16 小波家での楽しい一時
クロの家は旧街道沿いに建っていた。
歴史を感じさせる古い日本家屋。
先祖代々から受け継がれた家で、ここらの地域で一番古い建物だといわれている。
京都でよく見掛ける町屋とは基本的に同じような造りだという。
ただ違う点と言えば、鰻の寝床と言われる間口の狭い京町屋とは異なり、小波家の家屋は間口が広い。 そして、奥行きは裏通りまで続くほどの大きな家なのだ。
聞けば、小波家の先祖はここら一帯の大地主だったと以前に聞いたことがある。
ちなみに、俺の家からクロの家までの距離は約50メートルで、速歩きなら15、6秒ほどで到着する。
見るからに年代物だと分かるレトロな扉に、クロは手を掛けた。
───ガラガラガラ
うちよりも二倍はあるだろう広い玄関。
まずはクロから入り、そのあとに俺がつづく。
「お邪魔します」
「おばんどす、薙ちゃん」
見た目の若い女性が笑顔で迎えてくれた。 まるで高級旅館の若女将のような凛とした振る舞い、それでいてどこか愛嬌のある雰囲気を醸し出している。
「こんばんは美津季さん」
水色の地に牡丹に唐草をあしらった着物。
帯は、灰色っぽい薄い水色に、黄色や白色などの模様が交互に入った物を締めている。
「さ、上がって薙ちゃん」
美津季さんはどうぞの仕草で手を差し出すと、にこりと微笑み奥へと向かっていった。
玄関ホールを抜けると長い廊下が視界に入った。
廊下は陽光で明るく照らされ、右側に目を向けると、綺麗に手入れされた中庭が見える。
従業員を雇えば、今すぐにでも旅館業をはじめられるのではないか。 そう思うくらい、クロのお家はとても立派なのだ。
玄関から一番遠いリビングにたどり着く。
すると、腕を組む若い男性が椅子にかけていた。
「お! 来たな」
「こんばんは、虎徹さん」
「久しぶりだな薙くん。 今日の日を楽しみにしてたよ」
「はぁ······?」
紺の作務衣姿の虎徹さんは、顎に手をやりながら「ふふん」と楽しげな表情を浮かべている。
「さて、さっそくだが色々と聞かせてくれないか?」
長身で大柄の虎徹さん。
学生時代ラグビーで鍛えたその体躯は今だ衰えを見せておらず、まさに筋肉隆々で若々しい。
初めて虎徹さんと対面する人はその威圧さから必ず一度はたじろぐほどである。
そんな威圧感満載の虎徹を、幼い頃の俺や楓は『クマさん』と呼んでいた。
「ん? 話すって何を?」
いきなりそう言われても、何の事だがさっぱり分からない。 というか、何でそんなに楽しそうなんだろ?
「あきまへんえ虎徹さん。 二人にはこれからゆっくりじっくりと話してもらわなあかんのやし」
「ふむ、そうだな!」
美津季さんにたしなめられた虎徹さんは、何故か嬉しそうに大きく頷いていた。
◇
「では、薙くんとクロの将来を祝してかんぱーい!」
カーン、と俺のグラスに乾杯する虎徹さん。
······それにしても何でいま俺とクロは祝われているんだろうか?
横に座るクロに視線を送ると、それに気づいたクロは、気まずそうな顔で視線を送り返したきた。
「ごめんね薙くん······。 あの······、多分なんだけど、薙くんと私が付き合えた事のお祝いだと思う······」
「そんな大層な······」
嬉しいやら、恥ずかしいやら、申し訳ないという気持ちが混ざりあった、そんな表情をクロは見せていた。
まあ、美津季さんと虎徹さんはとても個性のある両親だ。 幼い頃からこの二人と接してきた俺は、そこそこ耐性はあるが、初対面だと相当振り回されるに違いない。
そんな二人の間から、恥ずかしがりやで大人しいクロが産まれたのは、まさに奇跡に近い。
───いや、そうでもないか·····。
そう、先日学校内で起こしたクロの“抱きつき事件”は記憶に新しい。
幼い頃、クロは気持ちがたかぶると突拍子もない行動を時おり起こす事(癖)が、いま思えばあったような気がする。
その度に俺は振り回されていた···········ような。
そう思うと善くも悪くも
───二人からは、そういうところを受け継がれたのかもしれない。
まあでも、そんな大胆なところも俺は好きだったりするんだけどな。
「で、キスくらいはしたのか?」
「───ッ!!!? ゲホッ、ゲホッ!!」
「お、お、お父さん!!!?」
いきなりの質問に俺は咳き込み、横では顔を真っ赤にし、あわてふためくクロの姿があった。
「虎徹さん。 いきなりそんな不躾な質問はあきまへんえ?」
「お、そうか。 それは失礼」
「───とはいえ」
そう言うなり、美津季さんは不敵な笑みを浮かべクロを見る。
「そういえば昨日のクロは、食事中の間ずーっとニヤニヤとしてはったなぁ。 ほんで、自分の部屋に入るやいなや、ベッドの上でもがいてはったみたいやし。 何か嬉しいことでもあったんやろな?」
「───っ!? ち、ちょっと! おかーさん!!」
顔を真っ赤っかにしたクロは、いきなりの暴露話を止めるよう懇願するも、美津季さんは全く意を返す様子もなく、微笑み返すだけだった。
こ、怖っ!!! 京都人怖っ!!!
美津季さんを怒らせてはいけない! 俺は改めて心に誓う。
「冗談はさておき。 ───薙ちゃん、これからも長いお付き合いになると思うけど、どうぞこれからもクロの事をおたのもうします」
「薙くん! うちの娘と一緒になってくれてありがとう。 そして、ふつつかな娘だが、これからもどうかよろしく頼む!」
美津季さんと虎徹さんは俺に深々と頭を下げた。
「そんな、むしろ俺なんか············。 ───でも、俺はクロの事を一生大事にします。 美津季さん、虎徹さん。 俺、全力でクロの事を幸せにしてみせるから!」
「薙くん······」
感極まったのか、クロの両目から綺麗な雫が流れ落ちた。
クロは両手で顔を覆い涙声で「嬉しい」とすすり泣く。 俺はそんなクロの左肩に「ヨロシクな」とポンッと軽く手を置いた。
その時、不意に美津季さんは訝しげな表情になった。
「······薙ちゃん? ちょっとよろしおすか?」
「はい?」
「ちょっと確認やけど、薙ちゃんの思うとる寿命っていくつやの?」
「え? 人間の寿命って80歳前後じゃないの?」
「そうおすなぉ。 じぁ、猫又の子孫の寿命は?」
「人間と同じじゃないんですか?」
──何故そんなこと聞くんだろ?
突然、不思議な事を聞いてくる美津季さんに、俺も訝しげな表情で返す。
「クロ、あなた薙ちゃんにあの事を言ってへんのとちがう?」
「あっ! ご、ごめんなさい薙くん······」
クロは大きく目を見開き、そして、すぐに落ち込むようにして俯いた。
どうやら俺に何か言わなければいけないことがあったらしい。
美津季さんは虎徹さんと目を合わせ、少しだけ頷く。
「え、なに? 気になるんだけど」
「まあ、それは大事な事なんやねんけど、でも、きっと薙ちゃんやったら受けとめてくれると思うとる。 だって、そんなに仲がええんやもん」
美津季さんは俺とクロとの間の方を見ながらそう答えた。
あー、はいはい、またそれね。 もしかして流行ってる?
「ところで、君たち二人はいつ結婚するんだい?」
いきなり平然と言い出す虎徹さん。
「虎徹さん、飛躍しすぎ!」
「ふむ、そうか。 俺はいつでもいいと思っているんたがな」
腕を組みながら少し残念がる虎徹さんに、美津季さんは言った。
「まだ、二人とも学生やさかいな······。 でも、その年で結婚するのも、意外と面白いかも知れへんよ?」
「「面白くないです!!」」
「そんなハモらんでも······、でも、気が向いたら言うてな?」
「そんなお気軽な······」
クスクス、フフフと楽しい笑い声が小波家を明るくする。
結婚は少し先かもしれないけど、これからもこんな感じに、幸せな日が続けばいいなとこの時俺は思っていた。




