03 黒猫の正体
────ピンポーン。
朝、俺はインターホンの音で目を覚ました。
下から「ハーイ」という母の声とともに、パタパタと走る音が聞こえる。
そして、ドアをあけ親しく挨拶する母。
「いらっしゃい、みっちゃん!」
みっちゃん!? クロのお母さん?
まさかの来客に俺は完全に目を覚まし、同時にドスンとベットから転げ落ちた。
「いってぇ······」
するとその音に察知した母は、トットットッと軽快なリズムとともに、階段を駆け上って来る。
「薙ちゃん、起きたんでしょ? すぐ用意して下に降りていらっしゃい」
「う、うん。すぐ行く!」
それにしてもどうして、クロのお母さんは家に来たんだろ? まさかストーカーの件?
······うぅ、何もしていないのに、何故か気が重くなってきた······。
鬱々とする気分の中、俺は着替えながら深い溜め息をつく。洗面所で顔を洗いそして寝癖をなおす。
一通り用意を終えた俺は、今まさに客間の襖の前に立っている。
盗み聞きをするつもりは無かったが、中から母とクロのお母さんの笑い声が聞こえた。
今は楽しく談笑しているけど、一歩この部屋を跨いだ瞬間、おそらく白い目が俺に向けられる、そんな気がしてならない。
──何言われるんだろ······。
俺は陰鬱な気分で襖に手を掛けた。
部屋の手前に母が座り、座卓を挟んで向こう側にはクロとクロお母さんが座っている。
ん? クロ!?
まあ、当然いるよね······。
俺の中でますます緊張感がたかまる。
「おはよう薙ちゃん、 久しぶりやね」
そう言ったのは、クロのお母さんこと小波美津季さん。幼い時、京都の中心に住んでいたという生粋の京都人。
普段着が着物という古風な人で、今日は若草色の地に、桃色のタチアオイがあしらわれている。まるで、初夏をイメージした爽やかな着物だった。
ところでいつも思うのだが、うちの母と美津季さんって、つくづく見た目が若すぎるんだよな。同じ主婦から見ればまさにチート級。
仮にクロと街中を歩いていても、絶対姉妹に見られるほどのレベル。それくらいに若い。
と、今はそんな事を考えるよりも、なぜクロと美津季さんが家に来たのか。理由は何となく分かるけど······。
「薙ちゃん、ここに座って」
母は隣に置かれた座布団をぽんぽんと叩き、俺に座るよう促した。
な、なんだろう、この張り詰めた空気は······やはり?
「ねぇ、薙ちゃん」
「あ、はいっ!」
母さんの冷ややかな呼び掛けに、思わずピンッと背筋が伸びた。
「あなた、クロちゃんにストーカーしたそうね······」
ジト目の薄ら笑いを浮かべる母。なんか怖い。
「え!? なにもしてないけど?」
事実だし······。 というか、クロのやつ、やっぱりストーカーのこと言ったんだ······。
「本当にぃ?」
「本当だって!」
「じぁここ最近、黒猫に会ったことない? しかも一週間連続して······。 でー、その猫ちゃんの頭を撫でたり、おなかをこちょこちょとしてみたり······」
「ん······? あー、そういえばそんな猫がいたな。 えらく人なつっこい······猫だな······って思っ············」
言葉の端で、なぜ消え入りそうになったのかというと、女子三人が俺に向け、複雑な表情を浮かべていたからだ。
美津季さんは含みのある笑みを浮かべ、母はにこやかだけど目が笑っておらず、クロにいたっては、それまで俯いていたのに、今は獲物を狙うような目で俺を睨んでいる。······まさにカオス。
「その猫ちゃんね、実はクロちゃんだったの」
「ん? ちょっとまって! クロは人間だろ? この間の猫は普通の猫だったけど?」
ん? 聞き間違えたか? そもそも、猫と人間、どう見たら見間違えるんた? 一体母は何を言っているのだ。そう思いつつ小馬鹿な返答をしてみせたのだが······。
すると母は呆れたように深い溜め息をついた。
「あなた、クロちゃんと長いこと一緒だったのに、なんにも分かってないのね?」
「どういうこと?」
「クロちゃんは猫又の家系って知ってるわよね? さらに、純血の家系なの。だから、妖力も強く猫に化けることもできるのよ。クロちゃんから聞いてないの?」
「なっ!?」
あれがクロだなんてにわかには信じられない······。
そもそも、猫又の家系っていう話自体が眉唾ものだ。だけどあの二又の尻尾······。やはりそういうことなのか?
でも、でも、ストーカーの下りだけは聞き捨てならないぞっ! そう思った俺は、すぐさま反論した。
「いや、聞いてない······。あれがクロだって気づけなかったのは確かに悪かったよ······。けど、だからって俺はストーカーなんてしてないし!」
それを聞いた母は、鼻でため息をつく。
「薙ちゃん。立派に弁解するのもいいんだけどね······」
母は途中から話を折り、ここから先私の口からは言えないといったような仕草をした。そして、視線を美津季さんへと移す。
「薙ちゃんかんにんえ。その時のクロ、発情期やってん。そんでな、薙ちゃんがちょっと、こちょこちょっと······ね」
「──っ!?」
美津季さんは両手を頬に当て、恥ずかしそうにそうに答えた。
「は、はつじょうき······? 猫のさかりの?」
額からじわりと変な汗がにじみ出る。
決して悪いことをしたとは思っていない。
なのに、なに? この背徳感は!?
もはや俺の思考は停止し、気がつくと
「そ、そ、そんな時だとはつゆ知らず、ほ、ほんとーにすいませんでしたーーーっ!!!」
謝っていた。
一気に血の気の引いた俺は、座布団から降りて、全身全霊を込め土下座をしていたのだった。
「薙ちゃん。動物だからといって、これからはやたらめったらと女の子の体を触ったらだめよ?」
「ははーっ!!」
何度も何度も頭を下げ、最後に視線をクロに合わせたところ、プイッとそっぽを向かれてしまった。
「ところでね、その件についてちょっと不思議なことがあったみたいなの」
終始にこやかだった美津季さんの表情が、突如神妙な面持ちになった。
「発情期の間ずっと晴ちゃんと出会うとったらしいんよ。でも、この子本人はその時の記憶が無いみたいで、気がつけば薙ちゃんが目の前に居てはったって言うんよ······」
確認するように美津季さんはクロに視線を送ると、それを首肯で答えた。
「薙ちゃん本人、ストーカーをしていないという言葉を信じたとして、じぁ、クロちゃんは無意識に薙ちゃんのところまで、わざわざ会いに来ていたということかしら?」
今度は母の問いにクロは再び首肯し、一呼吸後、俺を一旦睨み付け口を開く。
「あの期間はずっと、ある人の所へ会いに行くため家から出たことまでは覚えてるの······。でも、そこからは全く記憶がなくて······。気がつけば毎回こいつが目の前にいて······」
まずは、俺のストーカー行為の疑いが晴れたのはいいとして、でも、一部だけの記憶がなくなるって一体どう言うことなんだろか?
「ところでさ、ある人ってだれ?」
すると、クロから氷のような冷ややかな視線を向けられた。
「それ聞く? 最低っ!!!」
「い、いや、もしかして何か手掛かりになるかなーと思って······」
「そんなの、手掛かりなんて有るわけがないじゃない! むしろあんたが何かしたんじゃないの!!」
そう言い放ち、プイッと首を横に振られた。
俺って、何度こいつに振られてるんだ?
「あらあら、久しぶりに仲のいい二人をみたかしら」
そんな俺とクロとのやり取りを見て、母と美津季さんは微笑んでいた。
つか、どこをどう見てそう思ったのかな?
「そうだ! お昼にお寿司の出前をお願いしているの。クロちゃんも食べるわよね? もうそろそろ届くはずよ」
クロはどこか不服そうな顔をしていたが、断りにくい雰囲気なのか、しぶしぶと了解していた。
◇
お昼の十二時が少し過ぎたところでお寿司が届いた。
それに合わせ、母と美津季さんは台所へむかう。
当然、クロも手伝うと申し出るも「いいのよクロちゃん。ゆっくりしてて」と、許嫁の俺たちに気を使ってか断わられていた。
そのお陰でいま、とても張り詰めた空気となっている。
「ねぇ?」
「ん?」
「はぁー」
溜め息をつかれた。そんなに嫌だったら呼ぶなよ!
「あんたこの間、私のことを知らないような素振りを見せていたけど、あれ、演技よね? 本当はあんたも知ってるのでしょ、私のこと?」
「初対面だよ! 初対面! あ、でも今日で二回目か······?」
「嘘よ。だってお母さんはさっき、あなたのことを見て『久しぶりね』って言ったわ。 少なくとも、私の家族と、あんたんとこの家族は全くの他人ではないはずよ!」
そう言うとクロは静かに視線を落とした。
「みんな私のことを知っているのに、私はみんな事を知らない······。 昔の私ってどんな感じだったのか知りたいのに、でも、恐くて聞けない······」
「だったら、美津季さんに聞けばいいじゃないか? クロの昔の事や、みんなの事とか」
「聞いたわよ。 でも『そういうことは、自分の力で何とかしなさい』って言うばかりで、なにも教えてくれない······」
欲しいものは自分の力で手に入れろっていったところか······。 それが、今のクロであっても······。
美津季さんは、顔ではいつもニコニコしているけど、あれで結構厳しい人だからなぁ。
まあ、そういうところが美津季さんらしいというか······。
とはいえ、今のクロは、身ぐるみ全て剥がされ砂漠の真ん中へ放り出されたようなもの。もし誰かに頼るにしても、素性の分からない人に頼るのは余程の勇気がいる。
もはや、スタートの時点で八方塞がりということ。
崖から我が子を落とすといっても、そこまでする必要が果たしてあったのだろうか? いやまて、深謀遠慮の美津季さんの事だ、何か考えがあっての事なのかもしれない。
再びこうしてクロを俺の前に引き合わせに来たということは、つまりその役を俺が担えと言うことなのか? もう、会わないと決意した俺に?
「はぁ······」俺は深いため息をついた。
溜め息をした理由の分からないクロは、眉間にシワを寄せ首を少し傾げている。
「じぁ、お前の知りたいことを俺が教えてやるよ······。 そのかわり、教えられる範囲でだぞ」
「············」
「············」
二人の間にしばらくの沈黙があった。
まあ、そうだよな。 死んでも俺なんかに聞きたくなんか──
「ほ、ほんとに······? あ、ありがと······」
「え!? お、おう!」
それまで俯いていたクロは、上目遣いで俺を見て小さな声で感謝した。
「──っ!」
び、びっくりさせるなよ! 思わずたじろいでしまったじゃねーか。
「で、な、何が聞きたいんだ?」
「全部!」
「そんな欲張りな······」
「いいじゃない? 別に、減るもんじゃないんだから」
出口のない閉ざされた世界に、一筋の光を見出だしたクロは、俺の前で初めて笑みを溢した。
結局この日は、俺のストーカー問題が解決したものの、クロの発情期における記憶喪失問題については、ひとまず様子見と言うことに終わった。
というか、両家の母親があまり深刻そうに捉えていないようにも見えたのは、はたして気のせいなのだろうか?




