191話
テオドールside
ブン、と風を切って迫ってくる聖女の拳や蹴りを俺は次々と躱す。一発で敵を葬るゴリラ並みの怪力を有していても、当たらなければ意味がない。
「クッソ、すばしっこい!!」
なかなか攻撃が当たらず、聖女の苛立ちが募っていくのが手を取るようにわかる。
とっとと俺を始末して、エリザベータの元に向かいたいのだろう。だが、そんな気持ちが先走る聖女の攻撃は大振りで先の動きを読みやすい。その上、一撃一撃に全力投球だ。そのうちバテると思って様子を伺っていたのだが…
「体力まで化け物級かよっ!」
この聖女、呼吸が全く乱れていない。それどころか、威力も速さも増していやがる。疲れというものを知らないのだろうか。だが、聖女の華奢な身体の方は明らかに限界を迎えている。拳や足、関節には青い血が噴き出し、白い服の上にも青い血が滲んでいた。
クソベルトが言っていた、ムカデが人間の死体を操っているという話。半信半疑だったが、この聖女の様子を見る限り信じないわけにはいかなくなった。まるで、目の前に居る聖女は、人間の手によって操られる、継ぎ接ぎだらけの人形のよう。
だがそうなると、腑に落ちない点がある。
死体ならば、そこにペティーナ=フェルシュングの意思は完全に消失しているはずだ。だから最初から今まで俺が話していた聖女は、演技をしていた女王ムカデ。
クソベルトもここに来る前に、寄生したムカデは恐らく生前のペティーナ=フェルシュングの記憶を脳から読み取って演技しているのでしょう、と言っていた。
……本当にそうなのだろうか?
今まで感じていた奇妙な違和感が、ここに来て、より強くなる。
1匹のムカデが人間……エリザベータに執着する理由は?
ムカデであれゴキブリであれ、俺ら人間から見ればどれも同じで、個体を区別するなんて不可能に近い。
それはアイツら虫から見ても同様なはず。
どちらも大きい括りで「人間」「ムカデ」などの生物名でしか認識できない。
だからこそ、特定の人間に執着できるのは同じ人間だけなのだ。
「くたばれ!」
「ーっ、あっぶねっ」
眼前まで迫っていた聖女の拳を、間一髪で避ける。が、反応が遅れてしまったせいで聖女の拳が頬を掠り、まるでナイフで切ったかのように頬からツゥーと血が流れた。今のには流石にヒヤリと肝を冷やした俺は、咄嗟に後ろに飛び聖女と距離をとったーーーーーその時。
背後に何かが落下した。
「ー!?」
反射的に後ろを振り返り、奈落を覗き込んだ瞬間、全身が総毛立った俺は思わず叫んだ。
「エリザッ!!あとついでにクソベルトッ!!」
辛うじて地上に居たはずの2人が、奈落に向かって落ちていた。
「くそっ」と口の中で呟き、2人を救おうと僅かに残る魔力を搔き集めていると、何かの塊が2人の後を追うように落下していった。早すぎて見えなかったが、あれは…
落下にしていったアイツらに完全に気を取られていた俺は、背後から漂う聖女の異様な殺気にハッとする。ヤベェ!と思い、身を捩るが、遅かった。
「ぐあっ!!」
左肩に今まで感じたことのない激痛が走った。目を見開いた俺は、その目に映る光景を疑う。信じられないことに、背後に居る聖女が左肩に嚙みついていたのだ。メリメリと肩に食い込む聖女の鋭い歯が皮膚、筋肉、神経を貫き、終わりの見えない気が狂わんばかりの痛みを訴えてきた。
このままではまずい!
そう思った俺は聖女を引き剥がそうと聖女の首に右手を伸ばした。だが、俺の手は虚しく宙を切った。
次の瞬間。
ブチブチと嫌な音を立てながら、俺の左肩が、聖女に、食いちぎられた。
「ぐぁぁぁぁぁぁぁぁっぁぁぁぁぁぁあああっっ!!!」
俺は痛みとショックで叫びながら、その場に崩れ落ちた。額からは脂汗が噴き出し、もげてしまった肩口からは、だぐだぐと血が絶え間なく流れる。数秒前まで当たり前にあった腕が、腕がない。だが、脳はまだ腕があると認識しており、左手の感覚を生々しく訴えてくるので、酷く混乱する。
腕、腕、俺の腕。いや、落ち着け。青の魔力があれば、くっつけることができるかもしれない。腕を探そうと視線を上げた俺は愕然とした。
「まじかよ…」
俺の視線の先には、バリバリと固いパンでも食べているかの如く、俺の左腕を頬張っている聖女の姿があった。
俺が唖然としている間にも、聖女はもくもくと食し、ものの数秒で俺の腕は完全に聖女の胃に収まってしまった。
目を疑うような光景に、自身の顔面が引きつっていくのが分かった。
「俺の腕を食うなんて、とんだ悪食だな。…腹壊すぞ、クソムカデ。」
「この状況で威勢がいいのだけは褒めてやるよ、クソガキ。」
ニヤリと笑う聖女が俺を見下ろす。
その妖しい光を帯びる瞳を見て、俺はふと思い出した。
そういや、ムカデの好物ってゴキブリだったな。




