知らない顔に、胸が痛いの
教室の空気が、変わってきた。
席替えをしてから、なんとなく、笹本くんが……よく話すようになった気がする。
佐伯さんっていう、明るい子が隣になったせいかもしれない。あの子、誰とでも気さくに話せるし、笹本くんも、楽しそうだった。
でも、別にそれが悪いわけじゃない。
私はべつに、彼の何でもないただのクラスメイトだし、もともと、近くに座ってたってだけで――。
「……ふう」
窓際の席から外を見るふりをしながら、私はゆっくりとため息を吐いた。
胸の奥がちょっとだけ、チクリとする。
そして、美術の時間。
私は、描きかけの花瓶の絵をじっと見つめていたけれど、どうしても筆が進まなかった。
後ろのほうから、先生の声が聞こえてくる。
「これ、お前が描いたのか?」
え、と思って振り返ると、笹本くんのところで先生が立ち止まっていた。
「クラスで一番かもな」
なんて言葉に、ざわつきが起きる。
私は、ちょっとだけ身を乗り出して、そっと様子をうかがった。
笹本くんは、困ったような笑顔を浮かべながら、スケッチブックを隠そうとしていた。でも、周りの子たちは興味津々で、その絵を覗き込もうとしていて――
そのときだった。
「え、これ……水月じゃね?」
その声が、教室に響いた。
瞬間、心臓がどくんと跳ねた。
まさか、と思って、目が自然とそちらに向かう。
スケッチブックの中にいたのは……私に、似た後ろ姿だった。
「ち、ちが……たまたま、似ちゃって……」
って、笹本くんは慌ててた。
でも、それが余計に、なんというか……信じたくなってしまう理由みたいに聞こえた。
――どうして私を、描いたの?
聞けなかった。
見れなかった。
だから私は、視線を逸らして、少しだけ顔を伏せた。
気づかれたくないのに、たぶん頬が、赤くなってた。
放課後。
私は、教室にいられなくて、すぐに出ていった。
笹本くんが追ってくるような気がして、でも、追ってこないような気もして、どっちも怖かった。
そして、それから。
私は、ほんの少しだけ、距離を置くようにした。
いつも通りに接するのが、なぜかうまくできなかった。
「おはよう」って言おうとして、声が詰まった。
目が合いそうになると、視線を落とした。
……バカみたい。
別に怒ってるわけじゃないし、嫌ってるわけでもない。
むしろ――たぶん、逆。
笹本くんは、クラスの中で少しずつ、変わってきている。
今までは目立たなかったのに、最近は女子とも普通に話していて、佐伯さんとも、なんだか仲良さそうで。
――なんで、あの子の隣になったんだろう。
なんで、私がこんな気持ちにならなきゃいけないんだろう。
でも。
私が言ったんだ。
「わざと間違えたんでしょ?」って。
あのときから、彼はちょっとずつ変わってきた気がする。
きっと、私が、背中を押してしまったんだ。
そんなの、私のせいだ。
だから、何も言えない。
でも、胸がぎゅっと痛くなる。
授業中に笑い合う笹本くんを見ていると、知らない顔を見ているみたいで――
ちょっとだけ、ずるいって思った。
私だけが知ってた、あの優しい声とか、静かな笑顔とか、手の温度とか。
ぜんぶ、他の人にも届いてしまいそうで、なんだか怖い。
……ああ、私、なにやってるんだろう。
恋じゃない、って思ってたのに。
でも、これはたぶん――それ以上だ。