グリード第一王子 ・
「グリード様、婚約者候補の件、そろそろお返事をいただきたく存じます」
宰相が小声で告げる。
「ああ、そうだったね。もう一度絵姿を見ておかないとならないね」
「候補者だけでも決めていただかないと」
「すまない。執務が溜まっていて、つい後回しにしてしまったよ」
「よろしくお願い申し上げます」
宰相が静かにドアを閉めるのを確認して、グリードがそっとため息をついた。仕方なく絵姿を手に取り、つらつらと眺めるがこれといって興味ある令嬢がいない。
王家は代々子が生まれにくいから早めに結婚させてなるべく多くの子を作れということなのだろうが。
令嬢は実際に顔を合わせると、全員がこれでもかと着飾っていて何を話しかけても同意しかしない。
舞踏会に参加すれば全員が同じ顔に見える。
それを思い出して二度目のため息をついていると、ドアが勢いよくノックされてアレクサンドルが入ってきた。
「兄上、貿易の最新報告書がこちらにあると聞きました。もし不都合がなければしばらく拝借致させてください
「貿易の最新情報なんて、どうするんだい?」
「我が国が他国を相手に何をどれだけ売り買いしているのかを知れば、この先の我が国がどの産業に力を入れればいいかが見えてくると思いまして」
弟はいつからこんなふうに目を輝かせて自ら考え、学ぶようになったのか。
第二王子という立ち位置の自分に希望を失い、諦めが身に染み込んだ覇気のない弟だと思っていたのに。
「三日後までに返してくれればいいよ。お前の部屋以外に持ち出してはダメだよ。それを置いて部屋を出る時は金庫に入れなさい。それだけは気をつけるようにね」
「はいっ。ありがとうございます!」
弾むような足取りの後ろ姿を見送って、ベルを鳴らすと、すかさず女官が入ってくる。
「アレクサンドルは最近、ずいぶんとやる気が出たようじゃないか」
「そのようでございます」
「きっかけを知ってるかい?」
「はい。アレクサンドル様がやる気を起こされたのは、ランドフーリア伯爵家の次女、マリアンヌ様の影響と思われます」
女官の答えは淀みがない。
「そう、ランドフーリア伯爵家。王家派だったね。どんな令嬢なのか知ってるかい?」
「アレクサンドル様付きの護衛騎士たちの報告からですが」
「うん。それでいいよ」
女官は報告書の内容を暗記しているらしく、スラスラと答えた。
「学園の入試では飛び抜けた点数で首席。以降続けて首席。性格は大変に自由闊達。アレクサンドル様のお茶会に姉妹で一度は参加。その後は体調不良とのことで続けて不参加」
「へえ」
「殿下自らがお見舞いに行かれた際の会話で、マリアンヌ嬢の将来の計画をお聞きになり触発された模様です」
「将来の計画?」
六歳の少女の将来の計画とはどんなものかと興味が湧いた。
「妻の活動に理解ある貴族に嫁いで領地経営をすることだそうです」
「それはアレクサンドルに嫁ぎたいということ?」
「いえ。むしろアレクサンドル様の来訪をあまり歓迎してはいない模様です」
さすがに女官の額には冷や汗が滲む。
「さらに現在は街から集めた孤児たちに鶏の飼育をさせているようです。最初の人数は二十人、現在は五十人ほどになっています。伯爵家が買い上げた土地に養鶏場と孤児たちの寮があり、山羊も飼い、山羊ミルク配達などの事業を起こしています。そこはマリー農場と呼ばれ収入もかなり上げています」
「マリー牧場ね。ずいぶんしっかりした活動だね」
女官が気を取り直して報告を続ける。
「孤児のリーダーがマリアンヌ様の支援で同じ仕組みを別の箇所で立ち上げ、そちらでも二十名ほどの孤児の救済に成果を上げております。これ以上は諜報部に調べさせていらっしゃる王妃様が詳しいかと」
「ありがとう。役に立った」
「恐縮でございます」
執務机に戻り、もう一度絵姿をチェックする。そこにマリアンヌの絵姿はない。
(自由闊達、ね。弟はその子をずいぶん気に入ってるんだな。茶会から逃げられても追いかけてるのか。
母上までも興味を持ってたか。兄としては弟の宝物をちょっと調べる必要があるんじゃないかな)
グリードが微笑んだ。
「うん。どんな子か確かめるのは兄の責任だね」
憂鬱だった気分が少し晴れる。
気分転換がてら、その令嬢の顔を見たくなった。
□ □ □ □ □
「どうしてですか! なぜ兄上がマリアンヌにお会いになるのですか。あの子は私と会うのも面倒がって逃げ回っているのに」
「アレクサンドル、そんなに慌てるな。お前の宝物を取り上げたりはしないさ。王家にふさわしいお嬢さんかどうか、ちょっとおしゃべりするだけさ」
アレクサンドルがキッときつい眼差しで兄を見た。
「王家にふさわしい?どういう意味です?マリアンヌは王家との繋がりなど求めてませんよ。むしろ逆です。あの子に構うのは、どうかおやめください」
「おや。私に会わせると都合が悪いことでもあるの?」
「そういうわけでは……」
本当は大ありである。
あの娘の魅力を兄に知られたくない。あんなに面白い娘は他にいない。
でも、それを言うのも危ない。
マリアンヌは将来の王妃に向くタイプではないが、アレクサンドルは安心できない。
彼女の能力を見込まれて側妃として囲い込まれたりしたら、取り返しがつかない。
たまたま同じ部屋で歓談していた王と王妃は、驚いた顔で息子たちのいさかいを眺めていた。
第二王子のアレクサンドルは幼い頃から聞き分けが良い子で、よく言えば温厚、悪く言えば覇気のない子であった。
それが今、声を荒らげて兄の行動を止めようと必死だ。
「二人とも、おやめなさい」
先に冷静さを取り戻した王妃が声をかけた。
「グリード、アレックスがこんなに嫌がっているのだから、その子に会うのは控えたら? その子の家なら王家派だから心配はないわよ」
「そうだな。アレクサンドルはとてもその子を大切にしているようだ。第一王子が呼んだとなれば、婚約者を探している折だ、その子の先々にも影響が出よう。それに兄弟の間に争いの種を撒くことは感心しない」
グリードは穏やかに微笑みながら、反論した。
「おや。父上と母上は、アレクサンドルがここまで執着する御令嬢に関心はないのですか? それとも既にどんな令嬢なのかご存知なのでしょうか」
王は無表情で茶を飲み、王妃は優雅に微笑んだ。
「えっ?マリアンヌのことを調べているのですか!」
アレクサンドルはマリアンヌに嫌われたくないのだ。調査なんて余計なことはしないでほしい。あの子を逃したら、自分は二度とあんなふうに笑うことができないと思っている。
そう自覚して、また危機感が増した。





