魔法の言葉 ・
ソバの試食会から数ヶ月。冬の気配が近くなってきた。私は農場の寮で五歳の女の子フランと一緒のベッドに入っている。
リーダーのケニーから「マリアンヌ、ここ何日もフランの元気がないんだ。何も言わないし、どうしたらいいかわからなくて困ってる」と言われて、泊まりがけで話を聞きに来た。
女の子四人の部屋はランプの芯を絞って薄暗い。他の三人は気を利かせて静かに布団にくるまっている。
私はフランのベッドに二人で入ってから話しかけた。
「フラン、元気がないってケニーが心配しているわ。何かあったの?」
フランはパチパチと瞬きをしてしばらく迷っていたが、小さな声で告げる。
「嫌なことを言われたの」
「そっか。誰に何を言われたの?」
フランは私を見てから目を逸らして、
「街にケニーと一緒に卵を運んだ時にね、ケニーがお店に入ってる間に、知らない男の子が来たの。その子が急に『お前なんか親に捨てられた、捨て子のくせに!』って言ったの」
その時を思い出したらしいフランの眼から次々と涙が盛り上がって目尻から落ちる。
他の三人が少し動いた。今のを聞いているに違いない。
「そう…。悲しかったわね。私のだいじなフランにそんなこと言うなんて酷いわね。私も似たようなことが何度もあるからフランの悲しい気持ちが少しわかるわ」
「マリアンヌはお父さんもお母さんもいるのに?」
「私はね、初めて仲良くなったと思っていた男の子に気持ちが悪いって言われたわ」
「なにそれ!」
「なんで!」
寝たふりをしてくれていた他の女の子たちが起き上がって憤慨してる。
「フランと同じ五歳の時にね、お母さまと毎日図書館に通っていたことがあったの。そこで男の子と顔見知りになったわ。会うたびに少しずつお話をするようになったの。初めて出来たお友達だから嬉しくって、私はある日、自分が知ってることをたくさん話したの。喜んでもらえると思ったのよ」
フランは黙って話を聞いている。
「でも、私が話せば話すほど男の子が変な顔になるの。私、焦っちゃって相手の子にわかるようにもっと詳しく正確に説明しようと必死になったの。そうしたらその子は訳の分からないことを早口で喋り続ける私を、ますますおかしな子って思ったみたい。突然『お前、気持ち悪い!』って私から離れようとしたわ」
「ええ?」
「私はもっともっと焦ってその子の腕を掴んだら、『気持ち悪い!離せ!』って」
「ひどい!なにそれ!」
「仕返ししなかったの?」
他のベッドの子たちが憤慨して声を上げる。
「あんまりショックで何も言い返せなかった。それからは自分が知ってることでも、聞かれてない時は話すのをやめたわ。あとは…貴族の大人に聞こえるか聞こえないかの小声で『化け物』って言われたことが何回かあるわね」
「酷い!」
フランも他の子も驚いている。驚くのは当たり前か。
「フランたちに親がいないことは、あなたたちは何も悪くない。そんな当たり前のこともわからない人は相手にしなくていいわ。フラン、世の中にはいろんな人がいて、自分の周りを優しい人だけにすることは誰にもできない。意地悪をされるたびにその人に戦いを挑んでいたら疲れちゃう。だから相手にしないでいいの。でも、どうしても許せない、自分の大切な人や物を傷つけられるようなことがあったら…」
「あったら?」
部屋にいる全員が真剣な顔で聞いている。
「んー、実はわからないの。相手が意地悪したことを泣いて後悔するまで傷つく言葉を言ってやろうかと考えたこともあるけど、それは正解じゃないと思うの」
「マリアンヌにもわからないの?」
「ええ。わからないのよ。どうしたらいいかしらねぇ。でも、わかってることもあるわ」
「なあに?」
「あなたが言われた言葉で何日も苦しんでいる間、その男の子はあなたのことを忘れているってことよ。人を簡単に傷つける人は、傷つけたことも簡単に忘れる人なの。そんな人のためにフランが何日も苦しんだり、ここの仲間と楽しく過ごせなくなるのはもったいないわ。それに、嫌なことを言われてもあなたが素敵な女の子であることは何も変わらないの」
フランはジッと私の顔を見ながら言葉を噛み締めているようだった。
「どうしてもつらくなったら、また私に話をして欲しい。そしたら私は、あなたが嫌な言葉なんて気にしなくていい素敵な女の子だってことを教えてあげる。あなたの素敵なところを百個だって教えてあげるわ、約束する」
「うん……わかった」
そう言ってフランが私に抱きついて私の胸に頭をグリグリこすりつけてくる。
「この農場で暮らしてるみんなも、私も、お姉さまも、お母さまも、お父さまも、屋敷のみんなも、いつだってあなたの味方で、あなたは宝物よ」
フランがほんのり笑顔になった。
私はフランの心に私の言葉が染み込みますようにと願いながら囁いた。
「これだけは絶対に忘れないで。あなたは素敵な女の子よ。どんな言葉のナイフも、それを変えることはできないわ」
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フランは大人になってもマリアンヌの言葉を忘れなかった。
落ち込んで眠れないとき、不遇の時、自分を見つめる金髪の少女と彼女の言葉を必ず思い出した。





