ソバの種を配る ・
マリアンヌは気忙しかった。第二王子に貰ったソバの実を早く農民の家々に配りたいのだ。
本によればソバは痩せた土地でも収穫できて乾燥に強いと言う。小麦畑の隅、庭の隅でいいからなるべく多くの農家に配って広めたい。
「ここはやはり補助金がいいかしら」
ソバを育ててもらい、収穫できた実を当初はそれなりの価格で買い上げれば意欲も増すはず。
そう考えて学園の休みを利用して領地の村長の家に先触れを出し、庭師のトムおじさんと一緒に領地へと向かった。
「なるほど。ソバは初めて見ましたが、痩せた土地でも育つし乾燥にも強いと言うことは、日照りの年にも収穫が期待できるのですね?」
村長はこちらの言いたいことを全部言わなくとも理解してくれた。
「伯爵家でソバの収穫は全て買い上げてくださると。しかしお嬢様、それは賛成できません」
「どうしてでしょう。手間を増やさせるのですからそのくらいは。最初の年はそれほど多くの収穫は望めないでしょうし、買い取り金の心配でしたら…」
「そうではありません。もしやお嬢様の目的は新種の作物の研究と言うより領民を飢饉から守ることではないですか?」
「は、はい。その通りです」
村長はフッと笑みを浮かべた。
「それなら率直にそうおっしゃってください。お嬢様は領民のために鶏の飼育を勧めてくださり、購入に際しては補助金まで出していただきました。貴重品だった卵や鶏肉を今はそれなりに食べられるようになりました。昔からは考えられないことです。ソバも飢饉に備えてのことでしたら、我々農民は自分や家族の命を守るためなら金をくれなどとは申しません。こうして実を配っていただけるなら、それだけで十分ありがたいことです」
マリアンヌは薄っすらと冷や汗をかき始めた。
「そう、ですか。申し訳ありません。私の考えが浅はかでした。お金で解決しようとした事、大変失礼いたしました」
「いやいや、どうか謝らないでください。それにしてもその年齢でマリアンヌ様は器が大きくていらっしゃる。大変優秀と噂には聞いておりましたが驚きました。お嬢様、村長の私が責任を持って村のみんなにソバの実を配り、育てるよう伝えます。育て方も教えていただいた通りにさせます。ソバの目的もちゃんと話して聞かせます。ご安心ください」
村長はそう言ってマリアンヌに頭を下げた。
去って行く馬車を見送り、家に入ると託されたソバの三角の粒をザラリと手に載せて眺めた。
「なんとまあ。まだ学園に通う若さでこんなことまで。領民思いのお嬢様だよ。いずれこの領地を離れてどこかへ嫁がれるのだろうが、惜しいことだ」
□ □ □ □ □
帰りの馬車でマリアンヌはとても反省していた。
幼い頃から自分の考えを人に話をしても理解してもらえないことが多くて、いつの間にか伝えることを諦めたりはしょったりする癖がついてたのだ。
領主の娘がわがままを言い出したと迷惑がられるのではないかと思って、手っ取り早く金銭で解決してしまおうとした自分が恥ずかしかった。
「お嬢様、そんなに落ち込まないでください。村長は批判したわけではないのです」
「ええ。わかってるわ。ただ、ひたすら恥ずかしいの。私、説明してもわかってもらえないと思い込んでいました。理屈はわかってもらえても、面倒だとソバを捨てられてしまうかもって。見たこともない種でしょうし。答えを急くばかりにあのような申し出をしてしまうなんて。失礼にも程があったわ」
トムは優しくうなずいた。
「ああ、なるほど。少しわかりましたよ。お嬢様は今までそう言う経験をされて、交渉することに少し臆病になっていたのかもしれませんね。大丈夫ですよ。これから自分もお手伝いをさせてください。お嬢様のお考えをわかってもらえるように、私も一緒に頑張らせてください」
トムは自分の孫のような若いお嬢様を愛おしく眺める。
「トム、私がまた知らず知らずのうちに誰かを説得するのを諦めてたら、指摘してください。必ずね」
トムは(優秀な人は優秀すぎても苦労をするんだろう、話がうまく通じない歯がゆい思いもしてきたのだろう)と思うと、口をへの字にしてしょんぼりしてる美しい少女を甘やかしたくなった。
「お嬢様、お屋敷に戻りましたら手元に残したソバの実を庭の畑に撒きましょう。私が千倍万倍にして差し上げます。それと、料理長にも相談いたしましょう。ソバ粉を使った美味しい料理を広めれば、みんなも栽培に熱が入りますよ」
「そうね。ありがとうトム。頼りにしています」
「いえいえどういたしまして。お嬢様の人生は始まったばかりですから、ゆっくり参りましょう」
への字のしょんぼり顔はやっと笑顔になった。料理長にも張り切ってもらわねば。
トムはマリアンヌの将来を考えるといつも胸がワクワクするのだ。
人間の優秀さは年齢には関係ない。しかし人生経験が少ない分、上手く人を使えないこともあるに違いない。
登って行く階段を踏み外しそうな時は、そっと支えて差し上げたい。この少女の作る未来を自分も見てみたい。
そう思わせる聡明さがこの少女にはあるのだ。





