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私は貴方を許さない  作者: 白湯子
第10章「奈落の告白」
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206話

エリザベータside



先程まで全てを吞み込もうと轟々と燃え盛っていた青い炎は、気付けば完全に鎮火していた。

辺りに立ち込める白い煙がまるで狼煙のように、ぽっかりと空いた天井に吸い込まれていく。


階段の踊り場からユリウスとベティの元に飛び込んだ私は、惨憺たる有様の2人を見下ろして思わず眉をしかめた。2人とも酷い火傷だ。特にベティの方は目を背けたくなるほど酷い。彼女の白く柔らかな肌は焼き爛れ、所々に水膨れが生じ、テラテラと光る青い肉が露出している。あの艶やかなストロベリーブロンドの髪も今や少年のように短く燃え切れてしまっていた。


一方ユリウスは目の周りに酷い火傷を負っていた。きっと跡が残ってしまうことは避けられないだろう。

遅れて、目だけでなく脇腹も真っ赤に染まっていることに気付き、背筋に冷たいものが走った。早く、早く治療できる人を呼ばなくては。

焦る気持ちを抱えながら彼らの上から降りようする。だが、そんな私の視界に受け入れがたい光景が飛び込み、身体がぎくりと強張った。



「貴方、手足が…」



赤黒く染まるユリウスの上着の袖とスラックスの裾。本来そこから見えているはずの手足が失われていた。

惨たらしい光景に心臓が忙しく嫌な音を立て始め、呼吸が乱れる。

なんて残酷なことを。

この状況下で元凶としか考えられないベティに鋭い視線を向けると、彼女は場違いにも無邪気な笑顔を向けてきた。



「エリザベータ様!私、やりましたよ!」



痛みを感じていないのか、酷い火傷を負っているにもかかわらず、ベティは褒めてと言わんばかりに言葉を弾ませる。



「忌々しいコイツの手足を奪ってやりました!300年前、貴女が受けた報いを、ようやくコイツに返すことができたんです!!」



ベティの言葉に過去のおぞましい記憶がぶわりと脳裏に蘇り、喉がひゅっと鳴る。

無理やり押し込められた冷たい牢屋。

掴まれた足首。

振り落とされる刃。

真っ赤に染まる視界、視界、視界ーーー


痛むはずがない両足首がズキズキと疼痛を訴えはじめる。

ベティがユリウスの手足を奪った理由を理解した私は、その履き違えた正義感に吐き気を催した。



「あぁ、エリザベータ様。そんな顔をしないで下さい。大丈夫ですよ。ちょっと失敗してしまいましたが、この後、ちゃんとコイツの息の根もーーー」

「余計なことをしないで。」

「………え?」



思わず口をついて飛び出した言葉に、ベティは目を見開き無防備な表情を晒す。



「その報いは私のものよ。貴女が自分の欲求を満たす為だけに返していいものではないわ。」



他人に触れてほしくない心の傷を土足で踏み蹂にじられ、私は激しい憤りを感じていた。

明確に敵意を含んだ険しい瞳でベティを見下ろすと、彼女の瞳に深い困惑の色が広がった。

 


「聖女を捕らえろーー!!!」



突如、奈落に轟いた男たちの大声にハッと顔を上げると、上の階から大勢の騎士が梯子伝いでぞろぞろと降りてきていた。

彼らは私とユリウスを保護し、そして暴れるベティの身柄を拘束した。

ベティの人間離れした怪力を目の当たりにしている騎士たちは、華奢な彼女の身体に冷たい鎖を何重にも巻き付ける。



「お二方、ご無事ですか!?」

「ーっ、手足が…!救護班!止血を…!」

「脇腹も刺されているぞ…!」

「手足を探せ!…!直ちに再接着術の準備を!」



私たちを取り囲んだ騎士たちは、慌ただしく重症を負ったユリウスへの治療を始めようとする。だが。



「治療は不要です。」



肘を使いむくりと起き上がったユリウスは、そう言って彼らの手をやんわりと拒絶した。



「僕より、姉の方をみてください。」



ユリウスの台詞に一瞬絶句した。



「…な、何を言っているの。貴方の方がーー」

「僕の手足は跡形もなく燃えてしまいましたし、血も既に止まっています。ですが、全身に炎を浴びた姉には治療が必要です。」



私の言葉を遮り、淡々と話すユリウスに騎士たちは戸惑いみせる。この場に居る誰もが、最も治療を受けるべきなのがユリウスだと分かっているからだ。

そんな彼らの様子に苛立ちを覚えたのか、ユリウスは小さく舌打ちをした。



「何をボケッとしているんですか。貴方がたの役目は善良な帝国民を守ることでしょう?それとも貴方がたは今の状況が見えていない無能集団なのですか?」



ユリウスから悪態と共に鋭い眼光を向けられ、騎士たちは更に戸惑いの色を濃くする。普段の穏やかな貴公子の姿しか知らないなら尚更だ。

「ちょっとユーリ…!」と咄嗟に彼の腕を掴むが、ユリウスは私を見なかった。それどころか、彼は起き上がってから一度も私と目を合わせていない。言葉だけでなく、ここに居る私という存在を無視して、勝手に話しを進めようとしている。

そんな彼の態度に、疎外感にも似た激しい焦燥感がじわじわと私の中で膨らんでいくのを感じた。



「さっさと治療を始めてください。何のために貴方がたがーーー」

「ユリウス゠アシェンブレーデル!」



気付けば、私はユリウスの胸倉を両手で掴んで、彼のフルネームを叫んでいた。

至近距離で大きく見開かれたシトリンの瞳に、目を吊り上げわなわなと震える私の姿が写り込む。



「いい加減にしなさい。見えていないのは、貴方の方でしょう。」



私の言葉にユリウスはひゅっと喉を鳴らす。

今になってようやく私の存在を認識したか、先程の悪態は削ぎ落され、ユリウスの瞳がまるで迷子になった子供のように戸惑いの色を帯びて不安げに揺れる。

今の彼は無防備で酷く情けない。




「見ようともしていないくせに、無能な命令で彼らを困らせないで。」

「…、」



私たちの間に瞬き程度の小さな沈黙が流れる。

言葉でも行動でもいい。見守るようにじっと待っていると、ユリウスの右手がゆっくりと私に向かって伸びた。だが、手のない彼の腕は虚しく宙を切っただけだった。



「…。」



ユリウスは力なく俯く。

行動も言葉も、今の彼からこれ以上は出ないだろう。

私は彼の胸倉を解放し、私たちのやり取りを固唾をのんで見守っていた騎士たちに彼の治療を始めるようお願いをした。

戸惑いつつ恐る恐る騎士たちは治療を始める。今度のユリウスは拒否することなく大人しく治療を受け始めた。

周りの空気が慌ただしく回り始める。

念のため、私の方も身体に異常がないかユリウスの横で簡易的な診察を受けた。

横目でユリウスを見ながら、ふとユリウスとベティの元に飛び込んだ直前の光景を思い出す。

咄嗟に私に向かって手を伸ばすユリウスとベティの姿。


彼女までもが私を助けようと手を伸ばしてくるとは思ってもみなかった。



「エリザ!」



呼ばれた方向に首を回すと、ビアンカに横抱きにされた殿下がこちらに向かってきていた。近くまで来ると殿下はビアンカから降りて、地面に座る私とユリウスの前に膝をつき、安堵の息をこぼした。



「無事そうだな。」

「殿下達が守ってくださったおかげです。殿下は…」



ビアンカに運ばれるぐらい魔力と体力を消耗したのだろう。彼の顔色をうかがっていると、小さく笑われた。



「俺のことは心配すんな。ビアンカが過保護なだけだ。」



ちらりと殿下の背後に控えるビアンカを見上げると、彼女は肩をすくめ「やれやれ」と言いたげな表情を浮かべていた。



「そっちの坊ちゃんはボロボロみてぇだな。」



目を細めた殿下は、騎士から傷口に消毒液なようなものをかけられ静かに痛みに耐えているユリウスに嘲笑まじりの言葉を投げつけた。



「いい気味だ。」

「殿下。」



私は堅い口調で殿下を窘める。

正常に戻った騎士たちが聞いている状況で、公爵家の公子を侮辱するような今の発言はあまりよろしくない。

私の意図を察した殿下は面倒くさそうに「はいはい」と言って肩をすくめてみせた。



「…よく僕の前に顔を出せますね、殿下。」

「あ?」



手足に包帯を巻かれて応急処置を受け終わったユリウスは、責めるような目つきで殿下をジッと見上げた。



「あれほど頼んだというのに。何故、約束を違えたんです?」

「…。」



睨み合う殿下とユリウスの間に、剣吞な雰囲気が漂い始める。

相容れない2人の間に一体どんな約束が交わされたのだろうか。

ユリウスを静かに見下ろしていた殿下はそっと口を開いた。



「そもそも俺とお前の間には約束を守る義理なんざ端から存在してねぇ。そうだろ?」

「…。」

「もし仮に存在していたとしても、俺は今回と同じように自分の心に従うだけだ。」

「…騎士(ナイト)気取りの雑草が。」



殿下に向かって忌々しげに毒を吐き捨てるユリウスの様子に、2人のやり取りを固唾をのんで見守っていた私を含めた周りの騎士たちは呆気に奪われて、それぞれが驚きの表情を隠せないでいた。

そんなユリウスの態度に殿下は憤慨するだろうと思ったのだが、彼は予想に反して呆れたように溜息を吐いた。



「八つ当たりしてんじゃねーよ。みっともねぇ。」

「……、」



殿下の言葉について、ユリウスは何も言い返さなかった。

彼は悔しげに唇を噛み締めたのち、俯いて私たちから表情を隠してしまった。




「離せっつってんだろーが!!!」




突如、聖堂に轟くベティの怒声にピリッと緊張が走る。

すぐさま騎士たちは私たちを背にして整列し、瞬きひとつの僅かな時間で臨戦態勢をとった。



「殿下、そこから動かないで下さい。」



殿下を己の背中に隠したビアンカは、腰に下げた剣の鞘に手を添え、態勢を低くした状態でベティを睨みつけていた。

広く逞しい青い背中の隙間からベティの様子を伺うと、腕を封じられ身体に鎖を何重にも巻かれた彼女は上から抑え込んでいるはずの複数の屈強な騎士たちを背負ったまま立ち上がろうとしていた。

まさか自身を背負ったまま立ち上がるとは思っていなかった騎士たちの表情に、驚愕と畏怖の色が浮かぶ。



「鬱陶しい!いい加減、離れろ!こんのひっつき虫共が!!」



ベティはそう叫びながら、身を激しく捩って、背負ってい騎士たちを振り落としていった。一人は地面に叩きつけられ、一人は遠くの壁に叩きつけられ、一人は踏みつけられた。

暴行を受けた彼らの悲鳴と呻き声が止み、訪れた重い静寂に、ベティの荒い呼吸だけが場を支配する。

広い背中の隙間から飛び込む光景に唖然としていると、ふとベティと目が合い、私は息を吞んだ。

爛れた瞼の下から覗くぎらついた目が、パッと咲く花のように和らげな眼差しへと変貌する。



「エリザベータ様…今、迎えに行きます、から。そこで待っていてください。」



ずずず…と片足を引きずりながら、ベティは私に向かって歩き始めた。



「止まりなさい!」



ビアンカが鋭い声を上げるが、ベティの歩みは止まらない。

ただ一心に私を見つめる彼女の耳には何も届いていないようだった。



「例え貴女がどんなに私を嫌ったとしても、私だけは貴女を裏切りません。」



歩くたび彼女の身体から流れる青い血がぽたぽたと地面に軌跡を描いていく。



「貴女を守れるのは、私だけ。幸せに出来るのも今の私だけなんです。」



ベティの優しくて切なげな声音に痛いくらいに胸を締め付けられ、ひどく動揺する。

気付けば、彼女に対する憤りの感情が何処かに流れ落ちてしまっていた。


もうとっくに身体の限界を超えているはずなのに、どうして彼女は私の元に来ようとするのだろうか。そんなことを考える頭に、白い頬や目尻を朱色に染め、少し震える声で私に「好きです。」と言った少し前のベティの姿が浮かぶ。



「瀕死の虫の戯言に心を許さないで下さい。」



ユリウスの冷たい声にハッとする。

隣を見れば、俯いたままのユリウスが再び口を開いた。



「あれは屍を操るムカデ。人ではありません。吐き出される言葉は全て人間の真似事。ただ本能のままに貴女を惑わして、貴女を新しい苗床にしようとしているだけです。」

「…。」



自身がムカデの傀儡となった自身の姿が脳裏を過り、サッと顔から血の気が引く。

確かユリウスはこう言っていた。

ベティの身体に寄生した女王ムカデは、気温の低いノルデンでは生きてはいけない。だが、人間の体内ならば生命活動が可能である、と。

だから、今の彼女の行動の原理は、今の拠り所であるベティの身体の身体を捨てて、新しい健康体に乗り移ろうとしている…生命の危機に瀕した女王ムカデの防衛本能なのだろう。


だが果たしてそうなのだろうか。

ユリウスの話しを正しいと言う理性に、それを超えた感情が待ったをかける。


感情のない反射と本能だけで生きる虫が、あんなにも切なげに人の名前を呼べるだろうか。

人間の真似事だという無機質な言葉で、こんなにも胸を締め付けることなんてあるのだろうか。


人を動かすのは感情だ。

他者から向けられた感情でも、自身の感情は良い方にも悪い方にも揺れ動く。

私の感情が…心がこんなにも戸惑っているのは、ベティに人としての心があるからではないだろうか。

ベティの心が私の心を動かしている。

彼女は虫ではなく、心を持った人。

だとすると、彼女は誰だ。

300年前のことを話す彼女が、同じ時代に居たことは確実だ。

私とアルベルト様のことを知ってる人物。

アルベルト様が私の両足を奪ったことを知っている人物。

私の近くに居た人物。

アルベルト様を憎んでいる人物。

私を想ってくれていた、人物…


300年前の記憶を手繰り寄せようとする私の脳裏に、人々の敵意の眼差しが浮かび、思わず俯き胸の上の服をギュッと掴む。



「どうした、エリザ。大丈夫か。」



膝をついた殿下が私の顔を覗き込む。



「大丈夫で…」



横目で殿下の目を見て言葉が途切れる。

私を心配する目。何か言いたげで、もどかしげなその瞳。

…いや、1人居たじゃないか。

敵意だらけの眼差しの中に、今の殿下と同じ眼差しを私に向けていた人が。



「モニカ…?」

「…は?」



思わず口から零れ落ちた名前に殿下のサファイアの瞳が見開き、ユリウスがピクリと反応する。

ゆっくりと前を向くと、広い背中越しに歩みを止めたベティと目が合った。

見開いた彼女の瞳に薄い涙の膜が帯びて、月明かりに煌めく。その瞳がくしゃりと歪み、目尻に雫が溜まった。



「お嬢さーーー」



その瞬間、轟然たる爆発音が耳を劈いた。

ベティの額から青い血が噴き出し、見開いた彼女の瞳がグリンッと上を向く。

そしてそのまま、まるで糸が切れたマリオネットのように、ベティの身体はぐしゃりと地面に崩れていった。


しんと静まり返る聖堂に、嗅ぎ慣れない火薬の匂いが鼻をつく。



「ははは…やった…やったぞ…!」



重い沈黙を破る若い男の高揚とした声。

全員の視線が、その男に集まった。



「俺が…俺が聖女様を…理想郷へ導いたんだ…!!!」



男は上ずった声で叫び、このうえない悦楽に酔いしれた表情を浮かべ、天を仰ぐ。

その男ーーートミー₌キッシンジャーは、見たことのない物体を両手で握り絞め、その先端をベティに向けていた。


茶色のボディに銀色の装飾。

白い煙を噴き出す楽器のラッパのような形の銀色の先端…


それは、後に”拳銃”と呼ばれ、剣や魔法の代わりになっていく武器の登場であった。



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