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02 小波クロ

「この、ストーカー!!!」


 いま俺の目の前に、怒りをあらわにした小柄な少女が、仁王立ちとなり物凄く睨んでいる。


 幼さのある顔立ちに、腰まで伸びた艶やかな黒髪。 大きな目はつり目がちだけど、淀みのない澄んだ瞳。


 そんな可愛らしい女子が、まなじりを裂かんばかりに激昂し、俺を睨み付け、固く握られた両手はわなわなと震わせている。


 無論、怒らる理由が全くわからない。


 過去の記憶をたぐりよせるも、やはり心当たりがない。


 何で俺、いま怒られているんだろ? ちなみにここ、俺んちの前なんで、大声で叫ぶのは、やめてほしい······。


 そんなことを考えていると、少女はズガッと距離を縮め、さらにはパーソナルスペースをも突き破り、俺の顔を下から覗き込んで睨みつけてきた。


「黙ってないで、何か言え、このストーカーっ!!」


「ちょ、ちょっとまった! 俺はストーカーなんてしてないし! つーか、誰?」


「はー? なにそれ開き直るき? あれは間違いなくあなたよ!! あ・な・た!! この変態!!」


 根も葉もない濡れ衣を、罵声と共に浴びせるてくるこの鬼畜娘。


 普通なら警察を呼ぶところなんだろうけど、そうもいかない事情が実のところあるのだ。



───そう。 実はこの子、俺の許嫁······。



 小波さざなみクロ。俺と同い年の17才(高2)。

幼なじみにして許嫁。そして先祖は妖怪の猫又ねこまただという、にわかには信じがたい家系なのだ。


 以前の彼女といえば、優しくて人懐っこく、そして一緒にいるだけで心が和む、そんなお日様みたいな子だった。


 ところが、一年前のある事故を境に家族以外の記憶が失われ、性格も変わってしまったのだ。当然、俺との思い出もきれいさっぱり失っている。


 それ以降というもの、俺はクロとはほぼ顔を会わせていない。

 いや、会わないようにしていたんだ。いま俺の目の前にいるクロは中身が違えど、外見は昔のまま。


 辛い記憶が頭をよぎる。

 できれば会いたくなかった······。


「おい、変態!」


 そう言うなり人差し指を俺に突きつけ、腰まで伸びた黒髪を左右に揺らす。


 いままさに「全身で怒っているだぞ!」と、模範ともいえる綺麗なポージング。


 おいおい! いくら誤解とはいえここ俺んちの前だよ? こんなやり取り、もしご近所様なんかに見られたりもしたら······。


 ひ、ひとまず何とか落ち着かせないと······。


 額から滲み出た汗が顎にまで達し、一粒の汗が地面にこぼれ落ちる。


「わ、わかった! ここじゃ何だからちょっと向こうで話さないか? な?」


「嫌っ! 」


 切なる俺の願いを、クロはバッサリと切り捨てた。


 最早、らちが明かない······。


 ならば少し強引だが、近くの広場へと移動すべくクロの腕を掴もうとしたその瞬間


 パンッ!!


 クロは俺の右手を払いのけた。そして、同時に手に痛みがはしる。


「──っ!!」


 手の甲には爪で引っ掛かれたような傷ができ、そこから血がにじみでた。


「何も引っ掛くことないだろ!!」


「あんたが私に触れようとするから悪いんじゃない! この変態!」


「はー? 何だおまえ! というか、そもそも何で怒っているんだ! 理由を言えよっ!!」


 性格が変わったとは言え、見た目はクロそのまま。目の前にいるクロに当たれば当たるほど、胸が締め付けられる。クソッ! 一体なんの罰ゲームなんだよっ!!


「············理由? 」


 二呼吸ほどの沈黙があった。


 すると、一瞬クロの黒髪がゆらゆらと揺れる。


「あら、晴ちゃん?」


 突然、住宅の角から買い物袋をぶら下げた若い女性が、俺の名を呼んだ。


「か、かーさん······?」


「あらあらあら~、そこにいるのはクロちゃんじゃない? もしかして夫婦喧嘩の最中だったのかしら?」


「そんなんじゃねーし! つーか、かーさん、それ以上はちょっと······」


 ひとまず、修羅場に水をさしてくれたのは助かった。 でも、許嫁だということだけは話ないでほしい······。今のクロはその事を知らないし、何より負担を掛けたくはない!


 ───あ、でも、何故か嫌な予感がする······。


 そして予想は的中する。


 クロは食い入るように母を見てから言葉を発した。


「ねぇ、お姉さんかなり若そうだけど、本当にこいつの母親?」


「そうなの。 森之宮幸江もりのみやさちえって言います。 幸江さんって呼んでね! ぶいっ!」


 年甲斐もなく腕を前に出しVサインをする母。

そして思わず呆気に取られたクロ。その数秒後、ハッと自分の使命を思い出し再び怒り顔になった。


「この人ね、私のことストー───」


「あーーーーーーっそうだ! かーさん、今から夕食の準備だよね? こんなところで油売ってないで、さ、早く帰らないと! 今日は何のご飯かなーー?」


 今まさに投下されそうであったクロの爆弾発言を、なんとか寸前のところで俺は食い止めた。

 すぐさま母を家に避難させるべく、背中を押す。


「もぅ、晴ちゃんたら。 じぁ~、またねクロちゃん。 いつでもお家に遊びにいらっしゃいね」


 母は、手をひらひら振りながら、いささか意味ありげな笑みを浮かべ家の中へ入っていった。

 ふー、何とかしのいだ······。


 一仕事終えた俺は再びクロへと視線を戻す。

 すると、力なくうなだれるクロの姿があった。


「──はぁ······、まただ······」


 深い溜め息をつき、悲痛な表情を浮かべている。

 クロはおもむろにこちらを向き、憔悴した面持ちで俺に疑問を投げ掛ける。


「ねぇ、あんたのお母さん、どうして私の名前を知ってるの? 」


 先程までの鬼気迫る勢いはなくなり、体をすくめ戦意を失っている。まるで大事な物を取り上げられた子供のようだ。


 おそらく、自分の知らない人から名前を呼ばれ困惑しているのだろう。


 無理もない。 あの事故以来、クロは自分の家族以外の記憶を無くしているのだから······。


 他人は自分の事を知っているのに、自分は全く知らない。そんなことが何度も起きれば、不安や恐怖になるのは当然のこと。


「え、えーと······。あ、そうだ! もしかすると、その着ているワンピースが黒色だったから『クロちゃん』って呼んだんじゃないか? たぶんだけど······」


 ───安直な回答······。


 でも、俺はクロのため、そして自分のために本当のことは言わない。 そうあの時に決めたんだ。


 クロはおもむろに自分のワンピースに目をやると


「そ、そうよね······ 。 きっとそうよね······」


 どこか腑に落ちないながらも、クロは自分を納得させているように見えた。


「······なんか、大丈夫か? 」


「うっさいわね!!」


 息を吹き返したクロは、俺を睨みつけたあと「ふん!」と言い首を横に振る。


「あーあ、なんか一気に醒めちゃった。 興ざめよ」


 変わり身の早いこと、まるで猫のようだ。

 まあ、先祖が又猫だけど······。


 クロは仁王立ちのまま俺と対面し、そして両手を力強く握りしめ俺を睨みつける。


「今度またストーカーしたら本気で殺すから。 そのつもりで!」


「お、おう······」


「あ、そうだ。あんた名前何て言うの?」


森之宮薙もりのみやなぎ······」


「覚えておくは」


 そう言いい終えると、クロはクルっと踵を返し澄みわたる青空のもと、艶やかな黒髪をなびかせながら帰っていった。


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