27 白銀の誓い
大丈夫。
そう、自分に言い聞かせた。
今までやりたいこと、生きるためにたくさん諦めてきた。
一人じゃ叶えたい夢なんて持てやしない。
でも、今の私は一人じゃないんだ。
だったら、やれないはずない。
靄が部屋を覆いつくす様に漂い、美愛の視界を妨げる。
ポップアップされたウィンドウは彼らのタイムリミットを告げている。
クレアに手を引かれ、一人の横たわる女性騎士の前に立ち、胸元にそっと手をかざすと、指先から淡く、意志を持ったように白銀の光が溢れ出した。
それはまるで、冷たい夜に差し込む月光のよう。
「お願い、消えて」
毒よ、消えろ。そう祈りとともに放たれた白銀の光はゆっくりと虹色を帯び、騎士の体を蝕んでいたドス黒い毒素を、霧散させるのではない。まるで最初からそんなものは存在しなかったかのように、清らかな生命力へと塗り替えていく。毒の呻きは消え、部屋にはただ、静かな寝息と、どこか懐かしい花の香りが満ちた。
ホッと一息ついて、再び背筋を伸ばし気合を入れなおす。まだ苦しんでる人が居る。花火が終わるまでの時間はあまりない。急がないと。
花火の音が遠く耳に届いた。
ついぞ黒い靄がすっかりと消え去ったこの部屋には最早病人など存在しない。皆、すやすやと気持ちのいい寝息を立てていた。間に合ったんだ、と静かに手を合わせ喜ぶ美愛たちの前に、一人の男性が震えながら姿を現した。
この教会を預かる大神官、ユリウスである。
「……ああ、ああ、なんという……」
クレアが間に入ろうとしたが、ユリウスのその瞳には、かつて一度も見たことのない「本物」への畏怖が宿っていた。それに何かを感じ取ったクレアは隠し持っていたナイフを取り出すことなく美愛の前に出るだけにとどめた。
ユリウスの瞳にはクレアが映っていないのか、美愛の前に膝をつき、祈るように見上げた。
「大神官殿、いたのですか」
ニクスの優しい声が聞こえた。
メアリーがニクスを呼んだのか、ニクスとその後ろでカインが剣の柄に手をかけているが、ユリウスはそれすらも目に入らない様子で、白く綺麗な手を美愛へと伸ばそうとした。
「これこそが古の記録にある『聖なる御手』。ヨーコ様ではこの境地になりえない……やはり貴女こそが」
一突き。杖が床を鳴らす音が、問答無用の合図のように言葉をかき消した。
「その言葉、今は飲み込んでいただこうか」
ニクスが冷徹なほど静かな声でその手と言葉を遮った。
一触即発の様相を呈していた室内に「患者さんの体に障りますので場所を移動しましょう」とメアリーが提案するまで美愛も含め誰も動けないでいた。
「ここで行われたことは、女神と我々だけの秘密だ。もしこのことが漏れれば……この教会は、真実を守れなかった場所として歴史に刻まれることになる」
応接室のソファで向かい合い、じっと聖女を見つめるユリウスは、静かに首を縦に振った。
力の弱い洋子のサポートをしていたユリウスからすれば、誰の手を借りることも無く、虹色の眩い奇跡を起こした美愛に、圧倒的な格の違いを見せつけられ、彼はもう、洋子の取り巻きではなく、美愛という本当の光に魅せられた一人の信徒になっていた。
「聖女様、まずは騎士達の治療、感謝の念に堪えません。そして、身に余る奇跡を拝見いたしました。これほどの御業を前に、私は……」
ユリウスは言葉に詰まった。先日の不敬な言葉が、今や刃となって彼自身の胸を刺す。
「あのような不遜な口を叩いた己が恐ろしい。万死に値する行為だったと。ですが、ですがどうか、この身への罰は如何様にも受けます」
ユリウスは、今や己の不敬を呪うように床へ額を押し付けていた。
「未だ毒に侵され苦しんでいるロイド殿下の命をお助けください……ロイド殿下は彼女の為に死ぬ覚悟をしておいでです」
顔を上げぬまま、血を吐くような思いで言葉をつないだユリウスに、ニクスの顔が険しくなる。
「正直なとろこ、今更どの面下げて。そう罵られても当然だと自覚しているだろう? 本当の聖女がミアだという事もその立場で分かっていたはずだ。何故ずっとヨーコの傍にいた?」
「それは……私が彼女に対して特別な感情を抱いてしまっていたからです」
色恋沙汰は大好物です。と、いつもなら目を輝かせるメアリーだが、愛とは盲目なものですね、と冷ややかに言い放ち、クレアが少し咳払いをした。そんな二人を他所にニクスは続ける。
「立場もわきまえず、己の欲を満たそうとした神官が過去、どうなったか」
「返す言葉もありません。私の命ある限り聖女様に全てを捧げる信徒となることを誓います。地位も、名誉も、この身に宿る権威も。すべてを捨てましょう。聖女様、私をただの道具としてお使いください。それが、愚鈍であった私に許される唯一の贖罪なのです」
「だからロイド殿下の命も救えと? 随分都合がいいな。貴様は」
「厚顔無恥は重々承知の上でございます。例え女神様の神罰を受けようとも、それでも私は殿下をお救いしたい! ……ヴェリトール陛下は『これこそが聖女の試練』だと宣い、今では外部の医者ですらロイド殿下から遠ざけています。聖女宣言と称して舞踏会で大々的に治療するため、アーティファクトを利用してまでロイド殿下を舞踏会に参加させる気です! このままでは、殿下は……」
「ロイドさん、私の事、大嫌いでしょ?」
私の一言にユリウスは言葉を飲み込んだ。
先日の事を水に流すことは到底できはしない。ロイドは私を聖女として認めないし、何があっても拒絶するだろう。
だけど、今日気付いてしまった。
苦しそうな顔がゆっくりと安心した顔に戻っていく奇跡。私じゃないと救えない人たちが居る。私の力は私だけのための力じゃない。
私がこの世界に来た理由だってきっとそこにある。
その事実を知ってしまった以上、洋子が変わりにやってくれるから、と楽して生きていくことはもうできない。
「でも。どんなに嫌われても、やっぱり聖女として助けたい」
口から零れた言葉を取り消すことはもうできない。
「最初こそどうして私がこんな扱いなのって思ってたけど、時間が経つにつれそれもどうでもよくなって、洋子さんが聖女になりたいのなら勝手になればいいって思った。でも、そうじゃないんだって」
ゆっくりと紡ぐ言葉を誰も遮ったりしない。
「私がちゃんと聖女として役目を果たしていたら、騎士の人たちがこんなにも苦しい思いをすることはなかった。私と洋子さんの嘘の所為で救いを求める誰かが救われないなんて……そんなの許されるわけない。私は、ちゃんとそこに立たなきゃいけない」
美愛の声は、静かだが凛として響いた。
「ユリウスさん。私を呼んだのが女神様と貴方達神官なのだとしら、最後まで見届けてください。私は今日、自分の意志で聖女になるよ。運命に流されるんじゃなくて、この力で、私が守りたいと思う人たちの運命を変えるために」
ユリウスは顔を上げた。
そこに居たのは、あの日、魔法陣の中でぼんやりとしていた少女ではなく、固い決意を表わすかのように淡い月光を纏った、たったひとりの聖女だった。
いつの間にか花火の音が消えていた。
人に見つからない様、ユリウスが裏口から出してくれた。
手配してくれていたのだろう馬車に乗り、誰にも見られることなく帰宅できるようにしてくれた一台の馬車。ここには美愛とニクス、二人だけ。
なんだか妙に緊張してしまうのは、目の前に座るニクスの静かなその瞳がこちらを見ているからだ。
考えるな、考えるな。と、別の事を巡らせた。
教会の後処理をメアリーとクレアに託したが、花火から帰ってきた神官たちがユリウスを見たらどうなるのだろう。気を紛らわすために彼らのことを考えていると、ニクスが突然跪いた。
ニクスと同じ目線になり、真っ直ぐぶつかる視線に少し恥ずかしくて反らした。
「ミア、これを受け取って欲しい」
下から伸びた大きな手が美愛の首元に、優しくネックレスをかける。
オークションで落札したあのネックレスだ。
「君がこれから踏み込む世界は、決して美しいばかりではない。だから、君の抱く『助けたい』という純粋な意志をどこまでも貫けるように、支えよう。悲しみには剣となり、不安には盾となることを誓おう」
ニクスの真剣な眼差しと、その手の温かさが、美愛の心に「一人ではない」という勇気を与えてくれる。
「ニクスさん、私……」
言葉を許さないと言うようなタイミングで、馬車が石に乗り上げた。
音と共に傾いた体をニクスが受け止めてくれる。
カインの謝罪の言葉はもう聞こえない。
ニクスを押し返すこともできない。
目の前の硬い胸板に額を押し当て、自分の小さな拳が彼の拍動を拾う。
鼻を擽るニクスの優しい匂い。
ああ、離れたくない。
「ミア?」
心配そうな声が頭上でする。
「本当は聖女失格かもしれない」
ぽつりとつぶやいた。
一つ零せば、二つ三つとあふれ出る言葉を止めることが出来ない。
「これからきっとたくさんの人の期待に応えなきゃいけないんだって思ったら体が震えるの……洋子さんはずっとこんなプレッシャーの中に居たなんて考えもしなかった。私、凄く自分勝手に生きてきたんだって」
ニクスは何も言わずただ美愛を抱きしめ言葉を待つ。
「現実から逃げてた私が、今まで努力していた洋子さんの居場所を奪うなら……、洋子さん以上にいっぱい、いっぱい頑張らないとって」
震える唇で紡いだ言葉をニクスは優しく頭を撫でてくれる。
「私、ちゃんとできるかな」
「……君は気付いていないだろう」
二人が初めて出会った日。絶望から前を見れないでいたニクスの運命を、美愛が変えたあの奇跡の夜。
「すでに君は私の運命を変えた立派な聖女だよ」
その言葉に安心したのか、美愛の瞳からは涙が溢れた。
涙を止める余裕も、言葉も、今の美愛には何もない。ただ、ニクスの服を掴んで離さないことでしか、この嵐のような感情を耐えきる術がなかった。
そんな美愛の背中を、ニクスの大きな手がゆっくりとなぞる。
「何も恐れることはない。君が望むままに」
ニクスは彼女の耳元で囁いた。
騎士として剣を握り、数多の修羅場をくぐり抜けてきた自分の手が、彼女の涙を拭う事も出来ず、切ないほど震える小さな肩をただ、抱きしめることしかできない。
まるで美愛の素肌に触れることを恐れているように。
ニクスは自分にもまだ若造のような感情が残っていることに自嘲気味に笑った。今はまだ、ただの保護者という仮面をつけていよう。
馬車が止まるその時まで。




