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第七章 風を裂く誓い(前半)

 ファルセリアの東門を抜けた瞬間、世界の色が変わった気がした。


 石畳の舗道はやがて未舗装の街道へと変わり、視界には草の香りと、かすかな土煙が広がっていく。背後にそびえる都の城壁は、もはや過去の牢のようだった。風は若草のように瑞々しく、空の青さは少年の胸を突き抜けるように澄んでいる。


「これが、旅の始まりなんだね」


 ノイラがポツリと呟いた。青く澄んだ目が、見慣れぬ風景に微かに揺れている。


 彼女の心はざわめいていた。今まではヴェリタスの背を追うように、ただ傍にいただけだった自分。それが今、自分の足で見知らぬ道を歩いている――その現実に胸が高鳴りながらも、どこか怖さを覚えていた。


「……想像より静かだ」


 ヴェリタスもまた歩を進めながら答えた。だがその瞳は、まっすぐ前を向いている。まるでこれから先の困難を予期しながら、それでも決して逸らすことなく進むことを選んだ者の目だ。


(この静けさの裏に、何かが潜んでいる……。俺たちの旅は、まだ何も始まっていないのかもしれない)


 二人の歩みは、やがて森に囲まれた山道へと入った。草木のざわめき、鳥のさえずり、そして小川のせせらぎ。神の寵愛を受けていない自然の、しかし確かな命の息吹がそこにはあった。


 ノイラは時折足を止めては、小さな花を見つけたり、枝葉に宿る虫を指さしたりして、まるで幼子のような無垢さを見せる。だがその目は、常に周囲を見張るかのように警戒を滲ませていた。


(何も起きない、というのが一番怖い……。でも、ヴェリタスが前を向いてくれている。だから私は、ついていける)


 ヴェリタスはそんな彼女を見守るように後ろを歩き、時折地面の傾斜に手を差し伸べた。


 そして二人は、山間にぽつりと開けた小さな集落へとたどり着いた。


 その集落――「ティレル」は、かつて精霊信仰が栄えていたとされる土地だった。石造りの祠がいくつも点在し、民家の軒先には、色あせた布の護符や、木彫りの小さな精霊像が下げられている。住人は多くはないが、皆、素朴で穏やかな人々だった。


(この場所……何か懐かしい。精霊の気配が、どこかに……)


 村の広場で、二人は最初の「出会い」を果たす。


 ひときわ大きな声で子供を諫める老女の声と、それに応える低く落ち着いた男の声。


「無理をなさらずに、老婆殿。私がやります」


 そう言って水桶を軽々と持ち上げた男の背中は、戦場を知る者のそれだった。年齢は二十代後半、いや、三十を超えているかもしれない。重い鎧ではなく、旅装に近い革の上衣を身にまとっているが、動きの一つひとつに滲む威圧感は隠しようがなかった。


 彼が振り返ると、ヴェリタスとノイラの姿にふと目を細めた。


「……珍しいな。この村に旅人とは」


「君も、旅の人なのか?」


 ヴェリタスの問いに、男は静かに頷いた。


「名はドゥラニエル。人々の営みを守るため、巡礼のような真似事をしている。君たちは?」


「俺はヴェリタス。こっちはノイラ。……事情があって、遠くの地を目指しているところなんだ」


 名乗った瞬間、ノイラが横目でヴェリタスを見た。彼が初めて自分たちの旅に「目的がある」と口にしたからだ。それが何であるかは語らなかったが、その一歩は確かに進んだのだ。


(ヴェリタスの中で、何かが変わっている……。私は、その変化を見守っていきたい)


「ならば、少し話せるか?」


 ドゥラニエルは、村の片隅の祠を指さした。


「この村には少し、不可解な現象が起きている。もしかしたら、君たちが目指す先と関わりがあるかもしれない」


 集落の奥にある祠は、苔に覆われ、長く放置された空気を漂わせていた。しかし、その前の泉が枯れているという話を聞き、ノイラは神妙な顔になる。


「泉の枯れは、精霊たちの怒り……?」


「その可能性もある。だが、感じるのは精霊の気ではない。もっと、歪んだ気配だ」


 ヴェリタスの表情が引き締まる。


(見えない敵ほど恐ろしいものはない……。だが、怯えてばかりはいられない)


 やがて、三人は祠の前で夜を迎えることとなる。ドゥラニエルは剣を傍らに置き、炎を囲んで口を開いた。


「……かつて私は聖騎士だった。だが、今は追われる身だ。正しき心を持つ者が、正しき者として扱われない世の中に、何の意味があるのか。そう思って、剣を置いた」


「それでも、人を助けようとしているんだね」


 ノイラの言葉に、ドゥラニエルは小さく笑った。


「……救える命があるのなら、それだけでいい。過去にすがっても、何も戻らないからな」


 その言葉を聞きながら、ヴェリタスもまた、胸の奥にあるものと向き合っていた。


(俺は、何を守りたいのか。ノイラを? 世界を? ……まだ、答えは出ていない。でも、歩き続ける中で、いつか見つかる気がする)


――後半へ続く――



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