第四章 精霊の祭り(後半)
──精霊の祭り・後半──
風が静かに枝葉を揺らし、緑に包まれた聖域が薄明かりの中で神秘的に輝いていた。ヴェリタスは、ノイラと共に精霊の杜の中央にある古木の根元へと進んでいく。そこには、今まさに祭りの儀式が始まろうとしている場があった。
森の奥から聖女たちが姿を現し、一人、また一人と輪を描くように立ち並ぶ。白い衣と花の冠に身を包んだ彼女たちは、まるで自然と一体化したかのように清らかで、そこにいるだけで心が洗われるようだった。小さな鈴の音が響き、祭りが正式に始まることを告げた。
ヴェリタスは人々に混じって見守っていたが、心は落ち着かない。あの神殿での異変――周囲には何も起きなかったように見えても、ノイラが見たあの“黒い鎖”のようなもの、そして自分には確かに何かが起こっていたはずなのだ。
(……俺は、本当に何者なんだ?)
そんな問いが、胸の内に渦巻く。儀式の始まりを告げる声が森に響いた。
「今宵、精霊の導きを受けし若者よ。心を澄ませ、大地と風、水と炎の声に耳を傾けよ」
ノイラが、そっと彼の手を取った。その手の温もりは、言葉よりも強く「ここにいていい」と告げてくれているようだった。
中央にある古木の前に、村の子供たちが一人ずつ進み、祝福の実を捧げていく。ヴェリタスとノイラも導かれるように歩み出る。ヴェリタスがその根元に膝をつき、手を木に添えたとき、突如として世界が変わった。
風が止まり、音が消え、目の前に白い霧が立ち込める。周囲の精霊の声が次第に混ざり合い、次第に一つの映像を形作っていく。
──それは未来の幻視だった。
荒れ果てた大地、崩れ落ちた神殿。人々が泣き叫び、黒き翼を持つ影が空を覆っていた。その中心に立つ、赤い目をした自分。いや、確かに自分なのだが、その表情は冷たく、どこか人間とは思えぬものだった。
(これは……俺? 俺が、こんな未来を……?)
「やめろ!」と叫ぼうとしたが、声は出なかった。ただ、周囲の精霊の声だけが囁く。
『選ばれし者よ。世界の命運はお前の決断に委ねられている。』
『光と闇、神と人。その狭間にある、お前の存在が全てを変える。』
胸の奥で、何かがひび割れた。
(俺は、人を滅ぼす者として選ばれたのか? それとも、誰かを守るために……?)
ヴェリタスは幻視の中で崩れ落ち、膝をついた。しかしそのとき、どこからか声がした。
「信じなさい。お前の本質は、お前自身にしか決められない」
その声は、幼いころ夢の中で何度も聞いたことがあるような、懐かしい響きだった。ふと、目の前に黒髪の少女が現れる。ノイラではない。彼女は冷たい瞳で彼を見つめながら、微笑んでいた。
「いずれ、私の元へ来るわ。あなたはもう、選ばれているんだから」
──その瞬間、現実の世界に引き戻された。
ヴェリタスは額に汗を滲ませながら立ち上がった。隣にいたノイラが驚いた顔で覗き込む。
「……見たのね、未来を」
彼はゆっくり頷いた。
「……ああ。でも、あれが本当かどうかは、わからない。けど、怖かった。もしあれが……俺があんな存在になったら……」
「ならないわ」
ノイラの声は、強く、真っ直ぐだった。
「あなたは、もう苦しんでいる。それだけで、闇に呑まれることはない。闇を恐れているなら、それは光に近い証」
ヴェリタスはその言葉に、小さく安堵した。そうだ、まだ自分はここにいる。ノイラと共にいる。未来が定まっていないのなら、自分の手で変えてみせる。
その夜、祭りは続いたが、ヴェリタスの心には大きな波が残っていた。かつて夢見た平穏な旅は、すでに形を変えていた。だが、今ならわかる。自分は逃げずに向き合う覚悟を持ち始めている。
そして、静かに誓った。必ず、自分の手で真実を見つけ出すのだと──。