09 惚気と内緒
────火曜日。
「薙ちゃーん! クロちゃんが迎えにきたわよー」
スタンバイしていた俺は、すぐさま鞄を持ち部屋から飛び出す。
階段を駆け下り、途中からジャンプし廊下へと着地、そして玄関へとダッシュ。
「へい、お待ち!」
「あ、薙くんおはよー!」
「もう、薙ちゃんったら、用意ができてるんなら外で待っててあげればいいのに!」
「次からそうするっ! 行こクロ!」
「こらっ! 薙ちゃん!! ······ごめんねクロちゃん」
申し訳なさそうに母が謝ると、クロは口に手を当ててクスクスと笑った。
「それでは行ってきます、幸江さん」
「うん、気をつけてねクロちゃん! 薙ちゃんのことよろしくね」
そう言って母は、手をひらひらとさせ見送くっていた。
学校へ向かう道すがら、いつものように俺の隣にはクロがいる。 いつも通る道、いつもの景色。
なのに今日は全ての物が新鮮に見えた。
浮わつく気持ち。
今まで経験したことのない感覚だ。
──なんかいい気分だな。
クロと付き合えたから、こんな気持ちになれたのだろうか?
きっとそうだろう。そうにちがいない。
平然と歩くクロを横目でみる。
······いつも通りである。
あれ? もしかして、ふわふわしているの俺だけ?
昨日はあまりにも嬉しすぎて眠れなかった。
告白したすぐは、あまり実感はなかったけど、時間が経つにつれ嬉しさが込み上げ、高まる気持ちをどう抑えたらいいのか困ったくらいだというのに。
きっと、ニタニタとだらしない顔になっていたに違いない。
それくらい、嬉しかったというのに、クロはそんな気持ちにはならなかったのだろうか?
──だったら、ちょっとだけ寂しい気もする。
「なあ、クロ?」
「な、な、なーに? 薙くん」
「い、いや、呼んでみただけ」
どうやらクロも俺と同じ気持ちだったようで、少し安心した。
◇
学校の正門をくぐり校舎に向け歩いていくと、昇降口で、何やら怪しげな笑みを浮かべる水際の姿があった。
「なになに? あんたたちもしかして······」
「な、なんだよ」
水際は最後まで言いきらず、俺とクロの顔を交互に眺めては、なにやらニヤニヤといやらしい表情を浮かべている。
「よかったわね、くろろん」
「──っ!!!」
どこからともなく現れた桐野に思わずビックリする。 そんな驚いた俺を桐野は目もくれず、クロの手を取り自分の事のように喜こんでいる。
何がよかったのか全く分からないのだが······。
横のクロに目をやると、恥ずかしそうに顔を赤らめ、俯きながらもじもじとしていた。
──え? なんで?
俺の頭上に『?』が出ているのを察知した様子の水際は、「はぁ」と一度溜め息をつくと腰に手を当てた。
「あんたまだ見えてないんだ? ちょっと修行が足りてないんじゃないの?」
「どういうことだよ?」
キョトンとする俺を見た水際は、『これゃダメだわ』といった感じで首を横に振り呆れていた。
◇
朝、水際が俺に言った事。
『あんたまだ見えてないんだ? ちょっと修行が足りてないんじゃないの?』が気になりずっと考えていた。
結局その意味する答えは分からなかったのだが、一体どういうことだったのかやはり気になる。
俺とクロとの出会いは物心がつく以前からだけど、にも関わらず、まだまだ俺はクロの事について知らないことが有るんだなと実感させられた。
幼なじみだからって何でも知ってるなんて、ただの思い上がりなのかもしれない。
これからは、もっと俺の知らないクロを発見できるだろう。 そう思うととても楽しみである。
──しかし、今朝の事、クロ本人に聞いたら教えてくれるだろうか?
よし、聞いてみよう!
そう決意した時、ちょうど終業のチャイムがなった。
チャイムの余韻が鳴り止むうちに、クロがクラスにやって来た。
「帰ろ、薙くん!」
「ちょ、ちょっとまって、すぐ用意するから」
どんだけ早いんだよと思いつつ帰り支度する。
ふと、クロに目をやると相変わらず、うちのクラスの女子たちと挨拶をかわしていた。
つくづく出来た嫁さんだなと思う。
──嫁?
いやいやまて、確かに将来嫁さんになる人だけど、まだ許嫁の段階! まだ先の話! いや、そう遠くない未来?
あぁ、いかん顔がにやける······。
はっ! これではダメだッ!
今の俺は、まだクロの彼氏でしかないけど、将来は夫になる身。 残念な許嫁だと思われないためにも、これからはもっとしっかりしないと!
パチン!
俺は両手で自分の頬を叩き、気持ちを引き締めた。
その音にビクッとしたクロは、こちらに頭を向け目を丸くした。
「ど、どうしたの薙くん!?」
あぁ、あたふたするクロも可愛いな······。
もう、クロのやることなすこと全てが愛しくたまらない。······ダメだな俺。
◇
帰りの電車の中、今日もタイミングがよかったのだろうか? 珍しく、電車内の乗客は少なかった。どの座席に座るか選び放題だ。
折角なので、前回と同じ真ん中の席に腰を下ろすことにする。もちろんクロも俺の横でぴったりと体を寄せ、車窓の外に向けて鼻歌を歌っていた。
「なぁ、クロ?」
「ん?」
クロは『どうしたの?』という感じに一度目を瞬かせ、体を少しこちらに向けた。
「朝、水際が言っていた『まだ見えてないんだ?』ってどういう意味なんだ?」
「··················!!」
一瞬固まったクロは、何故か急に顔を赤らめ俯いてしまった。
ん? 俺なんか、不味いことでも言ったか?
しばらく俺は俯くクロを見つめ、口を開くのをまった。
「その······、あの······」
何故か狼狽えるクロ。そんなに不味いことなのか? 朝のあの感じだと、ヤバそうには見えなかったんだけど······。
「あ、いや、何か分からないけど、やっぱり無理して言わなくていいや」
「ち、違うの! あの、は······はずかしいから······」
そう言って、クロはさらに耳を赤らめた。
恥ずかしい? 一体どういうことなんだ?
余計に気になるじゃん······。
けど、これ以上聞くのも何だか悪い気もするし止めておこう······。 いつか答えてくるのを待つとするか。
釈然としない気持ちのなか、次の停車駅を知らせる車内アナウンスが鳴る。
車窓の外を見ると、俺達のよく知るホームが目に入った。




