第109倭 八卦の乙女に這い寄る魔
「チ=オカイ=マェ カ=ソモ=ネ……八卦発動! さらに……全八卦……発動! いっけぇ~!」
光の柱と化して迸る八卦図バーグァトゥの権能が、太極タィジィへ集束し一つに溶けあい、巨大な光柱となりて吹き上がる!
「んぁあ! モノ凄いナニカが……入ってくるぅ~!」
「八卦は、己の至らない処を、想念籠めずとも補う様にチカラ与えてくれます。故、あなたに足りない霊力のストゥ根源たる、シンノ=レンカイネ真理の源泉も、強制的に補完されていくのです……!」
「んぅっ! これってあのヒメちゃんのヌプルの刻の! あれの何倍もスゴいのが……入ってきて、わたしの中をめちゃくちゃに掻き回し……んぁあ!」
吹き上がる光柱の中、ミチヒメが鞭の如く激しくしなった後、一段と輝きを増した光に呑み込まれて同化してしまった。
「ミ、ミチヒメ~!」
反射的にヤチホコが叫び駈け寄ろうとする。素早く、しかし静かに諭すように向津日霊女が呼び止める。
「無事を祈り、見守ってあげて下さい! 彼女が試練に打ち勝ち戻ってくる処を強き想念で念じて」
「無事を……は、はい! わかりました。ミチヒメ……頑張ってください!」
三人は八卦図の外より、ミチヒメの無事を祈りながら吹き上がる光の柱を見つめていた。
「……モ、モノ凄いチカラの流れ! これに呑まれず、耐えて……乗り切る!」
光の奔流の中、ミチヒメは必死に己を保とうとしていた。
(独りでは無力なマッカチの分際で何を宣う?)
その存在は、耳ではなく、心に直接語りかけて来た。
「……誰? そ~よ、確かにわたし独りじゃ何にも出来ない。でも、この子たちや、ヒメちゃん、そしてこの八卦……誰かとチカラ合わせたら、わたしは無限の力を出せる!」
声の主は嘲笑を交えて応える。
(その……無限とも思えるチカラ自体、どこかのカムイの借りモノではないのかね?)
「わたしの内なるカムイが……借りモノですって!? ……。……。……。」
(いかな統一奴之国の……下伽耶のヒメとは言え、あまりに他のモノと比べトゥムアスヌにも程があるとは思わなかったのかぇ?)
「……確かに。今でこそわたしよりも錬り上がっている緋徒もいるケド、わたしは……みんなと違って、想念一つで……境涯さえも超えちゃうチカラが、魂の内より勝手に湧き上がってくる……」
(借りモノならば意に反すのも当然であろうて。そもそもただのカムイなんぞ遥かに超えしチカラである故)
「そう……そうかもね。フツ~じゃないよね……。でも、決めたの! それも含めて全部がわたしだって! だ~か~ら~没問題!」
(そなたと言う存在自体……誰ぞかの謀り事で生み出されしモノだと聞いても、そのイレンカ持ち続けられるかぇ?)
「謀り事? 一体誰の……?」
姿は観えないが、この上なく陰湿な笑みを携えているように観じるモノが応える。
(知りたいかぇ……?)
「別に聞かなくても良いケド、教えてくれるなら聞いておこうかな……?」
(そなた……そなた等は、あるカムイが己が目的の為に造りしウサライエ=ラマトゥなり。つまりは一人前の生きとし生けるモノですらない、そう言う事じゃよ♪)
「ウサライエ……ラマトゥ……?」
(そうじゃ。トゥムの大半とわずかなシンノ=レンカイネのカケラ……それを内包せし存在がミチヒメ、そなたじゃよ)
「じゃぁ、わたしがカムイに至れないのって……」
(正解じゃ♪ ヌプルと、それを生み出すストゥの、シンノ=レンカイネが全く以って足りないからじゃよ♪)
「ヌプルを生み出すシンノ=レンカイネ。――それじゃまさか!」
(……言うてみい……)
「莫大なヌプル持ちながらも……トゥムとケゥエないヒメちゃんって……!」
(左様! あやつこそヌシのチカラの半身、ヌプルのエウンじゃ)
「緋徒離れしてるもんね、ヒメちゃんのヌプルも」
(そしてもう一人こそが事の発端たる元凶!)
「え? トゥムのわたしとヌプルのヒメちゃんの他に?」
(カムイと成らんが為に欠かせぬモノじゃ)
「わかった。神格、境涯の高さね」
(何モノよりの高き境涯持ちしモノこそ元凶なり)
「そんなのって一人しかいないじゃない! カムイ以外であんなイレンカ以って動く存在なんて! でも、あの方がした事なら間違いないない♪ そ~思うわよ?」
(今のそなた等が彼女に造られし仮初のラムとイレンカ持ちし存在でもかね?)
「わたしの今のイレンカが……かりそめ……?」
(そ~じゃ。本当はミチヒメなんぞ存在しないのではないかぇ?)
「……わたし、本当は、いない……?」
(元の向津日霊女に還らば、苦しみも悲しみもキレ~に忘れてピリカになれると思うぞよ♪)
「コヤイラムして……ピリカ。苦しくも……悲しくも……ない……」
(そ~じゃ~何もそなたが思いつめずとも、向津日霊女のほ~が余程上手にすべてしてくれるぞい?)
「わたしよりパセトゥスクルさまのほ~が? 確かに、パセトゥスクルさま……すべてわたしよりも……トゥムがなくたって……」
(チカラさえあれば……アンにもキにも並ぶモノなんざありゃせんて……)
「たしかにわたしのトゥム、ヒメちゃんのヌプル……パセトゥスクルさまが遣われたほ~が……そのほ~が誰にも負けない……よね?」
常に落ち着き払っている向津日霊女が八卦の外より叫ぶ!
「イウェンテㇷ゚……? ミチヒメの光の柱の中に!――憑かれました!」
「えぇ? トゥレンされたのですか? でも一体何にです?」
「……断じて言う事叶いませぬが、今のミチヒメよりも遥かに高位の存在です!」
「……この地においてまさか!」
青ざめた表情と、戦慄き震える唇を携え、向津日霊女から言の葉が漏れ出す。
「この……シンナ・モシリにわたくしの許可なく入り込める存在――それは、わたくしと同等、もしくは高位の境涯の持ち主!」
「パセトゥスクルさまよりもですか? ボーディチッタ揮う貴女さまより高位となりますと、それはシパセの……!」
「今のわたくしには……シンノ=レンカイネがありません。故、いかにラム磨き、境涯高めども、結界に付与叶うのはせいぜいレワン=レ・アン……。更なる上位のカムイ、そしてイウェンテㇷ゚=ルーガル達であれば容易く侵入叶うでしょう」
「確かに、私達住まうこのモシリに、そこまで高位の存在が顕れる事なんて通常あり得ません。これは……」
カンナは深刻そうな面持ちで憂いを籠めて見つめる。
「で、では……今ミチヒメに入り込んでいる魔は……!」
向津日霊女は、険しい顔でヤチホコを見つめる。
「……今のわたくしでは、どうすることも出来ない存在です」
「――私達は見守る事しかできないのでしょうか?」
何か手出てはと、カンナは向津日霊女に詰め寄る。
「……ヤチホコや。万一の刻、己が身省みず……『全八卦の儀』、執り行えますか……?」
いつになく真剣な面持ちでヤチホコは応える。
「もちろんです! ……強くて、頼れて、面白く、口癖の通り『ぜっさんせ~ちょ~ちゅ~』ですがそこも含めて魅力的。でも少しだけ……弱い処もあり、ものすごく可愛くて愛しい……。ミチヒメ……彼女の為ならば、僕は、それこそが自分の目的だと、きっと乗り越えられます!」
「……流石、我が愛すべき息子ヤチホコや……素晴らしき想念です。ならば今少し……見守りましょう」
「は、はい……!」
迸る光の柱の中、今なおミチヒメは、得体の知れぬ存在からの問いかけに応じている様に伺える。
(元なる存在へ、ヒメと共に還りさえすれば……より多くの民を救えるであろうチカラが、きっと彼女の掌に戻るであろうて……)
(そう、きっと、そうね……。でもじゃぁ何で向津日霊女さまともあろうお方が……チカラを割いてまでウサライエ=ラマトゥの儀を発動されたのかしら……?)
正体不明のナニカは静かに応える。
(そうする事にて、新しき手立て産まれんが事を望んだのであろう……。じゃが観てみい……己に劣る氣力と霊力の持ち主で、自分と違う想念抱く危うき存在達が出来たのみ……)
(三人が一つじゃないから出来る事……。……。……! そっか……! ごめんね~! わたし、解っちゃった♪)
応えた途端、ミチヒメより強く激しい力が輝きと共に放たれていく。
(な! 何ヲすル……! ワラワはソナタの内ニ眠りシ……)
(はぁ? そんなわけないでしょ! わたしのチカラが向津日霊女さまのものなら……ぜぇ~ったいそんなコト言う訳ないわ!)
(……存外賢いではないかぇ……。ならばワラワのチカラにて真っ向よりねじ伏せてくれるわい!)
(それも出来ないと思いまぁ~す♪ アナタさっき言ったでしょ? 並ぶモノ無きチカラって。……じゃぁ、遣いこなせば……遣っちゃえば、アンタなんかに負ける訳ないじゃない!)
(ほざくか小娘! 後悔してももう遅いぞぇ!――出でよ! ……? くぬぅっ、な、なぜじゃぁ~!)
(なぜも何も、ここ、わたしの開いた八卦の中よ? わたしに仇成すアナタがチカラ出せる訳ないでしょ♪)
ミチヒメは、満面の笑みで拳を握り締める。
(さあ、じゃぁ~こっちから行くよ! 全八卦に宿りし権能よ、諸悪を退けし門となれ! 乾! 兌! 離! 震! 巽! 坎! 艮! 坤! 怨敵退散八卦門! 開!)
集束された八つの光柱が、輝く陽光の如き紅蓮となり、邪悪なる存在を打ち祓わんと、地面に巨大な大穴をあける。
(おごぉあぇ~! し、縛られ……お、堕とされてしまうぞぇ~! ミチヒメや、覚えておいで! 必ずやこの雪辱……晴らしてやるぞぇ~!)
大地に開いた巨大な咢は、老婆を装った魔を勢い良く吸い込むと、静かにその口を閉じ、静寂が訪れた。
「やりました! ミチヒメが見事邪なる魔を追い祓いました!」
ヌプル=インカラ(観之眼)を発動させて、ヤチホコは喜びの声を上げる。
「流石はミチヒメさん、とっても良きです!」
八卦から立ち昇る光柱が収まると、そこには拱手して立つミチヒメの姿。
「ど~やらわたしには、今世の過去も『ヤィコ・トゥィマ』も通じないからって、誰だか知らないケド、直接悪さしに来たようね! まぁ~きっちりと祓ってあげたわ♪」
「……素晴らしき八卦の遣いこなしでしたよ、ミチヒメ」
「向津日霊女さま……ありがとうございます……元々の……わたし……?」
彼女はいつになく動揺を露わにした。
「彼の刻の事……観せられたのでしょうか?」
「観ると言うより聞かされました……。ヤィコ・トゥィマの向津日霊女さまでも叶わない相手に対し、わたしとヒメちゃんにチカラを分けて……そうか、それぞれ元の一柱より生長すれば……! そしてアレね! わたしとヒメちゃん、じつは二人でウブ=イキネイペカ遣えます! きっとアレこそが……向津日霊女さまが己が権能を分けし理由、そう観じました」
閉眼し静聴していた向津日霊女は、ゆっくりと目を見開き、天を仰ぎ、普段の彼女らしからぬ満面の笑みを浮かべる。
「わたくしの賭けは……見事成功と相成りました! ミチヒメ、貴女のおっしゃる通りです。わたくしの真の願いの為、まさに不可欠なのがあなたたち二人で発動叶うウブ=イキネイペカ五芒封印なのです……! そして空たるヤチホコと連なりし四つの属性によりて発動叶う『二つの五芒』、それこそが究極への道導なのです……!」
納得の面持ちで頷きながらも、軽くにらみを利かせミチヒメは申し立てる。
「少しだけイヤだなって想い抱くのは、向津日霊女さまが……ゼンブわかっていて黙っていた事、ね」
その言葉に、彼女は胸を穿たれて畏まり、ミチヒメに対し深々と長揖する。
「む、向津日霊女さま、そんな、恐れ多いです……!」
「ミチヒメ、貴女の仰る通りでございます……! ここまでのクスル(道程)、既知の上で皆に歩ませました……。キクリとアマム、ミケヒコ、オオトシ、ミヅチやアビヒコの苦しみさえも……。『すべての民が幸せと成り得る世界』、ただそれだけの為に、忍辱の行の想いで観て参りました……」
「……手を差し伸べたくても……出来なかった、そう言う事……でしょうか、おかあさま?」
ヤチホコは、暫し思案した後におずおずと彼女へ確認する。
「まさに。わたくしが手を差し伸べ誘うは易き事です。ですが……手を出してしまえばたちまち彼のモノ達に気付かれてしまった事でしょう」
「……やっぱり、理由があったのね……! アノ刻信じてよかったわ! あいつにそ~と~誘惑されていたのよね~!」
深々と頷き、したり顔のミチヒメに対し、彼女は少しだけ心配を面に顕す。
「やはり……。恐らくは彼のジェスターと同格の存在。もしくはその分身体かと存じます」
「なら……アイツ本体に通じるとは、まだ断言しないほうが良いみたいね!」
向津日霊女は軽く横に首を振って微笑む。
「それでも以前と比べ格段の進歩でしょう。そして、ここまで八卦遣いこなしきれたあなたにはもう一つ大きな利点があります」
反射的にミチヒメが叫ぶ。
「もしかして、わたしに眠るこのチカラ!」
「八卦と同時に使いし刻、更なる深淵まで引き出す事叶うでしょう」
静かに、だが力強く向津日霊女は頷く。八卦により護りし力増す事によると。
「いずれ曾てのわたくし同様、もしくは更なる高みまで至る事叶う、そう信じております」
「……まっかせて! です!」
握り拳を突き上げて、ミチヒメは満面の笑みで目くばせする。その様子を見てなるほどとヤチホコは相槌を打つ。先の魔は、彼女を諦めさせ、未完の自分の八卦を遣わせて、暴走させる事が狙いであったと。
「まさにその通りです。その『悪手』の選択、良くぞ退けて下さりました……!」
ヤチホコはその言の葉を聴き、自分には今後さらなる真の試練が訪れる事を察した。
向津日霊女によれば、今回悪手への帰路を退けしは、今まさに因果に寄り添いし歩みの証明に他ならぬと。
ヤチホコは、自分が未熟な段階で無理しない事が、それこそが良いと言う選択に、ミチヒメとの九段の差を観じながらも安堵の笑みを浮かべた。
「今まで通り、緩やかにあるがまま、必要と観ずる事のみを学びて歩めば良いのです」
頷くヤチホコに、遥かな遠方……それこそ「時空の彼方」とも言うべき処から「……其れは断じて罷らぬ……!」と聴こえた気がしたが、今は向津日霊女の言の葉を信じ歩もうと心を決めた。
「内なる無限の可能性を信じ、これからも歩まれて下さい……!」
「……はい!」「もっちろんです!」「……畏まりました!」
三者三様に向津日霊女に応え、四人と赤子は元の世界へと還っていった。




