……」
ウェルナー殿下の言っていることが、かなりおかしい……。
だけど、気持ちはわかる。
わたくしだって、自分がよく起きられたな、と思うもの……。
「ふふっ」
わたくしは、なんだかおかしくなって、小さく笑ってしまった。
「おかしいな」
ウェルナー殿下もほほ笑む。
そのまま、わたくしたちは見つめあった。
――このまま、寝落ちしそう……。
わたくしが、そんなことを思った、次の瞬間だった。
「こんな時間に二人で見つめあって、なにをしている!」
「不潔だわ!」
ルーカス殿下が執務室のドアを開け、男爵令嬢のイリス嬢と共に入ってきた。
この二人、まだ王宮にいたのね……。なにをやっていたのだろう……。
部屋の外には護衛騎士が立っていたはず……。だけど、王太子殿下が婚約者に会いに来たら、止めるなんてできないわよね。
「レベッカ、なぜウェルナーの上着を羽織っているのだ!」
「まあ、二人でなにをしていたの!?」
あなた方に言われたくない……。
わたくしの執務室の外には、王宮に残っていた者たちが集まって来ていた。二人の騒ぐ声を聞きつけて、やって来たのだろう。
「なんとふしだらな! 私はレベッカとの婚約を破棄する! この国の王太子に対する裏切りである! しかも、レベッカの相手が、我が弟とは……!」
「婚約者と弟に裏切られるなんて、ルーカス殿下がお気の毒すぎます!」
ルーカス殿下とイリス嬢が、元気いっぱいで騒いでいる。
もう、なんでもいいや……。
疲れたし……。
勝手にやってて……。
◇
わたくしはウェルナー殿下と二人まとめて、辺境に送られた。
いやあ、良かった……。
本当に良かった……。
わたくしたちは、二人で小さなレンガ造りの小屋に住むことになった。
愛しあう二人に対する温情であるらしい。
わたくしとウェルナー殿下は、別に愛しあったりしていないのだけど……。
だいたい、わたくしは、ウェルナー殿下と会話すらほとんどしたことがなかった。ルーカス殿下の婚約者として、挨拶したり、社交辞令を言いあったことがあった程度よ。
小屋には、粗末な寝台が二つ置かれていた。
わたくしたちは馬車でもずっと眠っていたけれど、その粗末な寝台でも、かなり長いこと眠っていた。
いやもう、本当に眠くて……。疲れてて……。本当に休みたかったのよ……。いろいろと、もう無理だったの……。
ルーカス殿下とイリス嬢には、感謝しかない。
断罪してくれてありがとう!
辺境に追放、最高です!
ありがとう!
本当にありがとう!
こんなにゆっくり休めて、ありがたい……!
わたくしとウェルナー殿下は、一週間ほど眠ったり起きたりの暮らしをした後、王都の二人に向かって感謝の祈りを捧げた。
「助かりましたわ……」
「ああ、死ぬところだった……」
わたくしとウェルナー殿下は、それぞれの寝台でごろごろしながら語り合った。
さらに一週間後、わたくしたちは、だいぶ頭がしっかりしてきた。
「まず、王太子であるルーカス殿下が一切働かないこと。わたくしとウェルナー殿下で王太子の仕事まで代わりにやっていたこと。そこがおかしかったですわ」
「イリス嬢はなんで王宮にいたんだ? そこもおかしい。文官ではないだろう。どうせいるなら、レベッカ嬢が受け持っていた王妃の仕事を、少しでも手伝ってくれたら良かっただろう」
わたくしたちは、少しの間、黙り込んだ。
ルーカス殿下は、わたくしとウェルナー殿下に裏切られたらしい。そして、イリス嬢に慰められて、真実の愛を見つけたのですって。ルーカス殿下は、イリス嬢と婚約したらしいわ。
「文官といえば……、有能な平民も上級文官になれる制度は、上手くいっているでしょうか……?」
「君が立案してくれたアレか。大丈夫だろう。私の下に配属されてきた者は、かなりの切れ者だったしな」
わたくしたちは、小屋の天井を見ながら語り合った。
だいぶ元気に会話できるようになってきた。
わたくしたちは、騎士団の騎士たちによって、王都からこの地へと護送されてきた。
その時の騎士たちが、食料を置いていってくれた。
――その食料が、そろそろ尽きようとしていた。
大問題。
ケチケチしないで、食料を一年分くらい置いていってほしかった。
革袋いっぱいの金貨も置いていってくれたけれど、金貨は食べられない。
「騎士たち、外に馬がいるとか言っていませんでした?」
「そういえば言っていた気がする! その馬は大丈夫なのか!?」
わたくしとウェルナー殿下は寝台から飛び起きて、小屋の外に走り出た。
馬は、ウェルナー殿下の愛馬だった。小屋の外でのんびり草を食べて、元気にしていてくれた。放し飼いになっていたから良かったけれど、馬小屋に入れられていたら……。
「マルゴットを死なせるところだった……」
ウェルナー殿下は真っ青になっていた。
マルゴットが生きていてくれたので、わたくしたちはマルゴットに二人乗りして、近くの町に行った。
わたくしたちは、そのまま食べられるパンや干し肉や果物をごっそり買って、小屋に帰った。
金貨がたくさんあるのが、とてもありがたかった。
◇
そんな感じで一年くらい暮らした。
わたくしも、ウェルナー殿下も、王宮の執務室に寝泊まりして、自分のことは自分でやっていた。だから、辺境で暮らすために必要なことが、だいたいできたの。
――そして、運命の日が訪れた。
ルーカス殿下とイリス嬢が護送されて来たのよ。
そのうち来ると思っていたのよね……。
「なぜだ! なぜ私が辺境送りになり、ウェルナーとレベッカは帰れるのだ!」
「わたくしが王太子妃になるはずだったのに! どうして!」
などと、ルーカス殿下とイリス嬢は騒いでいたけれど……。
この国の王族には、『怠惰の罪』というものがある。
ルーカス殿下も、わたくしと一緒に王族教育で『怠惰の罪』について習ったのだけれど……。すっかり忘れてしまったみたいね……。
ルーカス殿下は王族としてのお仕事を、まったくしていなかった。罪に問われるのなんて、時間の問題だった。
騎士団長以下、騎士たちが、ウェルナー殿下とわたくしの前でひざまずく。彼らの前に立った国王補佐官が、国王陛下からの任命状を読み上げた。
「お前たちのことまで手がまわらず、遅くなってすまなかった。第二王子ウェルナーに、王太子の位を授けることとする。王都に戻り次第、立太子式を行う。また、これよりレベッカ・アウローラ侯爵令嬢を、ウェルナーの婚約者とする」
国王補佐官は、すべてを読み終えると、わたくしたちに向かってひざまずいた。
わたくしたちには、この王命に対して「もう遅い。帰らない」と突っぱねる権利だってあった。
――けれど、わたくしたちは帰る。
絶対にこうなるだろう、と思っていたもの。
「謹んでお受けいたします。――皆の者、立つがよい」
ウェルナー殿下の言葉を聞き、ひざまずいていた者たちが立ち上がる。
わたくしはウェルナー殿下にエスコートされて、王家の紋章付きの馬車に向かった。
「待て! 帰る前に、引き継ぎをしていけ!」
わたくしたちの背中に、ルーカス殿下の声がかけられた。
「引き継ぎ?」
「なんのことですの?」
ウェルナー殿下とわたくしは、ルーカス殿下とイリス嬢の方へと向き直った。
「貴様らが辺境でやっていたことは、私とイリスが引き継ぐよ」
ルーカス殿下が媚びるような笑みを浮かべた。
「兄上、なんのことでしょうか?」
ウェルナー殿下は問いかけてから、わたくしを見た。わたくしは首をふることで『わからない』と伝える。
「辺境に来たからには、なにかしら、民のためになることをやっていただろう?」
「そうよ! すごい薬草を育てたり、パンを焼いたり、学校をやったりしていたはずだわ! 物語では、そうだったもの!」
「これからは、私たちが辺境で民のために尽くしていこう。さあ、教えてくれ。なにをしていたのだ?」
わたくしとウェルナー殿下は、顔を見あわせた。
そして、ルーカス殿下とイリス嬢の言いたいことを理解した。
「私たちがやっていたことといったら……」
ウェルナー殿下は、もったいぶって言った。
ルーカス殿下とイリス嬢が、真剣な顔をして続きを待っている。
「まず、寝台でごろごろしていたな。それから、食料を買い込んで、小屋でのんびりしゃべったりしていた」
「少し元気になったら、二人で町のお祭りに行ったりもしましたわね。楽しかったですわ」
「二人で遠乗りに行ったりもしたな。湖に映る山々を見たり、暑い時期には森の泉に足を浸したり」
「晴れた日には青い空を見て、雨の日には雨音を聞きながら、小屋でのんびり静かに暮らしていましたわ」
ウェルナー殿下とわたくしは、寄り添ってお互いの手を握った。
わたくしは、最初はウェルナー殿下のことを、なんとも思っていなかった。ずっと未来の義弟だと思ってきたのですもの。
けれど、共に過ごすうちに、ウェルナー殿下がわたくしに好意をもってくれていることがわかってきた。
王宮で働いていた頃には気付けなかった、自分の気持ちにも気づいていった。
ルーカス殿下とイリス嬢に対して、ひどく腹が立っていたこと。
ウェルナー殿下にやさしくされると、心が華やぐこと。
結婚するのなら、愛し、愛されたいと願っていたこと――。
お祭りで初めて手をつなぎ……。
遠乗りに行って、二人並んで様々な景色を見た。
料理をして、食べて、洗濯や掃除をして。
別々の寝台で眠って――。
二人でいるだけで、ひたすら楽しい日々だった。
「それだけ? それだけなのか?」
「日常生活とデートだけじゃない」
ルーカス殿下とイリス嬢が、顔を引きつらせる。
ウェルナー殿下がわたくしの腰を抱き、二人に背を向けた。
「意地の悪いことをしないでくれ」
ルーカス殿下とイリス嬢が、わたくしたちの前に回り込み、ひざまずく。
わたくしたちは、また顔を見あわせた。
「本当は、なにかしていたのだろう?」
「教えてください」
ルーカス殿下とイリス嬢が、わたくしたちを見上げてくる。
そんなに聞きたいのなら、教えてあげよう。
「強いて言うなら……」
わたくしは頬を染めて、ウェルナー殿下を見た。
ウェルナー殿下もまた、照れたように笑う。
「恋を……」
わたくしは言ってから恥ずかしくなり、両手で顔を覆った。
「そういうことだ」
ウェルナー殿下が、わたくしを守るように抱きしめてくれる。
「おい、嘘だろう……」
「冗談でしょ……」
「本当に、なにもしていなかったというのか……」
ルーカス殿下とイリス嬢が、その場に座り込んだ。
そうね。わたくしたちは、辺境では民の役に立つことなんて、なに一つしていなかった。
王宮で国と民のためにすべてを捧げてきたので、ひどく疲れていたのよ。
それに、どうせ苦労してなにかを始めたって、後から来るはずのルーカス殿下とイリス嬢にすべてを譲ることになるのは目に見えていた。
――そんなの嫌に決まっているわ。
たまにはルーカス殿下とイリス嬢だって、自力でがんばってみたらいいのよ。
「生活するための金は、どうしていたのだ……?」
ルーカス殿下が力なく問いかけてきた。
「騎士たちが金貨を置いていってくれたのですよ」
ウェルナー殿下が騎士の一人を示す。騎士は、まだ少し残っている金貨の入った革袋を抱えていた。
「この金貨は、我々、騎士団員たちからウェルナー殿下とレベッカ嬢に贈った支援金です。お二人はこの国と民のために尽くしてこられましたが、疲れ切った状態で辺境に追放されました。我々は、お二人が気の毒でならなかったのです」
騎士団長が、金貨についてルーカス殿下とイリス嬢に説明してくれた。
わたくしは、この金貨がなんだったのか今初めて知った。
「そんな……。では、私たちは……」
ルーカス殿下とイリス嬢は、騎士たちにすがるような目を向けた。
「それほどお元気ならば、なんだってできるでしょう。自力で稼いでください」
騎士団長がルーカス殿下とイリス嬢を突き放す。
「そうですわ。ご自分たちで考えて、薬草でも、パンでも、学校でも、一からやってみてくださいませ」
「兄上たちならば、私たちと違って、この辺境で多くのことを成せるでしょう」
わたくしたちが笑顔で二人を激励すると、二人はよろよろと地面に倒れ伏した。
わたくしたちは二人の泣き声を聞きながら、王家の馬車に乗り込む。
マルゴットも、もちろん一緒に帰るわ。騎士団長がご自身の馬に乗り、マルゴットの手綱を引いて、馬車の横についてくれた。
――わたくしたちの臨時休暇は、もう終わり。
馬車がゆっくりと走り出す。
「また大変な日々が始まるな」
「ええ」
わたくしたちは、ほほ笑みあう。
のんびりするのも楽しかったけれど……。
わたくしたちはやっぱり、国の中枢で民の役に立ちたいの。
王宮に戻ったら、やりたいことがたくさんあった。
辺境で語り合った政策を、これから実行に移すわ。
「レベッカ嬢、苦労をかける」
「とんでもありません」
思い出の地が少しずつ遠くなる。
この道は、玉座へと至る道。
愛する人と共に歩めるのよ。
これほどの幸せはないわ。




