マリアンヌ、鶏を飼う
「お父さま、お願いがあります」
マリアンヌが真剣な顔で父デイビッドの顔を見上げる。常日頃、物を欲しがらない娘のお願いである。
「ほう。何が欲しいのかな」
「鶏です」
「鶏?愛玩用ならもう少し小さな鳥がいいんじゃないかな?」
「愛玩用ではありません。食用です。いえ、有用性の研究用、でしょうか」
「有用性の研究用、ね」
「初めて飼いますのでメスを五羽、オスを一羽にしようと思います」
「いいだろう。どんな研究なのか聞いてもいいかな?」
マリアンヌは父親に向かって鶏を飼おうと思った理由を滔々と述べた。
貴族の子と町の子供たち、特に孤児たちの体格差に疑問を感じて放課後、執事と協力して手当たり次第に食事の内容を聞いて回ったこと。
結果、親の体格の影響も受けているが、それよりも何を食べて育ったかが体格に大きく影響すると推測されたこと。
特に成長期の肉類の摂取量の違いが体格差を生むらしいこと。
将来、農村部の各家庭で鶏を飼育することにより領民の食糧事情の改善と健康・体格の向上が期待できること。
余剰の鳥肉や卵を売れば経済的にも改善が期待できることを語った。
「魚の養殖も考えましたが、敷地の確保と水の管理が手間ですので諦めました。食料になるまでの手間と時間、鶏糞の農業への活用、または販売を考えて鶏を選びました」
そして今である。
「トム、鶏はどこで買えるか知ってるかしら」
「鶏ですか。市場にも売っていますが、農家で交渉しても手に入るかと」
「では、農家に連れて行ってくれるかしら」
庭師のトムは以前からこのお嬢さんが只者ではないことに気付いていた。
一度聞いたことは忘れないし観察眼も鋭い。
そのお嬢様が鶏を買うという。
「目的を聞いてもよろしいでしょうか」
「最終的には領民たちの食糧事情の改善です。鶏を専門に育てる業者がいれば効率的ですが、まずは各家庭で鶏を飼うことを勧めたいのです。
領主の小娘が口だけで勧めても説得力に欠けますから、実践してから農民たちに初期費用の補助をして勧めようと思うのです」
しかし鶏を伯爵家の敷地で、とは。
賢明なトムは領主に確認を取った。
「手間をかけるが、マリアンヌの気が済むように手を貸してやってくれ。あの子が何を学ぶのか見てみたい」
勉強家のお嬢様が面白いものを見せてくれるかもしれない、とトムは思った。
しかしこの時のトムはマリアンヌの深慮遠謀にまだ気が付いていなかった。
翌日、農家から購入した合計六羽の鶏は、敷地の北の端に建てられた小屋に入れられた。
小屋は広い裏庭ゆえに日当たりもよく、猫や野犬からも守れるよう更に柵に囲まれていた。
「それでお嬢様、この子たちは一体?」
「鶏のお世話係ですよ、トム」
「お嬢様が世話をするのではないのですか」
「トム、これは研究でありながら雇用の創生でもあるのです。もちろん私も世話はしますよ?」
小屋の前には5人の痩せた子供たちが立っていた。マリアンヌが執事と共に王都の街中でスカウトしてきた孤児たちである。
事前にメイドたちの手により全力で体と頭を洗われ、簡素な仕事着に着替えさせてあり、髪もこざっぱりとカットされていた。
「皆さんいいですか、毎日、朝ひとつ目の鐘が鳴ったらこの鶏に餌と水を与えて、小屋の掃除です。朝はわたくしも参加します。午後ひとつの鐘の時にも餌と水を与えます。
午後の仕事の後には食事が出されます。賃金は一日あたり小銀貨一枚です。
卵を採取しつつ長期的に親鳥も増やして肉を売る予定です」
貴族の敷地内に入ったことなどない孤児たちは緊張した面持ちだったが、食事も出れば賃金も貰えると聞いて目を輝かせていた。
「5人で小銀貨一枚?朝夕働くだけで?」
「いいえ。一人小銀貨一枚です」
「すごい!」「やったー!」
「ただし、悪い大人にお金を奪われないよう、全部大銅貨で支払います」
「えええー。重いしかさばるよー」
「そこで!この瓶をあなたたちに差し上げます」
ドンドンドンドンドンッ!と記録用の小机にガラス瓶を五つ置いた。
うち、ひとつの瓶には銅貨がジャラジャラと入れてある。
「?」
「それぞれの瓶にあなた達の名前を書いてあります。鍵もついています。ここに毎日大銅貨を十枚、つまり小銀貨一枚分を入れます。
そこから必要な分だけ取り出して使ってください。あなた達のお金ですからお金の使い方に口は出しません」
普段は建築現場で荷運びなどの重労働をしながら大人の四分の一ほどの安い賃金で働いている子供たちである。
大銅貨十枚のありがたみは身に染みている。
街でマリアンヌに声をかけられた時には(騙されて売られるのでは)と疑う者もいたが、ここまで来るとやっと騙されてはいないと安心したようだ。
綺麗な色付きの紐を通した鍵を首にかけられ、鍵と共にぶら下がる小さな名前札を嬉しそうに眺める。
賃金を貰ったらあれを買おう、これを食べよう、と盛大に使うことばかり考えていた子供たちが、今度はガラス瓶にぎっしり銅貨が貯まっていく様子を想像し始めた。