08 許嫁のクロと俺が付き合った日
────1年前の夏。月曜日。
「帰ろっか、薙くん!」
終業のチャイムが鳴り終わると、隣のクラスからクロが迎えに来た。
下校時のクロのお迎えは、小学生のころからずっと続いている、いわゆるルーティンみたいなもの。
高校入学の当初、そんな俺達を見て新婚さんや夫婦などと言われよくからかわれた。
今では全く言われることはなくなったが、それよりも、クロが風邪などで学校を休むものなら「クロちゃん風邪? 大丈夫?」と心配されるしまつ。
帰り支度をする最中、クロは当クラスの人間ではないにも関わらず「バイバイ」「またねクロちゃん」などと声を掛けられては挨拶を返していた。
そんなクロを見ていると、同じクラスだったっけ? と、思わず錯覚を起こしてしまうほど。
「お待たせ」
「斎藤さんバイバイ! あ、ごめんね薙くん。うん、帰ろ!」
みんなの挨拶が一段落ついたとろで、俺たちは教室を後にした。
「クロってもしかしてだけど、クラスの女子みんなの名前を知ってるとか?」
「まさか、そんなことないよ! でも、挨拶してくれる人みんなは知ってるかな?」
分け隔てないクロの人柄だからこそ、色んな人に好かれるのだろうと、改めて感心する。
「ところでさクロ、先週の抜き打ちテストどうだった?」
「うーん。一問だけ間違えただけかな? 薙くんは?」
「うっ、何も聞かないで······。それ にしても、相変わらず凄いよなクロは」
「そ、そんなことないよ! いっぱいいっぱいだったよ」
そんな感じに謙遜するも、その実力は学年トップ。
本来ならもっと上の高校を目指せる実力を持っているはず。 なのになぜこの高校を選んだのか? 謎である。
昇降口で靴を履き替えた俺は、上履き箱の前で靴を履き替えずに、じっと佇ずむクロが視界に入った。
すると、何やら手紙らしき物を手にもっている。
「ラブレター?」
「う、う······ん」
どことなくバツの悪そうにクロは答えた。
噂によるとクロは、月に数回、誰かしらから告白されているらしい。 まあ、俺の目から見てもクロは美少女ではある。
だけど、恋愛感情は? と聞かれるとよくわからない。
いつもそばにいる存在だからだろうか?
長く一緒に居すぎたせいか、もはや『兄妹』という感覚でしかない。
「ご苦労様です」
「うぅ······」
クロは形容しがたい反応を見せていた。
◇
駅に着く。
マンダリンオレンジとカーマインレッドで塗装された特急が、警笛を伴いながら目の前を通過した。
いつもこの時間の駅ホームは、学生で賑わっているが、今は二、三人しかいない。おそらく、列車が出たばかりなのだろう。
時刻表を確認すると、次の列車が到着するまでしばらく掛かりそうだったので、俺たちは、ホームのベンチに座り待つことにする。
なにせ普通しか停まらない駅なのだから······。
「ねぇ、薙くん。今度の日曜日って空いてる?」
「空いてるけど、 なんで?」
「今度ね、『夕闇の輝き』が放映されるんだけど、薙くん見たいって言ってたでしょ? だから、一緒に見に行きたいなぁと思って」
「え、そうなんだ! じぁー、行く!」
「うん。じぁ、10時に迎えにいくね」
クロの綺麗な瞳が、三日月のように表情を変え微笑えんでいた。
しばらくして電車が到着した。
乗車すると、時間帯のわりには学生や一般客が少なかった。いつもなら、座席に座れないほど人が居るほどなのに、今日はとても珍しい。
俺とクロは車両の真ん中辺りに腰をおろした。
俺達の両隣に人が居ないにも関わらず、クロは肩が触れあうぐらいくっついて座る。
癖なのかどうなのかは分からないけど、幼い時からなので特に気にはならない。
流れ行く景色を車窓越しにぼんやりと眺めていると、不意に体が揺れた。
クロに目を向けると、足をゆらゆらとブラつかせ、どこか落ち着かない様子だった。
「とうしたんだ?」
「あっ! ごめんね!!」
どうやら無意識に足を動かしていたようで、俺から声を掛けられ、自分でも少し驚いている。
「あ、あのね薙くん······」
「うん?」
「今日のお勤めはお休みだよね?」
「うん、そうだな」
「あとでね、ちょっと寄り道してもいいかな?」
「買い物?」
「そうじゃないんだけど······、ちょっと大事なお話が······したくて······」
そう言うと、クロは黙り不安げな表情をみせていた。
◇
地元の駅に到着し、改札口を出たあたりで『ぐぅー』とお腹が鳴った。
「お腹すいた······」
「そうだよねぇ。そうだ薙くん、あそこによっていこ」
「もしかして御座候? いいねそれ! じぁ、クロは白と赤どっち食べる?」
「じぁー、白っ!」
白や赤とは、回転焼の餡の色(味)のことで、俺らの大好物なお菓子。
お店が駅下にあることから、寄り道したときや、買い物にきたときによく利用しているお店なのだ。
「おっちゃん! 赤一つと白一つ」
「おー兄ちゃん! 今日は学校帰りのデートかい?」
「んー、まあ、そんなところかな?」
「はいよ! じぁ、また来てな兄ちゃん!」
俺は少しはにかみながら、回転焼きの入ったビニール袋を受け取った。
そこから少し歩き、近くの公園にやって来た。
そこそこ広い公園ではあるが、小さな子供達が遊ぶ遊具は少なく、どちらかというと憩いの広場といった感じの公園である。
所々に腰を掛けるベンチが沢山あって、お喋りをするにはとても最適な場所だ。
俺たちはその公園内にある、大きな時計塔の下で腰をおろした。
先ほど買った回転焼きをビニールから一つずつ取り出し、そのうちの一つ白餡をクロに手渡す。
クロは両手でそれを受け取り「ありがと」と言って微笑んだ。
「やっぱうまいよなー! 回転焼き! 脳の疲れが癒されていくー!」
「大袈裟だよ薙くん」
クスクスと笑いながらも、どこか不安げな表情を浮かべるクロ。
「さっき言っていた大事な話って?」
「うん。 あのね······あの······っ」
クロは次の言葉を出せずに声をつまらせ、とうとう言えずに俯いてしまった。
「もしかしてだけど、許嫁の話?」
クロは弾かれるように顔を上げ、驚いたような目で俺を見た。
「う、うん······」
「実は俺も、三日前にそれを聞かされたばかりなんだ。 はっきりって驚いた······」
「そ、そうだよね······」
俺とクロの両親は昔から仲がよく、そして近所だったこともあり、クロとは物心つく以前からずっと一緒に育ってきた。
ある意味、兄妹のように育ってきたといっても過言ではない。
だから、好きとか付き合うとか、そういうことを今まで意識したことがなく、許嫁の話はまさに青天の霹靂だった。
──おそらくクロも同じだろう。
両親からは、年頃だということで、あらかじめ話をしたと言うのだが、そもそも俺達の意見も聞かずに勝手に決めるって一体どういうことなんだよ!
それを聞かされて以降、俺はクロの事を真剣に考えた。 でも、兄妹以上に抱く感情は湧いてこない。
いつも隣にいる存在。
それ以上でもそれ以下でもない。
──急に許嫁と言われても困惑でしかない。
いま、何を話せば良いのか······。
長い沈黙。
すると、クロは俯きながら絞り出すように言葉を発した。
「私は······妖怪の子孫だから······、そんなの······
嫌だよね? こんな『もののけ』みたいなのと結婚するなんて······」
回転焼きの包み紙が、くしゃりと音をたてた。
「だから、薙くん。 許嫁の件は断っていいからね。私のこと、気にしなくていいから······」
俯いたクロを見ると、今にも涙が溢れそうなほどに、目が潤んでいた。
クロが人間じゃなく妖怪だから?
クロが兄妹みたいなものだから?
──だから、俺は悩んでいるのか?
俺の横で、クロは俯むきながら小さな体を小刻みに震わせている。 極限までにせき止められていた涙は、とうとう溢れだし、大粒の雫がクロの手の甲を濡した。
その時、俺の心がドクン! と大きな音をたてた。 外に漏れたのではないかと思えるほどの大きな心音。
───胸が締め付けられる。クロを悲しませたくない!!!
鼓動がドクドクと激しく高鳴り、不意にクロが愛おしいという気持ちが溢れだす。
そして······
「好きだよクロ。 お前が俺の許嫁で本当によかったって思ってる」
俺はクロの左手にそっと右手を乗せ、そして強く握った。
「それと俺は、クロが妖怪の子孫だから嫌だなんて、一度も思ったことがないから!」
「······························」
あれ?
クロからの反応が返ってこない?
もしかして、俺の勘違いだった?
そう思うもつかの間、クロは俺の右手を少し持ち上げ、そして両手で包み込む。
「うれしい······、うれしい······」
クロの綺麗な黒髪から覗かせた耳が、まるで紅葉のように真っ赤に染め、涙で潤んだ瞳をこちらに向けた。
「······私も好き。ずっとずっと前から、薙くんの事が好きだったよ······」
「うん。 ありがとう。俺も好きだよ」
俺はクロの頭を優しくなでた。
するとクロは、肩をすくめ、そしてグーにした両手を胸に当てぷるぷると可愛く震えていた。
◇
夕闇で辺りが暗くなり始めた頃、俺達は帰路についた。 その途中、クロの右手が俺の左手にちょんちょんと触れる。 なんだろ?
そう思い立ち止まると、クロは笑顔で「手、繋いで帰ろ?」と、少し照れくさそうに言ってきた。
俺は頷いた後、クロの手をそっと取り再び歩きだす。
クロと手を繋いだのは何時ぶりだろうか? 幼稚園くらいだろうか? 何だか恥ずかして、こそばゆいけど心が満たされる。
こういう経験は初めてだけど、異性と付き合うってこんなにも気分がいいんだな。 相手がクロだからなのか? うん、きっとそうに違いない。
「ところでさ、クロっていつから俺のことが好きになったの?」
「うーんと、小学生の頃かな?」
「え!? そ、そうなんだ。 意外に早いな······」
「薙くんは?」
「今さっき······」
「えーーーっ!!」
クロは目を丸くしたあと、「もー!」と言ってほっぺを膨らませていた。
こんな俺を、クロは小学生の時から好きでいてくれたんだ。 そう心で反芻したとき、ドクンと胸の奥が高鳴り、体が熱くなった。
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この回から過去編がしばらく続きます。
あま~い日常です。
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