第九章 後編
緋の瞳、漆黒の誇り
一行は森の奥を抜け、林道へと戻った。西の空が赤く染まりはじめ、日暮れが近いことを告げていた。
ヴェリタスは背後を振り返りながら、まだ歩き慣れない様子の少女──リシェルの様子をそっと伺う。
「……その、歩けるか?」
問いかけに、少女はわざとらしく鼻を鳴らした。
「ふん、これくらい何でもないわ。……下手に手を出して変なことしないでよ、坊や」
「……坊や、って」
肩をすくめたヴェリタスに、ノイラがくすりと笑いかける。
「リシェルさん、あまり警戒しなくても平気よ。ヴェリタスは、そういうのに鈍感だから」
「へぇ? そう見えないけど?」
リシェルは挑発的にノイラの横顔を見つめた。上等なドレスを思わせる騎士団風の服装、美しい金髪、整った顔立ち──しかし、その瞳にある黒い光を見て、彼女は何かを感じ取ったようだった。
「……アンタ、あの力を使ったわね?」
「……!」
ノイラの瞳がわずかに揺れた。が、すぐに口を閉ざし、そっぽを向いた。
「……さっきは命を助けた仲間として、礼を言うわ。でもそれだけよ」
リシェルはあっさりと言い放ち、前を向いて歩き始めた。その背中には、妙な気高さと孤独が同居していた。
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日が完全に暮れた頃、ドゥラニエルが焚き火を起こし、簡素な野営の準備が整った。
「火傷は……無さそうだな。手は震えてないか?」
「うん、平気。……ありがとう」
リシェルが静かに答えた。彼女の顔に浮かぶのは、警戒と困惑、そして微かな安堵だった。
「……なあ、リシェル。さっき、何て言ってた? “私を売った”って」
ヴェリタスが切り込むと、リシェルは一瞬だけ表情を曇らせた。
「……本当に聞きたい?」
「うん。無理にとは言わない。でも──」
「……貴族だったのよ、うちの家。名前くらい聞いたことあるかもしれない。トルヴァン家。南の『ローディア』の末端貴族」
ヴェリタスとノイラが顔を見合わせた。ローディアは芸術や音楽に長けた文化国家として知られ、貴族社会の格式も強い。
「私、気が強いからさ。政略結婚とか、馬鹿みたいな従順な姫ごっことか、できなかったのよ。そしたら──“役に立たない女は、利益にでも変えてこい”ってさ」
彼女の瞳が焚き火に照らされ、赤く光るように見えた。
「領主の息子に売られたの。しかもそれ、家族ぐるみでの合意。……笑えるでしょ」
沈黙が落ちた。夜風が木々を揺らし、火の粉が空へ舞った。
ドゥラニエルが口を開いたのは、それから少し経ってからだった。
「……家名も、血も、何の価値もない。人の価値は、その者が何を選ぶかで決まると、俺は思う」
リシェルはわずかに目を見張り、それからゆっくりと微笑した。
「……アンタ、騎士にしとくには惜しいわね」
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旅は再開された。目的地は、山間の村『ラマシュ』。そこには、古くから隠された祭具を守る巫女の一族が住んでいるという。
「……行くあてがないなら、しばらく一緒に来ないか?」
ヴェリタスの問いに、リシェルは一瞬迷った後、そっぽを向いた。
「別に、アンタたちが頼むなら仕方なくってだけよ? 勘違いしないで」
「はいはい、わかった」
ノイラがくすくすと笑う。その笑顔を見て、リシェルの頬がほんの少しだけ赤くなった。
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こうして、旅の仲間に新たな一人が加わった。
“煽情的で、気の強い少女”──リシェル。
彼女がどんな運命を背負い、どこに向かうのか。
それはまだ、誰も知らない。