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04 クロと久しぶりの登校

 幾重いくえにも響き渡る蝉の大合唱の中、大神神社おおかみじんじゃの本殿内で一人の青年が静黙せいもくに立っていた。

 青年は、狩衣かりぎぬを身にまとい、御扉みとびらの前で呼吸を整え、二礼二拍手一礼をする。


 たもとから奉書紙ほうしょしを取り出し、それを広げ畏怖の念を込め祝詞のりと奏上そうじょうを始めた。


「掛けまくもかしこきいざなぎのおおかみ筑紫のひむかの橘のおどのあはぎはらにみそぎはらへたまひし時に生りませる──」


 そんな青年が読み上げる祝詞を、拝殿の石段に腰を掛け、静かに耳を傾ける二人の女性がいた。


「いつ聞いても、薙ちゃんの祝詞は素敵やねぇ。心がほっこりするわ」


「そうかなー。 というか、あいつ神社の子供だったんだ······。 変態のくせに」


「あらクロ? いつまでも過去の事をぐじぐじ言うとったら、女が廃るえ? しっかり前を向きよし」


「うぅ······」


「あれ? クロと美津季さんじゃないですか」


 二人に挨拶をすると、美津季さんは丁寧に「おはようさん」と答えてくれたが、クロはどうするか迷った挙げ句、プイッと横を向いた。


 あの時、一瞬でも通じあったと思った俺がバカだった······。


「こんな朝早くからどうしたんですか?」


 時計を見ると六時前。

 こんな朝早くから二人して来るなんてとっても珍しい。 一体どうしたんだろ?


「いや、なんもないよ。 ただ、薙ちゃんのお勤めが久しゅうみとうなってなー」


「茶化さないで下さいよ美津季さん」


 そう突っ込むと、美津季さんは屈託のない笑顔を見せ、本題に入った。


「あんな薙ちゃん。 ちょっとお願い事を聞いてほしいねんけど······。 明日からこの子と学校に行って来れへんやろか?」


 事故以降、精神的に不安定になったクロは、しばらく学校を休んでいた。

 それも今は安定し、側に俺が付いていれば安心して学校へ送り出せると美津季さん思ったらしい。


 もっとも、ストーカー事件(誤解だったが)を切っ掛けでこうしてクロと再会したわけだが、何か複雑な気分でもある······。


「え、あ······はい。 それは構わないですけど······」


 そう言ってクロに目を向けると、クロの視線がすれ違うようにあさっての方向へ向いた。


「こらっ、クロ!! 薙ちゃんに無理言うてお願いしとるんやから、ちゃんとしよし!!」


 美津季さんに叱られたクロは、一瞬ビクンと反応し


「あ、明日はその······よろしく······おねがい······し、します」


 あさっての方向に向いていたクロは、ギギギとまるで錆び付いたロボットが音をたてるがごとく俺と対面し、そして頬を引きつかせ苦々しくお願いするのであった。


「堪忍やで薙ちゃん。 ほな、明後日からおたのもうします」


 そう言うと美津季さんは姿勢正しく礼をし、クロも遅れながら頭を下げていた。



 学校に行く準備がちょうど整ったところで、インターホンが鳴った。


 母はパタパタと駆け足で玄関へ向かい、ドアを開けた。しばらくすると「薙ちゃーん! クロちゃんが迎えにきたわよー」という声が聞こえた。

 俺は鞄を持ち部屋を出る。


 一階に降り玄関に向かうと母の姿が見え、次第に制服を着たクロが視界に入った。

 クロは手を前に組み、母と話をしている。


 久しぶりにみたクロの制服姿をしみじみと見いっていると、その視線に気づいたクロは顔を引きつらせたじろぐ。


「なにジロジロ見てんのよ!!」


「別に」


 そんなやり取りを微笑みながら見守っていた母は、両手をパチンとならす。


「さっ、薙ちゃん、学校に行っても、しっかりとクロちゃんを見守ってあげるのよ」


「わ、わかってるって」


「じぁ、クロちゃんも気をつけていってらっしゃい」


 手を振る母の姿にクロは一礼し、俺たちは学校に向け歩きだした。



 クロとこうして登校するのは、どれくらいぶりなのだろうか。


 以前は毎日一緒だったのに······。


 クロはあの大事故で半年ほど入院した。

 回復後は学校へ登校するも、情緒不安定となり不登校となってしまった。


 だからこうして、一緒に登校するのはとても久しぶりだ。


 もっとも、記憶を失った当本人からすると、俺と登校するのはこれが初めてとなるだろう。


 クロを横目に見ると少し緊張しているようだった。 というか、こっちまで緊張してきた······。


「なあ?」


「なに?」


「久しぶりだろ······学校? 大丈夫か?」


「うん、そうね······。 大丈夫······かしら」


 クロは前を見据え毅然を装っているが、やはり不安なのか声が幾分上ずっている。


 しばらく歩くとクロは、何かを思い出したかのように俺の顔を見た。


「あ、そうそう。一応言っておくけど、あなたが私の事について色々教えてくれたり、登下校に付き合ってくれる事については感謝してるわ。 でも、学校に着いたらあまり私に喋りかけないで。あんたと付き合ってるって勘違いされたくないから······」


「お、おう······、わかった」


 そうやって釘を刺すくらいなら、一人で学校へ行けばいいのにと思ったが、一応クロの意見を尊重し了解した。


「ところでさ、今のところで何か俺に聞きたいことはないのか?」


「そうね······」


 以前俺の家に来たとき、クロの過去について教えるとは言ったが、当時は母親である美津季さんが側にいたので話すことができなかった。


 つまり今、ようやく聞けるタイミングがやって来たということになる。


「うーん」と言いながら思案するクロ。


 聞きたいことは山ほどあるけど、むしろありすぎて何から聞いていいのか迷っている、といった感じだろうか。


 というか、何を聞けば言いかまとめるだけの時間が相当あっただろうが! とツッコミみそうになったが、辛うじてそれを飲み込む。


 どういう質問をされるかは分からない。 だけど、聞かれたことについては全て答えてあげるつもりではいる。 だけど······、その中には答えられないものもある······。


 ──否、本当は答えるのが辛いのだ······。


 どうやら聞きたいことが決まったらしく、クロは俺と視線を合わせた。


「わたしんちと、あんたんちって物凄く近いじゃない? もしかして、幼なじみだったとか? それとか、一緒に登校してた? ······って、そんなことあるわけないわよね······?」


 まあ、まずそこは疑問に思うだろうな······。


 だって、同い年で、親どおし仲がいいし、しかも、俺んちから50メートルほどしか離れてないのだから。


「まあ、幼なじみと言えば幼なじみだけど、そんなに遊んでなかったぜ俺たち。 登校は稀に一緒ってこともあったけど、基本は別々だな」


「······そう」


 今のクロの俺嫌いを考慮し、遠からず近からずといった答えをした。まぁ、本当の事言ったところで······である。


「じぁ、今の私と前の私はどれくらい違うのかな?  性格とか······」


 まあ、それも気になるだろう。 つまり、過去の自分は周りからどう見られていたのか。

 知ったところで、どうにかなるわけではないが、ただ心の準備をしておきたいと言ったところだろう。


「まあ、外見は一緒だから全く違和感はないな。 性格は············、そうだな······」


 本当のところを言うと性格はほぼ真逆。

 どちらかというと、以前のクロは優しくて朗らかだったが、今のクロはがさつで短気。


 それを言うかどうか少し躊躇った。


「今のクロはちょっと勝気なところがあるよな。 まあ、俺に対してだけだとは思うけど。 でも、全体としてはあんまり変わんないぞ?」


「そうなんだ······」


 ベールに包まれていた自分の過去を、いま初めて触れられた事でクロは嬉しさからか、少しだけ口角を上げていた。


 そんなクロを見て少し心が痛む。 もし仮に、本当の事を言ったとして、クロはどう思うのだろうか?

 むしろ余計に混乱するのではないか。


 それならいっそう、過去に振り返らず生まれ変わった自分と向き合ってほしいと思い、俺は真実を言わなかった。


「あ、そうだ。 俺からも1つだけ聞きたいことがあるんどけど」


「なに?」


「あの、その······」


「なによ早く言いなさいよ」


「この間、俺んちで話したことなんだけど、俺と初めて出会った時って、(さか)りの期間中だったんだよな? それで、何というか、そのお目当ての人のところに行って、こ、交尾する予定だったのかな? って······」


「──なっ!?」


「いてっ!」


 怒りなのか恥ずかしさなのか、むしろ両方の感情からなのか一気に顔を真っ赤にしたクロは、俺の太ももに強烈なローキックをかましてきた。


「んなわけあるかーっ!!! き、期間中であっても、り、理性というか、そんなことするかっ!!」


 顔を真っ赤にして狼狽えるクロ。


「ただ、あの人の所に行って顔を見たかっただけよ······」


 クロは俯きながらポツリと言った。そんな姿を見た俺は、少し胸が締め付けられるのを覚えた。  『あの人』という知らない人物に、小さな嫉妬の火が揺らいだ。


 色々と話ているうちに、気がつくと学校前にたどり着いていた。 当高校の生徒達は楽しそうに話をしながら、校内へと吸い込まれていく。


 その途中、すれ違いざまにクラスの者から声を掛けられる。


「あ、クロちゃんお久さー!」


「大丈夫? クロちゃん?」


「よっ、お二人さん!! 今日も熱いねー」


「夫婦復活!! おめでとー!!」


「え······?」


 最後の挨拶に思わず反応したクロは『夫婦ってなに? あいつバカ!?』と言いたげな顔を浮かべていた。


 そんな、ぷんすかと怒っているだろうクロを横目に、俺は余計な詮索をされないよう、だんまりを決め込む。


 すると、なぜか俺の顔を一瞥し「ふんっ!」と言ってから顔を背け、なんとなく俺から少し距離をとって歩きだした。



 俺とクロは同じクラスの二年三組。

 本来、違うクラスだったのを諸事情により、俺のいる教室へと便宜を図ってくれていたようだ。

  恐らく美津季さんがあらかじめお願いしていたのだろう。


 俺の席は窓側の真ん中あたり。クロはその前の席。


 俺たちが教室に入ると、クラスは一斉にざわつき、視線を一点に集める。教室に入った瞬間から俯くクロは、席に着いたあともそのまま俯むいていた。


 そんな様子のクロに、二人の女子がちかづいてきた。


「もう大丈夫なのかクロ?」


「くろろん······大丈夫?」


 先に声を掛けたのは水際沙織。

 広くあけられた胸元、スカートの裾は短く太ももが結構はだけている。一見するとギャルかと思いきや、その実は体育会系でサバサバとした性格の持ち主。


 もう一人は桐野桃子。

 水際沙織とは相対的で、見た目は『これぞ校則の見本!』というような身なりをしている。学力は常に上位クラス。 性格はおっとりだけど、情熱的なところがある。


 二人はクロの中学からの親友で、俺とクロの事情を知る数少ない理解者だ。


 それぞれ別のクラスなのだが、クロが登校してきたことをどこかで聞き、大急ぎで駆け付けてくれたらしい。


「あ······うん。······大丈夫」


 クロは二人の顔を見て答えたが再び俯く。まるで、他人行儀。 心ここにあらずといった感じだった。


 過去において、二人とは仲がいいのだろう事にクロは気づいているが、今のクロとしてはどう接したら良いのか分からないでいた。


「水際、桐野、ちょっといいか?」


 よそよそしく扱われてしまった二人を、俺は小さな声で呼び、親指を廊下の方へと指差した。


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