自覚
六月のある日。空は重く曇っていた。
「――傘、忘れた」
ぽつりと玲が言ったのは、下校時の玄関前。
「一緒に入りますか」
静が言うと、玲は無言で傘に入ってきた。距離が近い。体温が伝わるほどに。
「……なんでこんなこと、してくれるの?」
「あなたが嫌がらないから」
「ふうん」
玲はそれきり、黙った。
沈黙がしばらく続いたあと、玲が言った。
「静って、変わってるよね」
「よく言われます」
「人と話してるとき、どこか宙に浮いてるみたいな目をする」
「……人と話すの、苦手なんです。上手く笑えないし」
「でも、私の前では笑うじゃん」
静は、その言葉に一瞬だけ息をのんだ。
「……それは、あなたが、嘘つかないから」
「嘘ぐらいつくよ。今だって、本当は傘忘れてないし」
「え……?」
「静がどうするか、見たくなっただけ」
静の胸が、ひどくざわめいた。
雨音が、やけに強く響く。
「……それって、わたしのこと、からかってるんですか」
「ちがう」
玲の目が、真っ直ぐだった。まるで刃のように冷たく、だがそこには確かに何かがあった。
「私はね、静がどう変わっていくか、ずっと見てたいだけ」
「どう……って?」
「静は、まだ本当の自分を知らない」
「……本当の、わたし?」
「うん。壊れる手前の静が、いちばん綺麗だと思う」
それは、愛の言葉のようにも、予告のようにも聞こえた。
静はその言葉を、しばらく心の中で転がした。
その夜、静は鏡を見た。
表情のない自分の顔。目の奥が、どこか熱を帯びていた。
「わたし、壊れるのかな」
その問いに答える者は、もう自分の中にしかいなかった。
そして、その中心にいるのは――伊織玲という、少女であった。