第42章 静寂の箱の納品
朝、アトリエに最初に入ったのは僕だった。
靴はまだ箱の中で、静けさを保っていた。
ビアトリクスが少し遅れてやってきた。
手に軽い布を持っていて、それを箱の上にそっとかけた。
「セラフィナには、こんな納品がふさわしい。シンプルで上品にしなきゃ」
彼女の目は慎重で、そして優しかった。
メアリーも帳簿を持って僕のそばに来た。
納品の詳細をひとつひとつ読み上げた。
「場所:図書館の丘。時間:10時。NPCセラフィナ、予約を承認済み」
僕は両手で箱を持ち上げた。
重くはなかったけれど、その意味はとても大きかった。
僕たちはアトリエを出た。
パロウニアの街並みは、朝日と共に静かに目を覚ましていた。
図書館の丘は街で最も静かな場所の一つで、崩れていない珍しいエリアだ。
木々の間を通る石畳の道は、どこか心を落ち着かせてくれる。
セラフィナは入口で僕たちを待っていた。
「時間通りね」
本を手にし、眼鏡を直しながら顔を上げた。声は柔らかかったが、目は鋭かった。
「靴職人、私の注文品はできたのかしら?」
一歩、僕に近づいてくる。
「できています」
僕は両手で箱を差し出した。
セラフィナは箱を受け取り、上にかけられた布をそっと外した。
彼女の目が少しずつ見開かれていく。
しばらく靴に触れることなくじっと見つめていた。
深く息を吸い、指先で靴の側面をそっとなぞった。
「これは…私の想像を超えているわ」
その声はほとんど囁きのようだった。
箱の端から一枚のメモが出てきた。
メアリーが手書きで、このモデルに「静寂なる足取りの影」と名付けていた。
「実際に履いて試してみるわ」
セラフィナはメモを読み、眼鏡をそっと外して声を落ち着けていた。
彼女が靴を履いた瞬間、それは完璧に足にフィットした。
一歩踏み出しても、石畳にはまったく音が響かなかった。
ビアトリクスは息をのんだ。
メアリーは腕を組み、静かに見守っていた。
セラフィナはさらに数歩進んだ。
こちらを振り返った時、その目には明確な称賛の光があった。
「この靴はただ静かなだけじゃない…とても優雅だわ。足が靴を気に入っている」
声がはっきり聞こえたのは、この時が初めてだった。
「今からあなたたちに相応しい評価を与えましょう」
【おめでとうございます!NPC研究者セラフィナから、「静寂なる足取りの影」に★★★★★評価を獲得しました】
【追加報酬:「静寂の技」スキルを解放しました】
インターフェースに通知が表示された。僕はその画面をただ見つめた。
スキル…だと?
「静寂の技:高品質な静音アイテムの効果+10%」
こんな特別な報酬を受け取るのは初めてだった。
「新スキル解放だって!最高じゃない!」
ビアトリクスがその場で跳ねた。なぜなら、ゲームの仕様上、一緒に働いた仲間はお互いのスキルを確認できるのだ。
「この靴はセラフィナだけじゃなく、システムすら動かしたのね」
メアリーが微笑んだ。
「もし希少な素材を見つけたら、またお願いに来るわ」
セラフィナが再び口を開いた。
「ご満足いただけて光栄です」
僕は頭を下げた。
セラフィナは別れ際に小さな紙を渡してきた。
「この人たちも靴を必要としているわ。私から推薦したと伝えれば、きっと連絡してくるはずよ」
その声はプロフェッショナルだったが、内にこもる優しさもあった。
紙には数名の学者NPCの名前が記されていた。
セラフィナは静かにその場を後にした。
靴もまた、彼女と共に静かに姿を消した。
僕たち三人は、そこに立ち尽くしていた。
誰も何も言わなかった。
でも、僕の中には大きな静けさが響いていた。
それは、仕事を完璧に終えた者だけが感じる安堵の静寂だった。
アトリエに戻る道中も、誰一人として言葉を発さなかった。
けれど皆、同じ気持ちを胸に抱いていた。
それは、誇りだった。
僕は戻ってすぐ、新しいページを開いた。
タイトルは「第42納品:静寂なる足取りの影」と記した。
その下に評価と報酬、そして僕が感じたことを丁寧に書き記した。
ページの端には小さな蘭の花を描いた。
この納品を経て、静寂はもはや単なる特徴ではなくなった。
それは、僕たちの店の“サイン”となったのだ。




