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05 闇を纏う剣士

前回までのあらすじ


勇者パーティは、一匹の竜を前にしてあっけなく全滅しようとしていた。

ベルナに唯一優しく接してくれるリーアは気絶し、認可勇者のハイドもまた足をやられる。

さらにあろうことか竜は、気絶したリーアを捕食しようとしていた。

しかしハイドは助けようとするどころか、彼女を囮にして逃げようとする。

ベルナは、彼女を助けるために、得体のしれぬ宝玉の少女と契約を交わしたが……。

 腹を空かせた手負いの竜は(魔物はいつも腹を空かせている)、低い唸り声を喉から漏らした。眼前に横たわる餌が、いっそう竜の欲求を強くさせた。


 後方では小煩かった剣士がたじろぎつつ逃げようとしていた。竜はそれを気にもとめなかった。自慢の鱗に剣をたてられたことを気にしてもいなかった。


 どちらかといえば、竜の全身に刺さったおびただしい数の矢、切り落とされた尾の先端、痛々しい傷の残る翼……それらを成したあの連中への憎悪が、未だに巨体の奥深くで渦巻いていた。


 その怒りを紛らわせるためには――やはり食事に限る。この竜はまだ三百年ほどしか生きていない若者で、それほど強大な存在でもなかったが、食事へのこだわりについては一家言持っているという自負があった。


 脂が程よくのり、栄養状態もよく、もっとも柔らかな肉質をもつ生物。

 つまり、彼はグルメ家なのであり、文字通りいつだってその餌食にかかるのは、若い女性だった。

 もう何百人と、身の丈を超えた蛮勇に挑む女の冒険家を食らってきた。小さな村一つを滅ぼしてフルコースに興じたこともあった。

 そのために人間どもに目をつけられて討伐部隊を差し向けられたりもしたが、大抵の連中は彼の相手ではなかった。


 ただ今日の連中は中々に強かった、大きく傷も負わされた。だが――結果としてこの食事に巡り合うことができた。竜は楽しげに唸った。


 なにより最高なのは、魔術師の女だということだ。肉弾戦闘を行わない分、筋肉が少なく硬すぎない。


 そして、ねばつくよだれが溢れる口が開かれ、竜はリーア・アルルテラを喰らおうとする。

 その動きが、不意に留まった。

 剣呑な眼が素早く動き、一点を見つめた。


 それはいわば野生生物の勘だった。生存本能といってもいいだろう。

 ようするに、竜の感じたものは――自らに迫る危険への信号だった。それは長く忘れていた、不意打ちで大量の矢の嵐を食らったときにさえ感じなかったもの。


 恐怖だった。


 甚大な魔力の奔流が、少し先の木陰を中心にして爆発した。その正体は一切不明。しかし竜を含めた魔物とは魔力によって生かされる存在。魔力の動きに関しては、人間よりもずっと敏感だった。

 それ故、竜は恐怖した。

 

 これほどの魔力を気配なしに行使できる存在。

 少なくとも彼の三百年の生の中では出会ったことがない概念だった。


 竜は、ただじっと様子をうかがった。もし彼が小動物だったら真っ先に物陰へと逃げ込んだことだろう。だが巨体を隠せる場所なんてなかったし、そもそも軽率に逃げ出すなど竜としての誇りが許さなかった。逃げた冒険者の後ろに回り込むのならばいざしらず。


 がさり、がさり、と重苦しい足音が近づいてくる。

 竜は恐ろしい唸り声をあげてそれを威嚇した。恐怖はもはやなかった。彼らの持つ感情というのが、人間のそれとは少々異なっているというのもあったが、なにより恐れなど竜にあってはいけないのだ。


 足音は止まらず、爆発的に拡散した魔力は、今や一点に集中していた。空気は凪いでいて、竜の唸り声と足音を除けば、辺りは平和な夜の静けさが満ちていた。


 やがて生い茂る植物が切り払われ、"それ"は姿を現した。


 もし人間が見たなら、闇を纏った戦士とでも表現しただろう。


 夜の闇より漆黒の外衣――いや、それは衣類ではなかった。魔力が闇という形を取って、一人の人間の周囲に留まっているのだった。

 その闇の衣は顔までも覆い尽くしていて、白色に輝く細い眼のようなものが二つ、竜のことを見据えていた。僅かに露出しているのは口元だけだ。


――GrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrR!


 竜が吠えた。

 その巨体からは考えられない俊敏な動きで地を蹴り、軽やかに体を浮かせる。そのまま前腕を支柱にして、ぐるんと全身をひねった。

 当然、恐ろしい勢いをつけられた尻尾が、獲物の立つ位置を薙ぎ払う軌道を取る。


 死の鞭。


 引き裂かれた空気が「ごうん」と音を立てる。遠巻きで混乱しながらへたりこんでいたハイドの頭上を死が通り過ぎていった。


「ひええええええええええええ!?」


 避ける暇など無い。立っていれば首を飛ばされていただろう、生けるギロチン刃だ。

 そして同時に尾は戦士を襲う――はずだった。


 まるで大縄跳びでもするかのように無造作に、戦士は跳躍で持って死の一撃を躱す。そのまま竜が体制を立て直す時間もないままに着地し、一息に駆け寄ると、右腕を振りかざした。


 全身に纏っていた闇が蠢き、右腕に集中する。そのまま指先を通じてどろどろと膨れ上がったかと思えば、休息に一つの形に収束していった。


 それは、おそらく剣だった。


 持ち主の身長ほどもある、常識はずれの大きさであることを除けば。


 竜が目を見開く。再びあの生存本能が湧き上がり、警鐘を鳴らした。

 逃げることはできない。そんな時間もない。


 再び戦士――剣士が跳躍する。人外の跳躍力だ。眼下に竜を見下せるくらいの高さから、彼は剣を振りかざす。


 この時点でようやく竜は悟った。今や自分は絶対的な暴力たる竜ではなく、わけもわからないまま殺される哀れな小動物にすぎないということを。三百年間、同族を除けば生態系の頂点の座を謳歌していたこの一匹の竜は、自分自身が残酷な世界のルールの中にあることをはじめて知った。


 ようするに、力のないものは力のあるものに屈するしか無いということを。


 大剣が竜の頭部を両断した。

 左右の瞳が別々の方に向き、ゆっくりと離れていく。


 先に剣士が着地し、遅れて巨大な死体が倒れた。あっけなく。


 その様子をただ眺めていることしかできなかったハイドは、自分の喉がひきつったような笑い声を出すのを聞いた。

 目の前で起きていることは夢か? それとも幻か? こいつは一体何だ? 俺の10億は奪われちまった。

 いや、そんなことよりも――彼は願った。とにかくこの化け物が早く消えてくれるように。竜を一撃で屠った力はもとより、ただ近くで見ているだけで叫びだしそうだ。あの禍々しい闇のような衣、人間離れした白い目……。


 しかし現実は彼の願うようには進まなかった。

 むしろ逆だった。


「……は?」


 じっと竜の死骸を見つめていた剣士は、そのままハイドの方へと歩み寄った。

 光の筋のように細まった瞳が、確かに彼のことを見据えていた。


「な、な、なんだよぅ!? 来るんじゃねえ!」


 痛む足を引きずりながら必死で後ずさる。ろくに距離など稼げなかった。すぐに剣士は、ハイドを見下ろすような格好になった。


「ひ、ひぃっ、よせ! 俺は関係ない! その竜の賞金が欲しいならやる! 俺は、私は少しもいりませんから! 命だけは!」


 哀れを誘う命乞いをしながら、彼は涙を流して懇願した。剣士はただ黙ってそれを聞いていたが、ひとしきりハイドが情けない姿を見せてから口を開いた。


「女が、竜に食われそうになっていた」


 地獄から響いてきているような、重苦しく人間離れした声だった。


「は、はあ……?」


「女が、竜に食われそうになっていたな?」


「それはリーアのことでしょうか……?」


 剣士は頷き、ハイドに詰め寄った。彼はいっそう震え上がった。


「た、確かにそうだったかもしれません」


「お前は、その女を見殺しにしようとした」


「ち、違います! あの竜は恐ろしく強く、助けることはできませんでしてぇっ!」


「いや、見殺しにしようとした。囮として使い、自分が逃げ延びるために」


「ひぃい」


 大剣が影のように忽然と消え去り、空いた右手がずずずっとハイドの頭部を鷲掴みにした。もはや彼は言葉を失って、酸欠の魚のようにパクパクと口を動かしていた。


「お前は、二度とあの人に関わるな。討伐の報酬金も渡してやれ。いいな?」


 首がもげそうなくらいに頷く姿を見て、剣士は手を離す。それと同時、ハイドは白目を向いて気絶してしまった。


 いよいよ一人になった剣士は、気絶したままのリーアをわずかに一瞥した。だが、それだけだった。

 初めに現れたように彼は、木々の隙間へと身を躍らせ、闇の中へと消えていった。

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