もう一度一筆書いてくださいませ ・
マリー農場はすっかり順調で子供たちは健やか。利益も生み出し続けている。マリアンヌはより多く卵を産む鶏の品種改良を試行錯誤していた。郵便事業も怖いほど順調だ。
今日は古い書類をずっと眺めてブツブツ言いつつメモを取っている。ここは農場の事務室だ。
「それは、何の書類だ?ずいぶん古そうだ」
アレクサンドル王子が机の隣に立って覗き込んだ。
「祖父の牧場の馬の血統の記録と健康状態や治療の記録です。祖父の三代前から記録が残されているのです」
「面白いのか」
「はい。大変に面白いことが」
「俺にもわかるように解説してくれるか」
「えーと。一筆書いてくださるなら」
「また書くのか。ずいぶん前に書いた一筆はどうした」
「あれは父に取り上げられました。殿下にあんなことを書かせたあの紙自体が不敬だと非論理的な理由で」
王子は楽しげに笑いながら一筆書いた。
『マリアンヌの全ての発言に一切の不敬を問わず』
二度目ともなると手慣れて早い。紙を確認して今回もマリアンヌは自分の胸元にしまった。
「アレクサンドルさまは野生動物の子別れの儀式をご存知ですか?」
「子別れの儀式?いや、知らないな」
「動物学者によれば狐も白鳥も熊も、子が十分に育つとそれまで命をかけて守り育てていた我が子を威嚇して追い払います。大切な理由があるからです」
「ほう。それは?」
「血が濃くならないようにするためと、自分の縄張りを確保して次の子供を宿し育てる準備をするためです」
「血が……」
「これは少し話しにくいのです」
目だけをチラリと護衛騎士の方に動かして下を向く。
「嫌でなければ聞かせてくれ」
王子は片手をスッと動かして護衛を下がらせた。
マリアンヌは護衛が下がったのを確認して続きを話す。若い男女だけになるのでドアは開けてある。マリアンヌは声を一段小さくした。
「動物の子は父親と母親の血が混じり合っているから親子兄弟は血が似ています。似た血同士で子供を作ると、それまで隠れていた悪い性質が表に出てくることがあるので、それを避けるのも子離れをする理由のひとつなんです。なので人が管理する動物はそこを配慮しなければなりません」
マリアンヌが祖父から教わった優秀な馬を作る時の注意を説明した。
名馬を作ろうとする際、忘れてはならないのは血が濃くならないように配慮すること。
貴族に好まれる毛色の馬を狙って作ろうとして血の近い交配を繰り返すと病弱な馬や死産が増えること。
いいとこ取りの優秀な馬が生まれる可能性もあるが、その馬の子や孫の世代で問題が出ることもあり、長い目で見れば弊害は無視出来ないこと。
濃い血の弊害を避けるために良い血筋に新しい血を入れることが大切なこと。
「なるほど。それは、人間も同じことが言えるのか?」
話しにくいと言う理由に気づいて尋ねる。
「それは、えーと」
マリアンヌは視線を下に向けて口を閉じた。
王子は我が王家の家系図を思い浮かべた。
王家は権力を強固にするため公爵家と六つの侯爵家の間で婚姻を繰り返している。
そして自分が知る限り、母は五度も子を授かったが、二度は流れ一度は生まれてすぐに失っていた。もしやそれは血の濃さの弊害か。
「第二夫人の制度は、心情的には馴染めないのですが結果的に新しい血が入りますから丈夫な子が生まれる可能性があると思います」
「相手の血が近くなければ第二夫人は不要なのだな?」
「まあ、理屈はそうですが、血が遠くても子が生まれない夫婦はいますし、夫の側に問題があれば何人の妻がいても、です」
「その、一度聞いてみたかったのだが。マリアンヌはなぜ王家を嫌うのだ。第二夫人の制度があるからなのか?」
いつもは穏やかな笑みを滲ませているアレクサンドルが真面目な顔でマリアンヌを見つめて聞いてきた。
「王家が嫌いなのではありませんよ。ただ、幼い頃から、えーと」
「不敬を問わぬ。だから遠慮なく」
「私を嫌う人と結婚したくないからです」
「は?」
「役に立つと思われた人物は、国に取り込まれます。王家の言いなりになる貴族と結婚を命じられるかもしれません」
「なぜそう思った?」
「過去に功績をあげた方々はかなりの数、王命により上位貴族と結婚させられています。王命による婚姻の記録を王立図書館で読みました」
「ちょっと待て。お前は何歳でその記録を読んだ?六歳の時にはもう、俺の茶会を仮病で逃げていたではないか」
マリアンヌは今十歳である。王子は十五歳だ。
「母に頼んで一緒に図書館に入りましたから、五歳の頃ですね。当時、私は図書館に毎日通っていて、片っ端から興味のある物を読み漁ってました。それらを読んで、王家と関わらない方がいいと思ったのです」
「五歳で王命の記録を読んだ? そしてその結論にどうやったら結びつくのか、俺にはさっぱりなんだが」
マリアンヌは少し眉間に皺を寄せて、わかりやすい説明を考えた。
「私は世間で望ましいと言われるような令嬢の生き方が出来ません」
「お前はとんでもなく優秀ではないか」
「知識が有っても貴族家の娘としては出来損ないですよ。なので、王命で仕方なく私と結婚した人に、呆れられたり嫌われたりしながら何十年も生きるのが恐ろしくてたまりません。一度しかない人生なのに変わり者を見るような、蔑んだような目を向けられながら同じ家で生きていくのは…」
「マリアンヌ、なんてことを考えるのだ」
いつも強気に見えるこの少女は、幼い頃から自分を出来損ないと思ってきたのだろうか。伯爵令嬢として大切に守られて育って来ただろうに。
少女が隠していた心の傷をうっかり見てしまったと思った。アレクサンドルは思わずマリアンヌの小さく白い右手にそっと自分の手を重ねる。
「お前は自分をもっと誇れ。卑下などするな」
小さな手はとても柔らかく温かい。アレクサンドルはその手をとても愛おしく思った。
マリアンヌは輝くような笑みで王子を見返した。
「励ましてくださりありがとうございます。近いうち農場でそば粉の団子を作ります。励ましてくれた殿下には、一番にお召し上がりいただきますね!」
「団子…」
「具沢山のスープに入れると、とっても美味しいらしいんですよ! あ、殿下がお好きなゆで卵も添えますね!」
今日もアレクサンドルは腹の底から楽しげに笑うのだった。
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