表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/10

ほんの少し、違う景色

「じゃあ、これで席替え完了としまーす」


先生のその声を合図に、教室がざわついた。机を引きずる音、軽いため息、微妙な表情の交換。


みんなが新しい景色に目を慣らそうとする中で、僕――笹本悠人は、自分の机の前で静かに立っていた。


水月さんは、もう僕の近くじゃなかった。


ほんの少し、心に穴が開いたような感覚。だけど、口に出すほどのことでもないし、そういう関係でもない。……はずだ。


「よろしくね、笹本くん」


そう声をかけてきたのは、斜め前の席になった女子だった。名前はたしか、佐伯さん。明るくて、友達が多くて、けっこうクラスの中心にいるような子だ。


「あ、うん。よろしく」


僕は少しだけ頭を下げて、いつもどおりの笑顔をつくった。大丈夫。こういう場面は慣れてる。


必要以上に深入りせず、でも波風立てないようにうまく振る舞う。それが僕のスタイルだ。


けれど、水月さんは――。


ちらりと、彼女のほうを見ると、ちょっとだけ視線が交わった。けどすぐに、彼女は窓のほうを向いてしまった。


なんだろう、この胸のあたりのざわざわ。


それから、数日が過ぎた。


新しい席にも慣れてきて、クラスの空気もほんの少しだけ変わったような気がする。


僕が佐伯さんと話してるのを見て、何人かの女子も話しかけてきたりして、いつの間にか、今までより少し目立つようになっていた。


そして今日――それは、美術の授業でのことだった。


「今日は、好きなものを描いてください」


美術の先生の言葉に、クラス中がいっせいに「えー」とか「めんどくさー」とか言いながらも、各自スケッチブックを広げ始めた。


好きなもの、か。


僕は手を止めたまま、しばらく考える。


何を描こう。


特別好きなものなんて、すぐには出てこない。でも、筆が自然と動き出したのは――なぜか“あの人”の後ろ姿だった。


髪が肩にかかる感じとか、ちょっとだけ膨らんだ制服の袖とか。


教室の中で誰よりも静かなその存在が、気がつけば僕のスケッチブックの中にいた。


描き終えたころ、先生が僕の机の前で止まった。


「笹本……これ、お前が描いたのか?」


「はい」


先生はしばらく黙って絵を見つめ、それから口を開いた。


「……いいな。線がやわらかくて、空気が伝わってくる。教科書通りの描き方じゃないけど、これ、クラスで一番かもしれないぞ」


教室がざわついた。


「笹本くん、そんなに絵うまいの!?」


「見せて見せて!」


と、女子たちが僕のスケッチブックを覗き込んでくる。


「いや、そんな大したことじゃ……」


あわてて隠そうとするけど、もう遅かった。


絵を見た一人の男子が、思わず言った。


「え、これ……水月じゃね?」


一瞬、時間が止まったような気がした。


「え、ちが……たまたま、似ちゃって……」


なんとか否定するけど、言えば言うほど、空気が重くなる。水月さんの方を見たら、彼女は僕のほうを見ていなかった。


でも、顔は少しだけうつむいていて、その頬がほんのり赤く染まっているように見えた。


その表情が、なぜか、やけに頭から離れなかった。


放課後、水月さんは教室をすぐに出ていった。


追いかけようとは思わなかった。というか、行けなかった。


これはきっと、“僕”がしてはいけない領域に触れてしまったから。


だけど、次の日から――


水月さんは、ほんの少しだけ、僕との距離を取るようになった。


必要最低限の会話。視線は合っても、すぐに逸らされる。


その変化に気づかないフリをするのが、すごく苦しかった。


教室のざわめきの中で、僕は一人、静かに息を吐いた。


ほんの少し前まで、そこにあったはずの距離感が、いまはやけに遠く感じる。


気づいてしまった。


“僕”は、あの人のことを、ただのクラスメイトとして見ていない。


でも、たぶんそれは――恋じゃない。


だけど。


きっと、それ以上の何かだった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ