03 進んだ先の
毎日のようにあんな風景を見せられ、嫌でも残酷な現実を突き付けられる。
だからと言って美愛に危害が及ぶわけでもないので文句も言えない。
さすがに洋子も力があるとはいえ、本当の聖女は自分なのだから何か私にできることはないかと、洋子に申し出ても「子供にはとても危険な仕事だから何もしなくていいのよ」と一蹴される。その挙句、洋子の傍に居る護衛騎士に何故か睨まれ踏んだり蹴ったりである。
確かに私はまだ高校生で、洋子や他の人間から見れば子供ではある。
だけど、子供だからという理由で何もするなと言うのは、大人として間違っている。「何もするな」は遠回しに「貴女は不要です」と言ってるようなもので、子供だって傷つくんだぞ。
「暇だー」
毎日ベッドにゴロゴロするだけの生活が苦痛でしかたない。
ここへ来るまで毎日、馬車馬の如く働いていたものだから、この何もない時間が美愛にとっては虚無なのである。
ここにはスマホもパソコンもないのだから趣味を満喫できるわけもなく、暇で暇で仕方がない。
せめて自由に外に出してくれれば、と期待を込めて毎日メイドに暇だと訴え続けた。
呆れたようにメイドがわかりましたと何処かへ行き、しばらくして戻ってきたかと思えば、歴史書や文学、魔法の専門書に聖女の伝説が記された史記等、大量の書物を部屋の片隅に置いて行った。
違う、そうじゃない。
メイドのあまりにも期待外れの行いに白目をむいた。
「ここから出してくれー」
悲しいかな願いは叶わず。それでも律儀に持ち込まれた書物の中から読めそうなものを探した。
まずは、聖女の情報が書かれている史記を手に取った。
重厚な装飾が施された重い表紙を開けば、活字不足の美愛は無我夢中で読みふけった。
歴代の聖女は七人。何故、聖女がこの世に呼ばれるのかは時代とともに多種多様であった。
そして、召喚の儀式は二百年に一度だけ行え、元の世界に戻ったという記述はどこにもなかった。
初代と四代目の聖女が呼ばれた理由は魔王の存在。二代目と七代目は自然による世界規模の災害を防ぐため。三代目と六代目はドラゴン種と魔物の討伐。そして、五代目は大陸統一という和平のため、だったそうだ。
どの聖女もその奇跡の力で世界を救ったそうだが、毎日庭で王子と聖女がティータイムする程平和なこの世界に、危機が迫っているような感じはない。
だが、かつての聖女は最後にこう残している。
「繁栄と成長を続ければ、いずれ世界は忘れてしまうだろう、この結界の向こうに巣食う悪意を」
そこでやっと自分の見ているこの世界はとてもちっぽけなものだというのが理解できた。
ならば、世界を知れ。美愛はそのまま歴史書を手に取った。
この世界の海はどこまで続くのか、多くの者がその神秘に立ち向かったが、その果てを知る者はまだいない。不完全な書物に整合性を求めても信頼にたる記述は少なく、剣や魔法が発達しているとはいえ、魔物や自然の脅威を前に、人間はあまりにも脆弱だ。
それぞれの大陸に位置する国々は、己を守るために街に結界を築き、その中で暮らしている。結界の外へ出るのは危険を伴うため、基本的に交易のための輸送隊や定期的な魔物討伐隊、冒険者達くらいである。
アルデナ大陸、その中央に位置するイーリア王国。
豊かな自然に囲まれ、広い範囲にわたる気候帯を利用した野菜や果物の生産が盛んな農耕民族の国。そして、それらを利用した二次産業、三次産業が発展しており、王都の中央には巨大な市場が毎日のように賑わっている。
そして、少し南に進むと、両隣の島国を繋ぐ貿易拠点でもあるロックウェルがある。大昔は石切り場だった名残で街全体が大地の穴の壁沿いにあり、天然の保冷庫として今も尚、その形を残している。
他にも魔術師の暮らす塔と呼ばれるアカデミーや、神官達の総本山、霊峰カティス。神秘の泉に、立ち入ることの許されない森。
まさに絵に描いたようなファンタジーな世界が広がっている。
美愛は、ふるふると震える体をぎゅっと抱きしめた。
自分が待ち望んでいた異世界が目の前に広がっている。
どうせ元の世界には戻れないのなら、私はこの世界をこの目で見てみたい!
美愛の決断は早かった。
外出を希望しても出してもらえないなら、こっそり出る方法を考えた。
一応、維持費として渡されていたお金には手を付けておらず、これを元手にまずはこの王宮以外の住む場所と仕事を探せばいい。今までやっていたことと同じだ。
「ゆくゆくはこの聖女の力をつかって冒険者にでもなろうかな」
そうすれば、いつだって私は自由になれる。聖女だなんて期待させておいて、私が居なくても何とかなるなら、私は何もしてやらない。
あとになって助けて~って泣きついてきたって知らないんだから。
決行の真夜中。
メイドの一人が就寝を確認して部屋を後にした。これから朝までこの部屋には誰も近寄らない。周囲も静まり、絶好の夜逃げチャンスだった。
姿勢を低くして、音を立てずに部屋から一歩、外へ出た。
闇夜に紛れた私は今、くノ一だ、と言い聞かせ隠密に徹していた。自分を隠すために徹しすぎたせいで、人の気配に気づかなかった。気づいた時にはぶつかってしまっていた。
「ご、ごめんなさい!」
相手の男性はグレーの髪に金色の瞳をした30代後半くらいの男性で、フォルカとはまた別の騎士のような出で立ちだが、フォルカと違う点はその豪華なファーのついたマントだった。
背丈だって私よりある男性を弾き飛ばしたのだ。私のフィジカルどうなってるの。いや、そんなことより転倒してしまった男性の周辺を見て美愛はハッと息をのんだ。騎士だとしたら余程につかわない杖が彼の近くに転がっていたのだ。どうやら足が弱かったようで、ぶつかったのと同時にバランスを崩して後ろに転んでしまったのだ。私は、なんてことをしてしまったのだ。
慌てふためく美愛に、男性はフッと笑みをこぼした。
「いや、私も考え事をしていたようで、君に気づくのが遅れてしまった」
「あの、立てますか? 今治しますね」
この世界に来て初めて聖女の力で他人を癒す。うまくいって、お願い。そう、祈りを捧げるように手を組めば、眩い虹色の光が周囲を照らした。
「……これは」
「もう大丈夫だと思います!」
ゆっくりと立ち上がった彼は、不思議なことが起きたと言わんばかりの表情で立ち尽くしていた。
その様子を見ているだけだった美愛の耳に足音が聞こえ、今見つかるわけにはいかない、と美愛は転がっていた杖をとり、彼に手渡した。
「あの、私どうしても行かなきゃいけなくて」
「待ちなさい、君」
「本当にごめんなさい!」
何かを言われる前に美愛はさようなら、と走り出した。