自動走行機 ・
炭は以前から使われていた。薪よりも高価だから、大きな調理場を持つ貴族達の館や飲食店で使われることが多い。
私はそれを各家庭でも使えるように考えていたが、それよりも石炭の普及の方が早かった。
新進の石炭輸入会社「スワロー」が一度に大量輸入し、我が家が運営する郵便会社の配達部門と提携して、各家庭までの配達を請け負う仕組みを作ったからだ。
「スワロー、やるわね。この仕組みをうちが考えついていたら我が家はこの国の経済界で不動の位置を築けたのに。そう思わない?マリアンヌ」
「貪欲が過ぎますよ、お姉さま」
苦笑しながら姉をたしなめた私も、スワローの抜かりないやり方には舌を巻いている。
今日は早速手に入れた石炭を台所のかまどで燃やしている。火をつけるのに少しコツがいるが、いったん着火すれば、石炭は強い火力であっという間にお湯を沸かしてくれる。
「石炭も火ももったいない」とカタリナお姉さまに庶民的な小言を言われながら、私は石炭を燃やし続けた。
大鍋に湯が沸いてカタカタカタカタと蓋が踊っている。
お茶を飲み焼き菓子をつまみながら長いこと鍋を見ている。時々立って鍋の中に水を足しながら見つめる。
突然マリアンヌがガタッと椅子を鳴らして立ち上がり、調理室の壁にぶら下がっている紙の束とペンを持ってくると、考え込んでは描き、考え込んでは描きして何やら図を仕上げていく。
「そうよ。ずっと思っていたわ。お湯を沸かし続けるとお湯が減って、最後はヤカンや鍋が空になるでしょう?それはどうしてか、減ったお湯はどこへ行くのか、子供の頃から不思議だったの」
「な、なあに?どうしたの?何か考えついたの?マリアンヌ?」
「水がお湯になって、お湯は見えない物に変わって鍋の蓋を動かして逃げて行っているのよ。ガスと同じような物に!」
「ガスはたしか、えーと、火山や腐った池から出る物じゃなかった? お湯からは臭いはしないわよ?」
「臭いがしないガス、みたいな物じゃないかな。だって元は水だもの」
それから私は部屋に閉じこもり考え続けた。
翌日に鍛治職人が屋敷に呼ばれて恐縮する職人はマリアンヌと二人で延々と話し合いをしていた。
鍛治職人とマリアンヌはやたら興奮して早口で議論し合い、図面を引く作業を繰り返していた。
そんなやりとりが繰り返されたある日。鍛治職人が馬車でやって来た。重そうな物を弟子と二人でそっと下ろしてカバーを外した。筒状の容器から鉄の腕が伸びている。見たこともない形状だ。
「早速動かしてみましょうよ!」
私がそう言って、機械を動かした。機械は順調に動いた。でもまだ改良の余地がありそうだ。
その日から三週間以上。
鍛治職人の親方、その弟子、私、馬車職人の四人は朝から晩まで「それ」にかかりきりになった。
□ □ □ □ □
それはある晴れた日の午後。
私の父デイビッド、母フローレンス、姉カタリナ、その他大勢の使用人たちが見守る中、「それ」のお披露目が行われた。
大人が立って二人乗れそうな板には馬車よりも小ぶりな木製の車輪が四つ取り付けてある。そして後輪の鉄製車軸には「それ」から鉄の腕が固定されていた。
大人の腕でひと抱えほどの鉄の箱に入れられた石炭が、中で赤く燃えている。上部の寸胴鍋のような容器にはお湯が注がれ蓋をしっかりと金具で閉じられた。準備完了だ。
やがてその筒に連結された鉄の腕が動きだした。歯車を組み合わせて上下動が前後の動きへと変換される。
じわり、と私が立っている板が前進し始めた。私は緊張しながら舵のような棒を握っている。
シュシュシュシュと連続した音が上がり、ゆっくりと滑らかな動きでその乗り物は走り出した。
「おおおお!」
全員が乗り物を追いかけて動いている。乗り物の速さは大人が走ってどうにか追いつく程度だが、スピードは落ちることなく、馬車用のロータリーを軽快に回り続ける。
やがて息が切れてロータリーのあちこちでしゃがみ込む面々は、その前を何周も走り続けている乗り物を、面白くて仕方ないという表情で見つめている。
舵を切っている私の金色の髪がなびく。私は大笑いしている。鍛治職人の親方も、弟子も、馬車職人も私と機械を見て笑っている。
やがて私が手元の木製レバーを引くと、機械はシューッと白い蒸気を吹き出して止まった。
自動走行機の誕生だ。
駆け寄ってきたお父様が「これは……すごい」と驚いている。お母様は「危なくないの?」と心配そうだ。カタリナお姉さまは黙り込んでいるけれど、これが招く未来を想像しているのではないかしら。
皆が機械に駆け寄り、あれこれと私や開発メンバーに質問して盛り上がりだ。
そこへ、明るい男性の声がロータリーに響いた。
「マリアンヌ!これはすごいな!」
背の高い黒髪黒目の男性が馬車から降りて私を見つめている。
「アレクサンドルさま!」
「ああ、今朝帰国した。久しいな、マリアンヌ」
私たちは互いに走り寄り手を伸ばせば触れられる位置で止まった。
「アレクサンドルさま、おかえりなさい! ずいぶん背がお高くなりましたね!」
会わないでいた四年の間に、アレクサンドル様は二十歳になっている。身長は私より頭ひとつ半は高くなっていた。細身の大男である。
「マリアンヌもすっかり大きくなった」
目を細めて私を見つめる表情が柔らかい。
「もう十五歳ですからね!」
私は笑って顎を上げ、腰に手を当てて胸を張った。





