67話
必死に皺を伸ばした制服に袖を通し、鏡の前で髪を梳かす。
仕上げに、蜂蜜色のネックレスを胸にしまい、鏡に映る自分をじっと見つめた。
―少し目が赤いけど、これなら夜更かしで通せそうね。
昨夜の私は具合が悪いことになっている。夕食も食堂でとらず、ベルに寝室まで運んでもらった。義弟も何度か様子を見に来てくれたが、決して部屋の中に招くことは無かった。そんな私が夜更かしを理由にするのは矛盾が生まれるが、まぁいいだろう。
チラリと時計を見れば、ちょうど朝食の時間になりそうだった。
革の鞄を持ち、食堂へ向かおうと扉を開けた私の身体に、黒い影が覆い被さる。
「姉上。」
「―っ!」
その声に驚き、弾かれたかのように顔を上げた。
「あぁ、すみません。驚かせてしまいましたね。おはようございます、姉上。」
「お、おはよう。」
扉の前には、学校の制服である燕尾服を身にまとった義弟が立っていた。
朝から天使のように神々しい笑顔を私に向けている。
「そろそろ姉上を起こそうと思って来たのですが…もう起きていたんですね。」
「え、えぇ。」
「体調はいかがですか?」
「何ともないわ。」
「そうですか。それなら良かったです。」
にこりと笑う義弟に、果たしてそれは本心なのかと疑ってしまう。
ここ数日は1人で起きられず、義弟に起こしてもらっていたのだが、今日は自然と一人で起きることが出来た。目覚めも悪くない。むしろ、ここ最近の中で1番良い。
まるで、魔法が解けたような…
―――魔法?
「あれ、姉上。目がいつもよりも赤いですね。」
義弟が目敏く私の目元の異変に気づく。
「昨日、何かありましたか?」
そう言って義弟はこちらに、そのしなやかな手を伸ばしてくる。
昨日までの私なら義弟に触れられることに対して抵抗はなかった。だが今は…
私は咄嗟に義弟から距離をとる。
「…姉上?」
まるで避けるような態度に、義弟はあからさまに傷ついたような顔をした。
その顔に少々……いや、かなり罪悪感を感じたが、誤魔化すように私はにっこりと笑ってみせた。
「寝る前に読んでいた本が面白くて、ついつい夜更かしをしてしまったの。目が赤くなっているのはそのせいね。」
「そ、そうだったんですね。ですが、姉上は体調が優れなかったはずですよ?悪化してしまったらどうするのですか。」
「ごめんなさい、次から気を付けるわ。さ、立ち話もあれだし、早く食堂へ行きましょ?」
「…。」
何か言いたげな様子に、あえて気付かないフリをする。このまま話していたら余計なことまで口走りそうだったから。
私は義弟に背を向け食堂へと向かった。
※※※※※
今日も食堂には父の姿がみられない。上座の席がぽっかりと空いているのを見て、少し寂しいと思う。普段は鬱陶しいとしか思っていなかったが、こうして暫く会えない日が続くと不思議と恋しい気持ちになる。
今はただただ無理して体調を壊さないように、と願うばかりだ。
ここ数日、父が居ないため義弟と2人きりの朝食が続いている。
私がいつもの定位置に座ると、義弟は目の前の席に座った。彼も私の前に座るのが幼い頃からの定位置だ。
運ばれてきたスープを喉に流し込み、一息つく。寒い冬の朝の温かいスープは身に染みる。義弟も同じようにスープに口にし、ほっと一息ついていた。きっと同じようなことを考えていたのだろう。
「ねぇ、ユーリ。」
「はい、何でしょう。」
「一応病み上がりだし、今日も先に帰ろうと思っているんだけど…いいかしら?。」
「勿論。最近、遅くなればなるほど冷え込みますから、姉上のお身体のことを考えると、それが1番いいでしょう。」
にこやかに頷く義弟とは裏腹に、私の心の中には黒い靄が現れていた。
思わず「私が居ない方が、聖女様とゆっくりと過ごせるものね。」と言ってしまいそうになるのを、スープと一緒に飲み込む。
どんどん卑屈になっていく自分に嫌気がさす。だが、自分ではどうすることも出来ない。
「あと、今度から昼食も別々にとりましょう。」
「え、」
私の提案に目を見開いた義弟は、みるみる顔を青くしていった。どうして、そんなショックを受けたような顔をするのだろうか。
私が居たせいで、一緒に過ごすことが出来なかった聖女と堂々と昼食の逢瀬を楽しむことができるというのに。むしろ喜ぶと思ったのだが…
「姉上…、僕は何か姉上の気に障るようなことをしてしまったのでしょうか?」
世界に絶望したような弱々しい声で私に訊ねてくる義弟に、彼の不誠実さを怒鳴りつけてあげたかったが、ぐっと堪える。
まだその時ではない。
私は優しい姉の仮面を被った。
「あら、どうしてそう思うの?」
「だって、今日の姉上変ですよ。何だか避けられているような気がしますし…」
「気の所為よ。私がユーリを避けるだなんて有り得ないわ。」
自分の為ならば、いくらだって嘘はつける。私は元々こういう人間だ。嘘で自分を塗り固めて、そうやって生きてきた。そういう生き方しか知らないのだ。
義弟は何かを訴えるように私の瞳をじっと見つめたが、ふと目を伏せ「そうですよね。僕の気の所為でした。すみません。」と呟いた。
「わかってくれて嬉しいわ。じゃあ、早速今日からお昼は別々で…」
「それについては、納得していません。」
「え、」
私の言葉を遮ってきた義弟は、真摯な瞳を私に向ける。さっきまで、しゅんとしていた子犬のような少年は何処に行ったのだろう。一瞬で変わりすぎでは無いだろうか。
「どうして、別々で昼食をとりたいのですか?僕が納得出来る理由を述べてください。」
その探るような視線に内心冷や汗をかく。だが、ここで怖気付くわけにはいかない。前世の私は、女の戦場である社交界を何度も制圧してきたのだ。これぐらい切り抜けなくてどうする。
正直に、義弟と一緒に過ごしたくないから、本当は聖女と一緒に過ごしたいのでしょう?とは流石に言えないが、結果的にそうなるように誘導すればいい。
「最近、ユーリ忙しいでしょ?その上お昼に私の世話までしていたら、休む暇なんて無いわ。」
「そんなことありません。」
「そんなことあるの。お昼が別々だったら、貴方はその時間を自分のために有意義に使えるのよ?とても素敵だと思わない?」
「ちっとも思いません。」
―…あら?
珍しく反抗的な態度の義弟に、笑顔のまま首を傾げる。私が提案したことは、義弟にとってプラスになることばかりだというのに。
「姉上に会えることが、僕にとっての唯一の休息なのです。それを僕から奪わないで下さい。」
私を真っ直ぐに見つめる、そのシトリンの瞳に眩暈を覚えた。
どうして頑なに私なんかと過ごそうとしているのだろう。彼にとって私の存在は邪魔でしかないはず。それとも、これは聖女と過ごす為の何かの作戦なのだろうか。
義弟の行動がまるで理解できない。
「…わかったわ。」
結局私はそう答えることしか出来なかった。




