75話
義弟の背中からドクドクと真っ赤な液体が流れ、ベッドのシーツや私の制服を赤く染め上げていく。
義弟の身体を抱き呆然としていると、ふと私たち以外の人の気配を感じた。
視線をそちらに向ければ、誰かが義弟の背後に立っている。
ゆっくりと視線を上げていけば、不穏げに煌めいているサファイアの瞳と目が合った。
「で、殿下…」
「よォ、エリザ。久しぶりだな。」
いつものように私の名の愛称を呼ぶテオドール皇太子殿下は、私たちを見下ろし薄ら笑いを浮かべていた。
義弟が血を流しているという緊迫した状況下で、何故彼は笑みを浮かべているのだろう。そもそも、何故彼がここに居るのだろうか。
いや、今はそんなこと、どうでもいい。
この瞬間で、頼れるのは彼しか居ないのだ。彼はいつも私を助けてくれる。きっと今回も…。
私は殿下の存在に縋り付くように、声を上げた。
「殿下…!助けて下さい!ゆ、ユーリが血を…血を流していまして…」
「へぇ?」
「早く手当てをしないと、取り返しのつかないことに…!」
「ふぅん?」
「ち、血が、こんなに流れて…」
「ほぉ?」
「で、殿下、助けて…」
「ははっ。」
「っ、」
こんなにも必死に懇願しているというのに、どうして彼は真剣に取り合ってくれないのだろう!この間にも、義弟の身体からどんどん血液が失われていっているというのに。
煮え切らない彼の態度に酷く困惑する。
この状況下で、ふざけている場合ではないということは、彼だって分かっているはずだ。
そこで私は、はっと気づく。
殿下の手に、赤く染ったナイフが握られていることを……
私の視線がそのナイフに注がれていることに気が付いた殿下は目を細めた。
「今頃気づいたのかよ。相変わらず、お前って変なとこで抜けているよな。」
くつくつと笑いながらナイフを片手でくるくると回し始めた殿下に、自分の顔から血の気が引いていくのを感じた。
あぁ、なんていうことなんだろう。
彼は、義弟を刺したのだ。
「あ、あぁ、何で…」
目の前で起こっていることが、信じられない。
殿下は下品さが目立つ粗野な男であるが、しっかりとした常識が備わっている人間であることは、一緒に過ごしてきた中で感じ取れた。
そんな彼が、どうして…
考えれば考えるほど頭の中は収拾がつかなくなり、目の前の状況を処理しきれない脳がはち切れてしまいそうだった。
「何でって…そいつがお前を殺そうとしたから、俺もそいつを殺そうとしたんだけど?ったく、当たり前なこと聞くなよな。」
非道徳的なことを平然と答える殿下に、愕然とした。
当たり前?
人を刺すことが、当たり前?
そんははずは無い。そこにどんな事情が存在したとしても、人を殺めていい理由にはならないはずだ。
それを伝えようとしたが、恐怖で喉が痙攣しており、上手く言葉にならない。
「エリザ、そのままじっとしてろ。」
「え、」
「すぐに終わらせてやるから。」
そう言う彼は、場違いにも私を安心させるような優しい笑みを浮かべ、手に持つ血塗られたナイフを振りかざした。
「―っ!」
頭で考えるよりも先に身体が動く。
私は、義弟を庇うように、その身体の上に覆いかぶさった。
「っ、バカッ、」
頭上から殿下の焦った声がする。
だが、もう遅い。
ナイフはそのまま風を切り、私の背中を目掛けて落ちてくる。
次の瞬間に訪れるであろう痛みに備えて、私は強く目を瞑った。




