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楽しい旅行も終わり、私を含めてみんないつもの平日に戻った。
あの旅行を通してみんなと仲が深まったと思う。
そんなある日。
残暑の残る9月。
実家に呼び出されて帰省した春人くんの代わりに食材や消耗品の買い出しの帰りだった。
キャミソールやシースルー生地の白いシャツが汗で張り付きパタパタと服を扇ぎながら、彼と同棲しているマンションの一室にたどり着く。
鍵を開けドアノブを撚るところで強制的に手が止まる。
「え? なに?」
何が起きたのかわからず固まってしまうが、誰かに腕を掴まれたのだとわかる。
無骨な手。
男性だとわかる。
緊張し強ばる。
「やっと見つけたよ、りお」
強引に腕を引っ張られ靴を履いたままリビングへ追いやられた。
その反動でエコバッグを落としてしまい荷物が散乱する。
フリーになった腕も捕まってしまい、両手を塞がれた状態で壁際まで押され、両足は男の体重で抑えつけられ嫌でもその男と対面することを余儀なくされた。
「だ、だれ!?」
冷静でいればすぐ分かる話だ。
私をりおと呼ぶのはお店の人かそのお客だけ。
でも、その時の私は混乱しそのことも理解できてない。
「誰って御愛想だな。自分の彼氏を忘れるなんて、遊だよ」
「……し、しらない!」
「はぁ? なんだよそれ、愛し合った仲じゃないか」
急に視界が揺れ、遅れて頬に痛みが走る。
「……っ」
叩かれたのに今気づく。
男の目は血走っており明らかに激怒している。
「りおちゃんひどいじゃないか、お店にいっても他の男の相手してるなんてさ。まぁしょうがないよねそういうお仕事だもの。ちゃんと予約しようとしたんだよ僕も。でもね、いつも予約いっぱいで入れないし。空き枠があるって書いてあるのに一杯ですって言われるんだ。スタッフが悪いよね? 彼氏が会いに来てるのに邪魔するなんて」
息をつく暇もなく男は言葉を続ける。
いつの間にか私は冷静になり彼の話をなんとなしに聞いていた。
というか、力が強く逃げ出すことも出来ないので聞くしかなかった。
半分以上聞きとれないが、私がNGに指定した客だとは理解する。
見た目からして多分大学生……。
あ、このひとあれだ。
春人くんたちの学部の先輩だ。
旅行中に浮気を疑われた要因になった一つ。
私が考え事をしている間も相手はなにかを伝えようとしているのが、時折飛びかかってくる唾液で気づく。
「それでね」
男は私が藻掻きもせず大人しくしていたことに気を良くしたのか、片手で私の両手を頭上に上げて抑え込み胸を揉みしだく。
扱い慣れてなくアダルトビデオでも見過ぎなのか力が強く痛い。
「彼氏なら別にお店に行かなくても直接会ってセックスすればいいんじゃないかって」
あ、まずい。
話が通じるタイプじゃない。
ようやく私は状況を理解したと思う。
相手も人間だしなんとかなるだろうと少し楽観視していた。
こういう少し頭のおかしい客ともなんどか遭遇することはあったが、そのため危機感が薄かった。
そうだ、ここはお店じゃない。
スタッフを呼ぶこともできなければ、春人くんも実家に帰省していない。
大声を……。
だめだ。
この家は角部屋で隣は空室だ。
鉄筋コンクリートのマンションで壁も厚いため私の声量じゃ無理だ。
「ちょ、やめて……。大声出しますよ。それとも警察がいいですか」
「大丈夫だよ、隣は空室。警察を呼んでもいいけど困るのはりおだよね? いや冬乃といったほうがいいのかな?」
「なんで私が困ることになるんですか」
「警察に呼ばれれば冬乃は未成年。つまり親が出てくることになるよね? 事情聴取されて風俗で働いてることばれてもいいのかな?」
「……」
弱点を突かれた。
退院した母親。
今現在パートの働き口を探してる最中の母親だ。
今度は心労で倒れられても困る。
私を女手で一つで育てた。
尊敬しているし感謝してる。
けれど母親は潔癖な人だ。
そのことを知ればどうなるかわからない。
「ここに住んでるのは私だけじゃない」
「んー? あぁ市ノ瀬だっけ? あいつの親に冬乃と交際しててその女は風俗嬢で何股もしてるビッチだって教えたら連れ戻されてたよ。しばらくは帰ってこれないんじゃないかな」
「最低っ」
「最低ってどっちがだよ。僕という男がいるのに他の男と一緒に住むなんて」
「……いたっ……い」
胸の先端を思いっきり抓られ服を剥ぎ取られた。
「罰だよ」
そういって私の身体をじっくり眺めながら顔を近づけてきた。
執拗に全身を舐めてくる。
「ぷはーっ! 冬乃の汗は甘いね? 脇もいい匂いがする」
我慢だ。
その時がくるまで待つ。
視線は落ちている鞄と逃走経路。
チャンスは一度切りだ。
男の舌が一度離れ、おヘソに着地すると胸を経由してまた脇へ。
私を舐めることに満足したのか、ようやく唇に近づく。
待っていた。
私は口をあけ相手の鼻を思い切り噛むと、怯んだ男に隙きが出来る。
股間を思い切り蹴り上げた。
悶絶した真っ青になった男を一瞥し、鞄と春人くんのTシャツを一枚なんとか拾い部屋を出た。
少し間安全になったとはいえ油断は出来ない。
外に出てすぐにTシャツを着る。
鞄から携帯を取り出し迷わず春人くんに掛けてみるもの繋がらない。
簡素なメッセージだけ残して、香ちゃんの連絡先を開く。
男性である宮下君に連絡入れたほうが安全ではあるのだけど、こういうことを言うのにはためらいがある。
2コール目で香ちゃんが応答してくれた。
「ごめん、香ちゃん。助けて」
「え? どうしたの?」
私の逼迫した声に驚きながらも静かに聞いてくれた。
「わかった。すぐ行く」
エレベーターを待っている時間もなく階段を駆け下りるが、復帰した遊という男に追いつかれてしまった。
「冬乃? 何するんだよ。彼氏にこんなことするなんて、お仕置きが必要だな……」
にたにたと不気味な笑顔を浮かべる男。
「悪いけど、もう友達に連絡を取った。すぐに来るから」
「ちっ」
男は舌打ちをし、キィっと睨みつけてくる。
が、すぐに厭らしい顔に戻る。
「今日はこの辺でお暇するよ。次はコスチュームとか道具も持ってくるからいちゃいちゃしような」
そう言い残してマンションを出ていった。
しばらくして香ちゃんが到着して、ようやく私は安堵し腰が抜けた。