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第五章 旅立ちと誓い

― 別れの朝 ―


 空が淡い薄紅に染まるころ、村の広場にはわずかに緊張した空気が流れていた。春を迎えたばかりの風はまだ冷たく、朝露に濡れた石畳を歩くたび、足元から冷えが伝ってくる。ノイラは白い外套の襟元をぎゅっと握りしめた。


 広場には数人の村人たちが集まっていた。パン職人の老夫婦が焼き立てのパンを渡しに来てくれた。旅先で困らぬようにと、薬草屋の娘は乾燥させたハーブを布袋に詰めて差し出す。どれも素朴で、けれど温かい贈り物だった。


 「気をつけて、ノイラ。神の導きがあらんことを」

 村の司祭がそう言って、ノイラの額に手をかざした。その手はいつもよりわずかに震えていた。


 ノイラは笑ってうなずいたものの、その目の奥には複雑な感情が揺れていた。


(私は本当に、このまま進んでいいのだろうか?)


 成人の儀で見たあの“鎖”の幻影。神殿の巫女たちに絡みつくように現れた、見えざる縛り。そして、ヴェリタスの内に感じた、名状しがたい巨大な力の奔流——それらの記憶が、脳裏にこびりついて離れない。


 (神の力とは、本当に祝福なの?

  私たちは、正しい道に立っているの?

  ……それとも、気づかぬうちに闇に手を伸ばしてしまっている?)


 そう自問しながらも、ノイラは一歩、また一歩と歩き出す。背後には、子どもたちの声や、鶏の鳴き声、パンの香ばしい匂い。全てが「日常」であり、だからこそ、それが背中を押すように感じられた。


 「……あのとき、私だけが見てしまったのは、偶然じゃない」

 ノイラは心の奥底でつぶやいた。

 「ヴェリタスが黙っているなら、私が見届けなきゃ……。彼を、信じたいから……」


 そんなとき、ふいにヴェリタスが振り返った。朝日を受けて、その青い髪が淡く光る。彼の瞳には、昨日までとは違う芯のある光が宿っていた。


 「行こう、ノイラ」

 「……ええ、行きましょう」


 言葉は短かったが、それ以上の意味が込められていた。


 村を離れる道を進むとき、ノイラはほんの少しだけ振り返った。小さな村。穏やかな日々。神の教えに守られた暮らし——。だが、それらすべての裏側に「何か」が潜んでいる気がして、彼女は強く目を閉じた。


 (私が見たものが、真実なら……この世界の“祈り”は、何のためにあるの?)


 その疑問に答えるものを、ノイラはまだ持たなかった。ただ、進むしかない。問いの先にある真実にたどり着くために。


― 道のはじまり ―


 村の外れを抜けると、ゆるやかな丘陵地帯が広がっていた。草原には春の花々が咲き乱れ、白や紫の小花が風に揺れていた。空は高く澄みわたり、鳥の声が遠くから聞こえてくる。


 「……こんなに静かだと、かえって落ち着かないな」

 ヴェリタスがそう言って、肩に掛けた旅装の荷を少し持ち直す。


 「村を出たばかりなんだから、まだ人の気配があるのは当然よ」

 ノイラは微笑んで言い返すが、その声にも緊張が混じっていた。


 ふたりとも、長い旅は初めてだった。小さな村で育ち、成人とともに王都ファルセリアを目指すことが、いかに特別なことか——。


 歩くたびに、背中にかすかに残る村の匂いと、前に広がる未知の道とが交錯する。


 「ノイラ、昨日……何か、気になったことがあるんだろ?」

 突然、ヴェリタスが真面目な声で尋ねた。


 ノイラは少し黙ってから、口を開いた。


 「……神殿で見たの。人には見えない“何か”を。巫女たちに絡みつく、暗い鎖みたいなもの。……そして、あなたの中に流れる、大きな力も」

 言葉を選びながらも、その目はまっすぐだった。


 ヴェリタスは驚いたように眉を寄せた。


 「それは……俺には何も見えなかった。でも、あのとき、何か“変わった”気がしたんだ。俺の中で、何かが……目を覚ましたみたいな」


 「うん。私にも、そう見えた。……でも、神官たちは“何も起きなかった”って」

 ノイラは視線を落とし、草の間に咲く花を指先でなぞった。


 「ねえ、ヴェリタス。もし、本当に神々の側に、間違いがあるとしたら……あなたは、それでも信じられる?」

 その問いは風に乗り、長い影の中に溶けていく。


 「わからない。でも……ノイラ。俺は君がそう感じたなら、その目を信じるよ」

 ヴェリタスの声は揺るがなかった。

 「一緒に確かめよう。この世界の“真実”をさ」


 ノイラは驚いたように彼を見つめた。やがて、口元に微かな微笑みが浮かぶ。


 「……ありがとう。あなたが一緒なら、きっと進める」


 日が傾き始め、空が茜に染まりはじめたころ、ふたりは小さな林のそばで野営の準備を始めた。焚き火の薪を拾い、川で水を汲み、簡単な食事を分け合う。どれもぎこちなく、けれど少しずつ「旅の暮らし」が始まっていく。


 焚き火の炎がゆらめき、空に星が一つまた一つ、顔を出す。ノイラは夜空を見上げながら、そっとつぶやいた。


 「星は、神々の眼とも言われているわ。でも……本当に、私たちを見てくれているのかな?」


 ヴェリタスはその隣に腰を下ろし、焚き火の明かりの中で、真剣な表情を浮かべる。


 「もし見ているなら、ちゃんと答えてほしいよな。……この世界に、嘘があるなら、俺はそれを暴く。君と一緒に」


 ノイラは驚き、そして小さくうなずいた。


 (この旅は、ただの王都への道じゃない。運命の問いに、答えを探す旅なんだ)


 そう心に刻みながら、彼女は火の揺らめきの中で静かにまぶたを閉じた。


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