02 野望・手負いの竜は10億の価値
~前回までのあらすじ~
B級魔物の"黒炎鳥"を倒した後、ベルナ・ロンドは謎の声に呼び止められる。
その声に従い、魔力に満ちた宝玉を手に入れたが、それはあまりに強大な力を持った代物だった。
力に飲まれそうになった寸前、リーアによって現実に引き戻された。
ベルナは、毒虫に刺されたと言い訳をしながら、咄嗟に宝玉を懐へと隠した。
「さ、これで毒は治癒できたはずよ。行きましょっか」
リーアがにこりと微笑んだ。こんどはちゃんと、俺に向けて。
そしてまた俺たちは、もと来た山道を戻り始める。リーアは荷物を半分持とうかと聞いてきたが、さすがにそんなことはさせられない。
「ところでフーガルテラさんは?」
「ハイドは少し先で待ってる。いいよあんなやつ気にしなくて。少しは人に気を使うことを覚えたほうがいいんだから」
「アルルテラさんとフーガルテラさんは、その、長い付き合いなんですね」
「ま、腐れ縁ってやつね。私も好きであんなのとずっと一緒にいるんじゃないんだからね?」
「そうなんですか? じゃあどうして」
「あはは……それは、まあ私の野望のためとでも言っておこうかな」
「野望、ですか」
「ベルナ君にだってあるでしょ? 冒険者になって叶えたかった、野望ってやつ」
「あ、俺ですか……? まあ、その、俺は力を持ってるやつがエライみたいなのが嫌で。力を持ってるやつは、もっと弱い人達のために力を使うべきなんじゃないかって思ってて。そういう風に世の中を変えられるんじゃないかと思って冒険者になって……はは、いや、今の状況からすると何言ってんだって感じですよね、すみません」
「ううん! そんなことないよ! すごく素敵な野望だと思う! それにちょっと、私と似てるし……」
「え、なんですか?」
リーアはごまかすように笑い、「それよりさ」という言葉でその話題を打ち切った。
「あ、はい」
「私たち同じパーティの仲間なんだから、そんなに畏まらなくてもいいんだよ? ベルナ君、ずっと私に敬語使ってくれるけど、疲れちゃわない?」
「あ、えっと、ごめんなさい……」
「べつに怒ってるわけじゃないの! 仲間同士なんだし、もっとラフになってくれてもいいのになって!」
「いやでも、だって俺、ただの登録冒険者だし。認可勇者のフーガルテラさんたちに馴れ馴れしくなんてできません」
認可勇者になるには国の勇者認可試験をパスしなくちゃならない。もちろんバカみたいに難しくて、パスできるのは予備塾のために高い金を払える貴族や商人の子息か、あるいはよっぽどの実績がある人だけ。つまり雲上人、エリート様ってこと。そして認可勇者だけがパーティを組むことができる。パーティは一人だけでもいいし、何十人いたって構わない。
一方で登録冒険者は、別名派遣冒険者とも言われるシステムで、ギルドに登録しておく分には大した費用もかからない。そして認可勇者がパーティを組む際、そこから自分の望む能力を持った冒険者を呼び出すわけだ。認可勇者になれない奴、つまり大半の連中はこっちだ。もちろん俺もそう。
ちなみにリーアは認可勇者のパーティに直接採用された、いわゆる正規メンバーってやつだ。これは認可勇者によって基準がバラバラだから一概にはいえないが、少なくとも登録冒険者の最初の目標は、どこかのパーティの正規メンバーになることだろう。単純にそっちのほうが待遇が良いし、ノウハウを学べば少しでも認可勇者に近づくことになる。
それで結局の所、能力も立場も、俺と二人の間には大きな差があるってことだ。仲間同士とは言うが、実態はただの荷物持ちなわけだし。
「……まあハイドの前でラフに接しろっていうのはちょっと難しいかも。でも私と二人の時くらいは敬語使わなくてもいいんだよ?」
「そうですか……じゃなくて、そうかな。えっと、リーア……さん」
「うむうむ、とりあえず一歩前進!」
そしてまた女神は微笑んだ。間違いなく、彼女は女神だった。
俺たちはそのまま他愛ない話を交わしながら山道を下りていった。夜更けだからもう眠い。ただ、リーアが定期的に回復魔法をかけてくれるおかげで疲れはかなりマシだった。
このクエストに出てきてからはじめて、俺は癒やされた気持ちになっていた。リーアが微笑むたび、それは強まった。
それから程なくして、夜道に焚き火の灯りが見えてきた。
そこで携帯食料を貪っていたハイドが、俺が近づくなりいきなり顔を上げて――
「ガッ……!?」
突然に腹のあたりに鈍痛が走った。ふわりと足が地面を離れる。世界がめちゃくちゃにひっくり返って、気がつくと地面にぶっ飛ばされて倒れていた。背負っていた背嚢から、ドロップ品がばらばらと辺り一面に散らばった。
「ハイド!? あんた何してんの!?」
リーアがハイドに掴みかかるも、軽くあしらわれる。蛇のような眼が細まって、俺を見下した。
「おいクズ、てめえ自分の仕事が何かわかってんのか? 荷物持ちだよ、荷物持ち。なのにダメじゃないか、のんびり休んでちゃあ。その辺の荷車引いてるロバだってしっかり飼い主に着いてくるぜ? なあ、おい!」
「ねえやめて! ベルナ君は毒虫に刺されて動けなかっただけなんだって!」
「しらねえよ。ていうかそんくらいで動けなくなるってマジかよ。仮にも冒険者なんだろ? くっだらねえ出任せじゃねえのか? じゃなきゃマジに無能以下だぜ、てめえ」
「なんでそんな酷く言うの!? さっき私が様子を見てくるって言った時は、ハイドもベルナ君のこと心配してたじゃない!」
「そりゃ心配だったさ! 1000万イェーンの首は俺が持ってるとはいえ、それ以外のドロップ品にも結構な値がつくやつがあったしな。このクズが持ち逃げしたんじゃないかと思うと、心配で心配でたまらなかったよ」
「あんたねえ……!」
雰囲気は最悪だった。ただ、蹴り飛ばされた自分のことより、このままじゃリーアまで同じ目に合わされるんじゃないかという恐怖があった。やっぱり、ハイドという男はクズだ。それくらいはやりそうだ。
あるいは、と俺は懐に隠したものに思いを巡らせた。あの宝玉の力を使えば、今すぐこのクズをぶっ飛ばせる。
ぞくり。武者震いみたいなものが走った。それは素敵な考えだった。すごく素敵な考えだ。
でも、伸ばしかけた手を握りしめる。
それってこいつと同じじゃないか? 世界の公平なルール。力を持つ人間が、それ以外を虐げるっていうルール。俺はそれが嫌で冒険者になったはずだよな?
嫌なやつを力で黙らせる。それって、ハイドと同じことをしようとしているんじゃないのか?
ああ、クソ、どうすりゃいいんだよ。
「……待て、おい。今なにか聞こえなかったか?」
突然、ハイドが声を潜めて言った。俺も、リーアも、いきなりの豹変に何事かとやつを見返した。
「なにも聞こえなかったけど……」
「いや、確かに聞こえた。あれは叫び声……ちがう、咆哮だ」
その言葉を証明するかのように、直後、
――GrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrR!!!!!!!!!!!
壮大な咆哮が響き渡った。それは声というよりもはや衝撃波で、ビリビリと大気が震えて痛いくらいだった。
「なんなのこの声!?」
「……竜だ。間違いねえ、これは竜の咆哮だ。翼の音が聞こえる」
確かに、巨大なものが羽ばたく音が近づいてきていた。さっきの"黒炎鳥"が羽ばたく音なんて、今のと比べればまさに"小鳥"に等しい気がした。
「おいリーア、閃光魔法を撃て。空だ、かなり近いぞ!」
「だ、大丈夫なの!?」
「いいから黙ってやれ!」
リーアは逆らえず、閃光魔法を空に放った。光を凝縮した光弾が空へと上っていき、そして閃光とともに弾け、夜の闇を一瞬だけ切り裂いた。
そして、俺達は見た。夜の闇と同じ色、漆黒の鱗で覆われた巨大な生き物がゆっくりと空を飛んでいくのを。
一対の翼、禍々しい鉤爪、大木のような尻尾、そして獰猛なあぎとを。
それは、まさしく竜だった。
しかし巨体のあちこちにはおびただしい数の矢が刺さっていて、翼には痛々しい切れ込みがいくつもあった。尻尾は先端が切りとされていたし、口元からは血が零れてしたたっていた。
それは手負いの竜だった。
やがて竜は、一度大きく羽ばたくと空中で静止し、すぐ下にあった森の中へと降りていった。眠りを妨げられた鳥たちが驚いて逃げていき、閃光魔法の光弾は込められた魔力を消費し尽くして、再び夜の闇が戻ってきた。
その時のハイドの顔といったら、誕生日の贈り物を前にした子供のように無邪気で恍惚とした様子で、こいつでも純粋に竜なんかに憧れるのかと驚かされた。でも違った。やっぱりこいつは最低だった。
「見たか? おい、見たか見たか見たか見たか見たか!? 竜だぞ!? しかもあのサイズなら討伐レベルA級の黒竜に違いねえ! 討伐報酬10億はくだらねえぞ!?」
そう、結局は金だった。こいつはあの壮大な姿を見ながら、頭の中で高速でそろばんを弾いていたらしい。
「え、うそ、まさか倒しに行くっていうの!?」
「は? 他に何があんだよ。10億だぞ、10億。そんだけありゃギルドが創設できる。ギルド創設者になればあとはもう泥臭く魔物を討伐したりする必要もねえ。そこの荷物持ちみたいな夢見がちのバカから金を巻き上げて一生安泰に暮らせるさ。うはははは! まさか俺の野望がこんなにすぐに叶うなんてなあ!」
最低だ。やっぱりこいつは最低だった。しかもあまりにスケールの小さい最低さだった。
リーアも今回ばかりは、信じられないようなものを見る目をハイドに向けて声を荒げた。
「あ、あんた、そんなくだらない野望のために勇者やってたの!? 私、いくら乱暴でも、少しくらいは世の中のために戦ってるんだって期待してたのに……!」
「はあ? いやいやいや、認可勇者になる理由なんて他にあんのか? それよりさっさと準備しろ。あの10億が逃げる前に、急ぐぞ」
「……っもう! だいたい倒せるわけないでしょ、私たちだけでA級魔物なんて! ギルド総出で対処するような相手だってわかってるの!?」
これはリーアの言うとおりだった。ハイドは曲がりなりにもB級の"黒炎鳥"を圧倒する実力者だが、討伐レベルA級というのは文字通りにレベルが違うのだ。
まずD級は「無害」を意味している。妖精や森人のような、まともな戦闘力を持っていなかったり、そもそも敵対的でなかったりする相手。
C級は「有害、しかし低危険」。小精鬼のような、タイマンなら武器を持った一般人でも倒せるレベルの魔物。
B級は「有害」。訓練を積んだ人間であれば倒せるレベルの魔物。さっきの"黒炎鳥"のような連中。
そしてA級の場合は、「災害」だ。災害なんて人間にどうこうできるものじゃない。つまり討伐レベルA級とは、倒すのが困難かどうかという話ではなく、そもそも倒すことを前提に考えるべきではないという警告を込めた基準なのだ。
しかも竜族は、一部の例外や幼体を除いた全てがA級に分類されている。奴らは存在そのものが災害だということだ。
けれど、ハイドは譲らなかった。
「そりゃA級の危険度はわかってるさ。でも見ただろ? あの竜は手負いだ。おそらくどこかのパーティが追い詰めたが、すんでのところで取り逃がしたんだろう。そしてここまで逃げてきて、ちょうど体力が尽きたんだ。だから飛ぶのをやめた。いまなら殺せるぞ。どこかの間抜け共がせっかく削ってくれたんだ、ありがたくいただかない手はないだろ!?」
ハイドは真剣にリーアに迫った。こいつがこんなに真剣になっているのは、実際初めて見る光景だった。よっぽど10億が欲しいらしい。
「でも……」
「なあ、リーア。もし10億が手に入ったらおまえには3億やる。知ってるんだぜ、お前の野望がなんなのか。3億あれば、どれくらいの人間を助けられる? どれだけの子供が救えて、どれだけの老人が死なずにすむんだ?」
「や、やめてよそんな……」
「ここで諦めるってことは、おまえの両親と弟みたいな人々を見殺しにするってことなんだぜ?」
「そんな風に言わないで! なにもわかってないくせに!」
リーアはものすごい剣幕で怒鳴ったが、ハイドは悪びれず口を閉じなかった。気持ち悪いくらいの猫なで声で続けた。
「なあ、怒ったなら謝るよ。でもよく考えてみてくれ。今回の"黒炎鳥"ですら1000万イェーンぽっちなんだぜ。だが準備にいくらかけた? 情報収集、ルートの選定、道具選び、都からの馬車代、そこの荷物持ち君の雇用金……残りを二人で分けたら儲けなんて100万も残らねえ。しかしあの竜を討てば、ポンと3億だ。普通にやれば30年……いや、もっとかかるね。その頃にはおまえの野望を叶えるために、あとどれくらい時間が残る? ていうか30年も冒険者を続けられるのか? どこかで大怪我でもするか、あるいは死ぬか……」
悪魔的だ。俺は、はっきり言ってハイドのことを見返してしまった。こいつはクズだが、人を丸め込む天才だった。そういえば俺も最初に声をかけられた時は、いろいろと調子のいいことを言われた気がする。今にしてみれば詐欺みたいなものだったけど。
リーアはもう言い返そうっていう気迫を失っていた。特に両親と弟について言及されてからは。
彼女に何があったんだろう? わからないが、程なくしてリーアは決心したように顔を上げた。
「わかった。でも、3億は足りない。私の取り分は4億にして」
「なんだよ、金には興味ありませんってスタンスじゃなかったのか?」
「私だってお金に頼らなくていいならそうしたい。でも、あんたの言う通りだから。パパ、ママ、リック……一人でも多くの人を助けるには、銅貨一枚でも多くのお金がいるから」
「……ま、A級討伐の実績がありゃ1億くらい埋められるか。よし、そうと決まればさっさと行くぞ。おい荷物持ち! てめえはそこでドロップ品大事に守ってろ! 盗もうなんて考えたらぶち殺すからな!?」
そして俺の返事も待たずに二人は森の奥へと駆けていった。
ぱちぱちと音を立てて爆ぜる焚き火の明かりを頼りに、俺は虚しい気持ちで散らばったドロップ品を拾い集めることにした。
リーアが何をしようとしているのかは知らないけれど、4億イェーンなんて大金を手に入れたら、たぶん冒険者は辞めるんだろう。そしたらもう、彼女と一緒にいることはできなくなってしまう。
そして俺はまた別のパーティに派遣されるんだろう。ハイドは最低だが、しかし認可冒険者なんて皆似たりよったりだ。きっと今と扱いはそう変わらない。ただそこには、リーアはいない。
胸の奥が締め付けられるように痛い。こんなことなら、綺麗事を考えずにあの宝玉を使っていればよかった。そうすれば、少なくともこんなに惨めな気持ちにはなっていなかっただろうに。
ドロップ品を拾い集め、味のしない携帯食料をかじる。
二人が森の奥へ消えてからどれだけの時間が経っただろうか。
とっくに竜を倒しただろうか。いや、それなら戻ってくるはずだ。
……そもそも本当に、二人だけで竜なんて倒せるのか?
いくら手負いとはいえ、竜の力は絶大だ。ハイドは、あの竜が力尽きたのだと言ったが、閃光に照らされた竜の様子は必ずしもそうは見えなかった。
ざわざわと嫌な予感が湧き出し始めた。ハイドはともかく、リーアは無事だろうか。
そして、俺の不安に共鳴したように、またあの咆哮が夜の静寂を切り裂いた。
――GrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrR!!!!!!!!!!!
とても手負いの生き物の断末魔という感じじゃなかった。
むしろ、尋常じゃない怒りがそこには満ちていた。
「リーアさん……リーア……!」
思わず俺は、二人のあとを追って森の中へと駆け出していた。
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