11 孤独な粒
ああだこうだ色々とニクスに教わり、ぎこちない手つきが少しはましになっていき、ついに次はお待ちかねのメインディッシュ、肉料理だ。
ベルを鳴らせば次の食事がやってくる。
やっぱり高級なお肉は気分を上げてくれる。
コーデリアがニクスの前に置き、さらに美愛の前にも置いた。今まで美愛の給仕はウェイターさんがやってくれていたのに今はコーデリアが一人でしてくれている。やはり高級店なだけあって忙しいのかもしれない。
皿を置いた手を引く際にテーブルの上に置かれていたナイフを袖か何かにひっかけたのかするりと床に落ちた。
「っ、大変失礼いたしました、すぐに別の物をお持ちします」
部屋を出ていくコーデリアの後ろ姿に、お肉が待っているのでなる早で、と美愛は心の中で言った。
「先ほども言ったが」
「魚や肉は左側から一口サイズに切り分けて食べる! そして、ひっくり返さない!」
ニクスは頷くようにワインに口をつけた頃、コーデリアが戻ってきた。とても迅速な対応に関心し、待ってましたと言わんばかり満面の笑みで迎える。
「こちらをお使いください」
新しいナイフを準備され、美愛は感謝の意を込めてペコリと会釈を返した。コーデリアは美愛がナイフを握るのを確認してから、一礼し再び部屋から出た。
「さぁ、このお肉ちゃんを堪能しなくては。何の肉かは知らないけど」
美愛の住む世界には存在しない品種かもしれない。ニクスは料理について説明をしようと思ったが、肉料理を見た美愛があまりにも嬉しそうにするから、黙ってワインボトルを傾けた。
美愛は肉にフォークを刺し、ナイフの背に置いた人差し指に力を入れて切るように。……ん? き、切るように?
「あ、あれ?」
「音を立てずに」
「は、はい、わかってはいるんですけど……なんか、切りにくい」
ナイフがカチャカチャと音を立てている。先ほどまでは静かに扱っていたのをニクスも知っている。
ディナー中に席を立つのはマナー違反だが、そう言いながらニクスは美愛の傍にやってきて、美愛に覆い被さるようにナイフを掴む手を重ね、美愛の手を持ちながら、教えるように肉へナイフを入れた。
が、ニクスがナイフを入れても切れることはない。ニクスは、美愛の手からナイフを取り上げ、添え物の野菜にナイフを突き刺した。よく切れるナイフであれば、綺麗な断面を現すはずなのに。それは切るとは言い難く、野菜がぐしゃりと潰れた。
ニクスがベルを鳴らせばやってきたのはコーデリアではなく美愛の給仕をしてくれていたウェイターだった。
「ナイフの切れ味が悪い。新しいものを」
「あっ、し、失礼しました」
受け取ったナイフを見たウェイターの顔が少し曇った。
「何か、問題があるようだな?」
「オーナー、実は……」
「場所を変えよう。その前に彼女に新しいナイフを。ミア、少し席を外す。大丈夫か?」
「はい、大丈夫です! いってらっしゃい」
ニクスはフッと笑って杖を取り、ウェイターと一緒に部屋を出て行ってしまった。
「あー、びっくりしたぁ」
ニクスに握られた手があつい。心臓がバクバクしている。
この世界が乙女ゲームの世界ならば、きっと今のがイベントなんじゃないかと思うくらいの出来事で、でも、あの温かい手は本物で、作り物なんかじゃない。
触れられた手を撫でながら、お預けになったお肉を見つめていると、扉が開いた。ウェイターがナイフを持ってきたのか、それともニクスが帰ってきたのか、視線を向ければそのどちらでもなく、そこに居たのはコーデリアだった。
「ニクス様はどこへ行ってしまったの?」
「あ、先ほど出て行ってしまって」
出て行ったという言葉を聞きいて、コーデリアは皿の上のよれよれになっている肉を見た。そして、クスっと笑った。
「あらあら、ニクス様が出て行ったのも納得だわ、ナイフも満足に使えないなんて。そんなへたくそなマナーでよくニクス様の前に座れたわね。私なら恥ずかしすぎて無理だわ」
「え? いや、今はニクスさんに」
「この店はニクス様が出資なさったレストランよ。王族でさえここで食事をするのに順番待ちをしないといけない格式高いレストランなの」
ゆっくりと近づいてくるコーデリアに、美愛は狂気じみた何かを感じ、びくりと怯えるように肩を震わせた。
「それなのに……。ねぇ、お願いだから店の品格を落とさないで欲しいわ」
「ご、ごめんなさい……」
「謝って済む問題じゃないのよ。あなたは今まさに、我がレストランの名誉に傷をつけたのよ?」
品格がー、名誉がー、そんな言葉を並びたてられれば、言い返す知恵も勇気もない美愛はもう謝るしかなかった。
マナーを教わっている最中とはいえ、確かに個室じゃなかったら他の客の視線が気になっただろうし、現にニクスにはあれやこれやを注意されている。
だとしても、ニクスは終始笑っていたし、そんな責められるような程酷いマナーだったかな、私?
「それに、姓も名乗らないなんて貴族では考えられないわ。どうせ卑しい身分の娼婦かなにかなんでしょう? ねぇ、教えてくれないかしら、どうやってニクス様に取り入ったの?」
「いくらなんでも失礼で、きゃぁっ!」
美愛は怒りのあまり立ち上がろうとしたが、コーデリアの爪が食い込むくらいの強さで肩を掴まれ、再び椅子に押し戻された。
「ねぇ、ニクス様は夜、どう過ごすのかしら? ベッドの上で何をお話になるの? どんな風に微笑みかけるのかしら?」
「な、な、なんてこと言うんですか?!」
豹変したように下品な物言いをするコーデリアに美愛は今までにないくらい顔を赤くした。
先までの仕事ができるキャリアウーマンはどこへ行ってしまったのか、美愛は少ない人生の中でこんな下世話で酷い誹謗中傷を受けたことがない。そもそもニクスに対しても失礼極まりない。
「まぁ、どっちにしてもお前みたいな若いだけが取り柄の女なんてお遊びに過ぎないのよ」
コーデリアはニクスの飲んでいたワイングラスを手に取り、それに唇を寄せた。
「目障りなの、消えてくれない?」
ワインの中身を頭の上からぶっかけられた。
滴り落ちる赤紫の雫が、せっかくのワンピースを染めていく。
もしも、ここが本当に何かの創作物の世界なのだとしたら、こうなる前にきっと誰かが助けてくれる。でも、ここはそうじゃない。ニクスはまだ戻らないし、クレアもカインも、メアリーだっていない。ここには私一人。誰も助けになんて来てくれない。
この世界で生きていくのなら、自分で何とかしないといけないんだ。
椅子を倒すように思い切り立ち上がり、美愛はコーデリアを睨んだ。だが、コーデリアにはノーダメージで綺麗な顔で不敵に笑っている。
こういうのは相手にしてはいけないと決まっている。美愛はコーデリアの横を通り過ぎ、扉に手をかけた。
「裏口は出て左よ。そんなみっともない恰好でメインホールに入らないでね」
「みっともない恰好にしたのは貴女よ」
精一杯の抵抗だった。アハハと声をだして笑うコーデリアに対して怒りのあまりグッと拳を握りしめた。
部屋をでて左へ突き進み、裏口から外へ出るまで誰ともすれ違わなかったことにホッとした。
誰にも、ニクスにさえ、こんな姿見られたくない。なんでか分からないけど、嫌だ。
美愛は通りの方へと足を向けるが、辺りは暗い夜の世界に雨が降り始めている。怖い。光のない世界がこんなにも怖いなんて。
どうして自分がこんな目にわなきゃいけないんだとその場にしゃがみこんでしまった。
ダメだ、自分でなんとかしないと。そう思えば思うほど、惨めな気持ちが大きくて立ち上がる気力もなくなっていく。
「今なら簡単に家出できちゃうのに……メアリーに会いたいよ」
大丈夫ですよ、と笑って迎えて欲しい。あの場所は暖かくて、もう、一人になるのは嫌だ。
ぽつぽつと肩に触れる雨の粒が冷たくて、楽しかった時間が全部嘘のように思えた。
「お肉食べれなかったな……」
ワインの滲みも、流れる涙も全部全部、雨で流して。




