ズレている、だけど気になる。
教室の空気は、いつも通りだった。
窓の外では、夏の終わりが蝉の声とともに名残惜しげに鳴いている。
湿度を含んだ風が、カーテンをふわりと揺らす。
私の席から、少し斜め前──
そこに、笹本悠人はいる。
目立たない。声も小さい。たぶん運動もそこそこ。
成績は可もなく不可もなく──でも、なんとなく「平均」を演じてるように見えるのは、私だけだろうか。
「水月さん、今日の体育一緒に組まない?」
声をかけてきた女子に笑顔を返しながら、心のどこかが別の場所を向いていた。
その”平均的な男子”が、また今日もズレたことをしていたから。
先生が「じゃあ、この問題を……」と黒板に問題を出したとき。
みんなが当てられないように下を向く中、悠人だけは普通に手を上げた。
しかも、それがすこしだけ間違っている。
──いや、違う。
あれはきっと、「わざと」だ。
正解を知っている人の答え方だった。
ためらいも、迷いもない。むしろ”正しくない答え”を探して言葉を選んでいたように見える。
気のせいだと、思いたい。
だけど私の目は、なぜかその”違和感”を見逃せなかった。
「ねえ、水月さんはどう思う?」
不意に別の子に話を振られて、慌てて笑って答える。
なのに、視線はまた、彼に戻ってしまう。
彼はこっちなんて見ていない。
机の上の教科書を眺めながら、淡々とノートを取っている。
でも、たぶん気づいている。
周りの誰よりもずっと、空気も、距離も、人の目線も。
それを彼は、気づかないふりで生きてる。
そう思ったら、なんだか胸がざわついた。
2
放課後、私はわざとゆっくりと鞄を整理した。
なんでだろう。
あの人と帰り道が少しだけ被ると知っているのに、早く帰ろうとしない。
昇降口で、ちょうど悠人が靴を履き替えるところに出くわす。
「……あんた、わざと間違えたでしょ」
言ってから、自分でも驚いた。
別に親しいわけでもない。話したことなんて、ほとんどないのに。
悠人は、少しだけこちらを見て、首をかしげた。
「……え? 何の話?」
「さっきの授業。答え、正解だったんじゃないの?」
そう問い詰めると、彼は少しだけ眉を上げて笑った。
そして、まるで秘密を共有するような声でこう言った。
「当たりすぎると、目立つから」
──心臓が跳ねた。
そんな答え、想像してなかった。
「なにそれ。バカみたい」
私はそう言い捨てて歩き出す。
でも、たぶん顔が少し赤かったのは、気のせいじゃない。
私だけが知ってしまった。
あの人の”ズレた”秘密を。
そしてたぶん、それがちょっとだけ、うれしかった。
──この時は、まだ知らなかった。
その「ズレ」が、どんどん自分の心を侵食していくなんて。