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聖女なんか知らない  作者: 鷹取ヒオ


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28 剥落の産声


 扉を叩く音と共に開かれた先には、少しくすんだ淡いブルーの髪を結いあげ、シンプルなドレス姿の女性が現れた。

 しかし、その胸元にはドレスと余程似合わない大粒の宝石をあしらったネックレスが輝いていた。女性は冷たく輝くその宝石のように凛とした態度で突き刺すような視線を部屋の主に向けた。


「陛下、アーティファクトの準備が出来ました」

「セレフィラか。ご苦労だった」


 ヴェリトールはセレフィラを一瞥することなく、ワインが注がれた杯を傾けていた。


「このアーティファクトを使うことが、本当にロイドを救うための方法なのですか? これは治療するための物ではありません、あの子はもう動くことさえできないのに、こんなものを着けたりすれば」

「……セレフィラ、誰が発言を許した?」

 ヴェリトールは飽き飽きしたように溜息をつくと、手の中の杯を無造作に放った。

 硬質な破砕音と共に、赤い液体がセレフィラのドレスに飛沫を上げる。まるで血痕のように広がる赤を、ヴェリトールは愉悦の色を浮かべて見ていた。

 だが、そんなヴェリトールの暴挙にすらセレフィラは冷ややかな視線を向けたまま微動だにしなかった。


「ヴェリトール、貴方がどれだけ手を汚そうとも彼の……、ニクスの足が治れば王位を返上するという言葉、私はまだ覚えていますよ」


 彼女に恐れなどない。


「ヨーコに治療できなかったあの足を、誰が治すというのだ。あの幽閉された聖女か?」

「ええ、本当の聖女様なら治せます」

「クハハッ! だったらなぜロイドの毒は治らない?」


 私が知らないとでも思っているのか、そう吐き捨てたヴェリトールは続ける。


「聖女がロイドの元へ向かったという報告は聞いている。なのにどうしてだ、ロイドの毒は未だに治っておらぬぞ?」

「そんな……」

「やはり私の考えは間違っていなかった。女神も聖女もこの世界に必要ない。この世は私が統べればいい。そして、私が変えるのだ。この世界を」

「女神様への侮辱は許されません、神罰が下りますよ。その言葉今すぐ取り消してくださいませ」

「神罰、か……。今まで何度、私が女神を侮辱したことか、数えればきりがないな。だが、どうだ? 毒を盛られて足が動かなくなったわけでも、魔物の毒に侵され死にそうになったわけでも……、愛する者に捨てられたわけでもない。今、ここで、こうして何不自由なく暮らしているぞ?」

「ふざけるのも大概になさってください、ロイドは王太子なのですよ!」

 セレフィラはこれ以上聞いていられない、と首を左右に振りながら、強めの口調で言い放つ。

 するとヴェリトールの口元は歪み、不気味な笑みを浮かべた。


「セレフィラ、誰がお前に、あのお綺麗な騎士を与えたと思っている?」

「急に何を……」


 セレフィラはヴェリトールの突然の言葉にたじろいだ。

 セレフィラには王太子妃になってから護衛となるアリオスという騎士が一人いた。剣の腕はニクスに劣るが、その容姿はニクスに負けず劣らず、他の令嬢達からの人気もあった騎士で、ニクスが傍に居ないときは必ず傍に置くように、と言ってニクス本人が紹介してくれた騎士だった。

 ニクスの不在時に危険が迫れば助けてくれ、ニクスとのことで悩んだときは相談にものってくれた。

 そして、ニクスが王宮を去り、ヴェリトールとの婚姻が決まってからは、セレフィラを主君とし、ヴェリトールから守るように片時も離れず、全ての時間を共有した信頼できる人だった。

 だがしかし、彼も病には勝てず、もう何年も前に亡くなっている。

 その彼がなんだというのだ。


「ロイドが私の息子でない事くらい当の昔に知っているという事だ」

「……ッ、そんなことあるわけ」

「私に純潔を捧げるのが余程嫌だったようだな? それとも、兄上への当てつけか? あれに寂しさを埋めて貰って満足だったか?」

「馬鹿な事を言わないで」

「今更隠すような事でもないだろう。兄上は考え方が古いから婚約中であっても、お前に手を出すことはなかっただろう? なのに、お前ときたら、ああ、女は切り替えが早いというし、兄上の事などどうでもよくなったか 」

「やめてッ! 私はニクスを愛していたわ!」


 投げられた杯にですら眉一つ動かすことなく微動だにしなかったセレフィラが取り乱し、冷ややかだった表情を歪めた。

 ヴェリトールはゆっくりと立ち上がり、一歩、また一歩と、セレフィラの元へたどり着き、耳元で静かに囁いた。


「アリオスをお前につけるよう、兄上に進言したのは私だよ、セレフィラ」


 ――時が、止まったようだった。

 足元から崩れ落ちるような感覚に、セレフィラは膝をついた。

 酸素がうまく吸えない。喉から空気が抜けるような掠れた音が漏れる。理解したくない脳が、ヴェリトールの言葉の意味を拒絶しろと悲鳴を上げていた。

 信頼していたあの笑顔も、優しい言葉も、おおきな掌も、すべてが嘘だったと。


「あ、あぁ……嘘、嘘よ……」


 自分の口から漏れる声すら、他人のもののように遠く聞こえた。


「全ては計画のうちなのだよ。兄上を追い出し、あの騎士にお前をくれてやったのも、全てな。だがもし、お前がアリオスの誘惑を跳ねのけたのならば、私はお前を心から愛そうと思ったよ。兄上の代わりに最大限の愛情を注ぐつもりでいた……」


 ヴェリトールは芝居がかった仕草で肩をすくめると、冷酷な瞳でセレフィラを射抜いた。


「だが、お前は私を裏切った。毎晩毎晩、アリオスの腕の中で寂しいと泣いていたそうだな? お前がどこに口づけを好み、どんな声で鳴くのかまで、私は全て知っているぞ」


 頭の中が真っ白に染まる。

 ニクスが王宮から離れ、寂しかったのは言うまでもない。隠れてニクスの元へ何度も会いに行った。ニクスが自分を愛してくれた証拠が欲しくて強引に事を進めようとしたが、ニクスはセレフィラを拒絶した。

 勿論、セレフィラの純潔を奪ってしまえば、セレフィラ自身がヴェリトールの反感を買う恐れがある。そうなればセレフィラの王宮での立場が悪くなる。その為を思っての拒絶だということも、彼女自身、理解はしていた。だが、その残酷な優しさがセレフィラの心を圧し潰す。

 ぽっかりと空いたその穴にアリオスが収まるまで、時間などかからなかった。

 ニクスへの罪悪感、アリオスへの信頼、それら全てがヴェリトールの掌の上で転がされていたという事実。

 かつてすべてを許した騎士との思い出が、汚らわしい汚泥へと変わっていく。


「兄上の前では貞淑を装って――その実、腹の底では飢えた獣のように男を求めていた。お前が愛していたのは兄上ではない、王太子妃という立場で輝く自分自身だ。鏡を見てみるがいい。そこにいるのは、兄上を裏切り、この国の王たる私を欺いた、ただの浅ましい女だ」

「違う……やめて、私は……っ!」

「アリオスに抱かれていた時も、やめて、とそう言ったのか? 抵抗したのか? 自分の意志ではないと? 嘘をつけ! その安っぽい感情を昂らせていたではないか! その結果産み落とされたあの子供(ロイド)を、お前はどんな顔で抱いた? 兄上への忠誠心か? 私への復讐心か? それとも中途半端な愛国心か? ……いいや、どれでもない。あれは、お前の理性が欲情に負けたという、消し去ることのできない汚点そのものだ」

「やめて……ッ、お願い、もうやめてヴェリトール……!」


 セレフィラは耳を塞ぎ、床に額を擦り付けるようにして震えた。だが、ヴェリトールの言葉の刃は止まらない。彼は跪く彼女の髪を無慈悲に掴み上げ、無理やりその虚ろな瞳を覗き込ませた。


「安心しろ、セレフィラ。何もかも失う哀れな女に免じて、ロイドはちゃんと王族として扱ってやる」


 ヴェリトールは、ゴミを見るような冷ややかな一瞥を投げると、手を離した。そして、そのまま震える彼女の肩に、慈しむように優しく手を置いた。その指先は氷のように冷たく、決して慰めなどではない。


「ロイドは王族として立派にその責務を果たすだろう。聖女の処刑を置き土産に、な」


 全てはヴェリトールの掌の上だった。

 

「やめて、ください、ヴェリトール……おねがい、私はどうなってもいい、ロイドだけは」

 

 セレフィラのプライドを粉々に砕き、彼女が必死に守ろうとした地位も、愛も、価値のないものだと吐き捨てられた。

 誰も信じるべきではなかった。

 時が戻るのなら、ニクスを追いかけなかったあの日に戻りたい。王太子妃という立場など捨てればよかった。そうすれば、少なくとも彼の愛の中で幸せに生きられただろう。

 ニクスの為に国を守る、と耳障りの良い言い訳をして王太子妃という立場を捨てられず、王宮に残ることを決めたのは誰でもない、自分自身。


 この王宮には自分の味方など存在しなかったのだ。


 だけど、それも最早後の祭り。

 

 女神様、どうかロイドをお救いください。

 罰を受けるのなら、私。あの子にはなんの罪もありません。

 奇跡が存在するのなら、どうか……。


「だが……もし、お前がロイドを助けたいと思うのなら、一つだけ私の願いを聞いてくれないか」

「……っ、それは」


 聞いてはならぬと頭では理解していたが、ロイドのためにと縋る想いで耳を傾けるしかなかった。


「聖女のドレスを準備したのはお前だろう? 残念だが、聖女にウロチョロされると目障りで仕方ない。舞踏会の間だけで良い、あれを外へ出すな。そうすれば、少なからずロイドは死なずに済むかもしれない」

「無理よ……聖女様でも治せない毒なら」

「王家にのみ伝わるエリキシル薬」


 どんな病でも治せると、古来より王家に伝わるレシピを前王がニクスのために復元させ作らせた薬。しかし、その薬はニクスの元へ届くことはなかった。


「それは前王様に使ったと」


 前王を助けるために、出来上がったばかりのエリキシル薬を投与したが、そのまま帰らぬ人となった。

 エリキシル薬のレシピは膨大な素材と時間を使ってたった一滴しか抽出できず、完全に薬の製作は不可能だと結論付けられ、廃棄されたと聞いた。


「クハハッ、そんな貴重な薬を老いぼれの為に使わせると思うか? あれが飲んだのは偽物だよ。本物は私が持っている。それをロイドに使ってやろう。ああ、勿論、助かるかどうかは薬を飲ませないと分からないがな」


 そう、嘲るように言い放った。

 助かったとしても、出自を考えればロイドは廃太子。だけど、それでも我が子が生きてくれるのなら。

 セレフィラは声を押し殺して首を縦に振るしかなかった。


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