85話
「お腹壊しても知りませんからね。」
「俺の腹はそんなヤワじゃねぇよ。それよりも、お前の方は聖女について何か気付いたことはあるか?」
殿下にそうたずねられて少し考えた私は、義弟と聖女の瞳が似ているという話しをすることにした。
だが、殿下は「そうかァ?」と、いまいちピンときていないようで、首を捻っている。
「本当なんです。」
義弟と聖女は姿形は違えど、その穏やかな垂れ目と、醸し出す雰囲気がそっくりだったのだ。
それを殿下に説明すると、彼は徐々に険しい顔になっていった。
「…きな臭くなってきたな…。」
ポツリと呟いた殿下はソファから立ち上がった。ボリボリと頭を掻く彼を見上げる。
「殿下?」
「悪いな、エリザ。時間切れだ。そろそろジジィのとこに行かねーと。」
「ジジィ?」
「皇帝陛下。」
皇帝陛下。つまり、殿下のお父様。
帝国の父である陛下を、恐れ多くもジジィと呼べるのはこの世界で彼だけだろう。
「年末のあれやこれやの報告をしねぇと、煩いんだよ。」
「…めんどくせぇ。」とボヤきながら彼は扉へと向かっていく。私もソファから立ち上がり、彼を扉まで見送ることにした。
「お忙しいのに、いつも私のせいで時間を取らせてしまってすみません…。」
「気にすんな。俺が好きでやってんだから。」
そう言うと彼は慣れた手つきで私の頭に手を伸ばす。だが、その手は不自然な位置で止まった後、何故か私の額目掛けてデコピンをかましてきた。
「っ、」
攻撃を受けた額を思わず押さえれば、頭上からくつくつと笑う彼の声が降ってきた。
「じゃあな、また来るよ。」
「…あ、待って下さい。」
ドアノブに手をかけていた彼を私は引き止める。
私の言葉に一瞬、目をぱちくりさせたが、直ぐにいつものニヤケ顔になった彼は、実に愉しそうに私の顔を覗き込んできた。
「…ははーん?さてはお前……俺が帰っちゃうのが寂しいのか?」
「いえ、そうではなく。」
「…。」
彼の前に右手の甲をかざす。すると、彼はわかりやすく顔を顰めた。
「監視魔法でしたっけ?いい加減、これを解いてください。」
「…。」
「殿下。」
黙ったままの彼を咎めるように呼べば、彼は子供のように不貞腐れた顔をした。
「嫌だ。」
「…殿下。」
「分かってるのか?それが無かったら、お前はアルベルトに殺されていたんだぞ?」
義弟に首を絞められたことを思い出し、首に嫌な圧迫感を感じた。少し、息苦しい。
「…貴方の言う通り、この魔法のおかげで私は助けられました。」
「ほらな。だからこのまま…」
「嫌です。」
彼の言葉を遮ってキッパリと拒んでみせると、殿下は顔を引きつらせた。
「監視とは本来、罪人等が何か悪さをしないかと警戒して見張ることですよね?それを私にかけるだなんて、正直いい気分ではありません。」
「…。」
「貴方が私を心配して下さっているのはわかっています。それでも、貴方に信用されていないみたいで、悲しいのです。」
切なげにじっと彼の瞳を見つめれば、彼は気まずそうに視線を逸らし、静かな唸り声を上げた。
「……何か起こってからじゃ、遅いんだぞ。」
「皇宮に居れば安全だと言っていたじゃないですか。」
「…そうだけどよ、」
殿下は当惑したように口ごもった。
…もう一押し。
「それに、こんなものがなくても私を守ってくれるのでしょう?」
どうしようもなく心配性な兎を安心させるように、にっこりと微笑んでみせれば、彼は瞠目した。信じられないものを見るように瞳を揺らし、こちらを凝視してくる。
だが、それは一瞬のこと。
彼は呆れたように表情を崩し、深くため息をついた。
「…どっちがタチが悪いんだか…。」
彼がボヤくように呟いた直後、右手の甲に鈍い痛みが走る。
「っ、」
咄嗟に右手の甲に視線を向ければ、皇族の紋章である青薔薇の模様が淡いブルーの光を放ちながら浮かび上がっていた。
そして、その紋章は私の手から宙に浮かび、そのまま空気に静かに溶けていった。
色んな角度から自身の右手を眺める。どこを見ても青薔薇の紋章は見当たらない。
…監視魔法が解けた?
「いいか、エリザ。よく聞け。」
彼の声に顔をあげれば、こちらを見つめる真摯なサファイアの瞳と目が合った。
「お前の中にあるクソベルトの魔力を使えば、遠くからでもお前の意思を操ることや、お前を殺すことも可能だ。」
彼の言葉にゴクリと喉を鳴らす。
「だが、皇宮に居ればアイツの魔法は通じない。だから、ぜってー外に出るな。言っておくけどフリじゃねーからな。」
彼の真剣な様子に、私は深く頷く。
それを見た殿下はふっと肩の力を抜いた。
「あと明日だけ、俺はお前の傍を離れる。」
「え?」
「明日は終業式だ。本当は行きたくねぇけど、こればっかりはどうしようもならない。」
私たちが通う学校は明日から長い休暇に入る。その終業式で、皇太子である彼は何か挨拶する役でも命じられているのかもしれない。
彼が離れてしまうのは少し心配だが、ここに居れば安全だ。きっと、大丈夫。
「わかりました。」
「よし、いい子だ。」
満足げに笑った殿下は私に背を向け、再びドアノブに手をかけ扉を開けようとする。が、
「念の為、もう一度言うぞ。」
「…。」
ドアノブに手をかけたまま、こちらを振り返ってきた。
「お前の中にある血が抜けるまで、数日かかる。完全に抜けるまで、ぜってーに皇宮から出るな。」
「…はい。」
「青の魔力は万能だ。なんだって出来る。それに…」
「わかりましたから。何度も言わなくても大丈夫ですよ。」
ここまで彼が心配性だなんて、知らなかった。余程、私のことを信用していないらしい。
話し続けようとする彼の言葉を遮った。私のやや呆れたような言葉に、彼はむっとしたようだが、あきらめたように息をついた。
「何度言っても安心できねぇんだよ。」
唇を尖らせて抗弁する彼に、苦笑いをする。
「青の魔力の怖さは、貴方から散々説明を受けたので重々理解しているつもりです。」
「つもり。」
「揚げ足を取らないでください。理解していますよ、本当に。」
「本当かァ?」
「本当です。何でも出来てしまう万能魔力なんでしょう?」
あまりにもしつこいので、鋭く彼を睨む。このままでは皇帝陛下との約束の時間に遅れてしまう。その視線を受け取った彼は口角をニヤリとあげて見せた。
「そうそう。何でも出来ちゃう最強魔力…あ、1つだけ出来ないことあったわ。」
はたと何かを思い出した彼に、私は首を傾げる。そんな私に彼は薄く笑った。
「…死んだ奴を、生き返らせることはできねぇんだよ。」




