165話
アルベルトside
コーエン一族を処刑してから、早くも一週間が過ぎた。
エリザベータが帝国金を横領したせいで財政が傾いていたが、マリーの提案のおかげで何とか回復の兆しが見えてきた。
流石は神に愛された乙女。マリーの存在は偉大だ。
だが今、そのマリーが傍に居ない。数日前に隣国のデューデン国へ旅行に行ってしまったのだ。
あぁ、マリーマリー。僕の愛しの聖女。
この世界で唯一の癒しであるマリーが居ないのと、毎夜毎夜訪れる悪夢のせいで僕の身体には疲労が蓄積していた。
目の前にそびえ立つ書類に目を通しても、内容が頭に入ってこない。まるで脳が濃い霧に覆われているかのような。
僕は堪らず目頭を押さえる。これでは仕事が進まない。
一旦息抜きをしようかと、僕は近くに居た侍女に紅茶を入れるよう命じた。
侍女は手際よく紅茶を入れ、そっと後ろへと下がる。
僕は液体の入ったカップを持ち上げた。
「……。」
色彩を失った僕の目には、紅茶は灰色の液体として映る。味気ないが仕方がない。
僕はカップの縁に唇をつけ、そのまま口腔内に液体を流し込んだ。
その時、
「…ッ、」
味よりも何よりも、鼻腔に抜ける甘い香りに、僕は目を見開いた。これは紅茶ではない。これは…
だが、液体の正体よりも先に脳裏に浮かぶは、真珠色の髪を持った少女の後ろ姿。
僕は咄嗟に液体を吐き出そうとする。だが一度口に含んだ液体は嚥下反射に従い、そのまま食道を伝い降りて、胃袋へと落ちていった。
否、堕ちてしまった。
「ぐっ!?」
その瞬間、口腔にぶわりと激しいエグ味が広がった。一瞬、毒という単語が脳裏を過ぎる。が、今の僕にはどうすることも出来ない。
舌にまとわりつくようなエグ味に続いて、今度は激しい嘔吐感に襲われた。
まるで、僕の中で意志を持った何が、あちらこちらへと逃げ道を求めて走り回っているような。
なんだ、一体何がおきているんだ?
得体の知れないものが、喉元をせり上がってくる感覚に、僕は口と胸を押さえてもがき苦しむ。だがそれは無駄な抵抗だったようで。とうとう追い詰められたソイツは、勢いよく僕の口から飛び出した。
「ゴホッゴホッ、」
僕は口からは吐瀉物を吐きながら、椅子から崩れ落ちる。
込み上げてきた胃液が鼻に回って息ができない。それでも次の悪心が容赦なく込み上げてくる。その悪心に逆らえず、床に両手をついた僕はまた吐いた。
「捕らえろ!そいつが陛下に毒を盛ったんだっ!!」
「はぁ!?ちょっと、待て…ぐぇっ」
「皇宮医を呼べっ!!」
僕の周りが騒がしく動き始める。
「アルベルト!!」
声を張り上げ駆け寄ってきた叔父が、僕の身体を支えた。
「しっかりしなさい。」
無茶なことを言わないで欲しい。
これは僕の意思だけではどうしようもない。
けれど苦しみながらも冷静な考えができるのは、吐く度に脳を覆っていた濃い霧が晴れていくから。
どんどん剥き出しになる脳味噌。そして、ソイツにすぅっと風が当たり、どんどん冷えてゆく。
「…アルベルト?」
どんどんどんどんどんどん…
身体中から熱が引いてゆく。
自身の吐瀉物を見つめながら、僕は今の現状に愕然とした。
僕は今まで何をしていた…?
◈◈◈◈◈
「ただいまー!!!」
1週間後。
マリーが予定よりも早く帰ってきた。
「アルー聞いて聞いて!デューデン人って酷いんだよ!?全然相手してくれないのっ!顔が良くてもあれは駄目。あとなんか魚臭いし…やっぱりアルが1番だよ!!まぁ、それが再確認出来たから今回の旅行は良かったかもね。」
「そっか。」
「ねぇねぇ。アルは私がいなくて寂しかった?」
「そうだね。君が帰ってくるのを首を長くして待っていたよ。」
「本当っ!?うふふっ、嬉しいー!…あれ?アル、これなぁに?」
首を傾げたマリーは、僕の横に置かれた箱を指さす。成人男性1人がすっぽり入れそうな、赤いリボンで可愛らしくラッピングされた白い箱を。
「君のために用意したプレゼントだよ。」
「わっプレゼント!?ね、ね、開けてもい?」
「勿論。君のために用意したものだからね。」
「やったーっ!」
目を輝かせながらマリーはリボンを解き、「ぱっかーん」と言いながら勢いよく蓋を開けた。
「…………え、」
蓋を持ったまま箱の中身を見て固まるマリー。
そんなマリーを見て僕は笑みを深めた。
「気にってくれた?君の大好きなものを詰めてみたんだけど。」
マリーの為に箱に詰めたもの。
それは、マリーと深い関係をもっていた2人の成人男性────をバラバラに切断したものだった。
「あ、アル…」
ちゃんと誰だが分かるように、マリーのお気に入りの顔が見えるように綺麗に詰めてある。
因みに2人とも以前から処刑が決まっていた大罪人だ。
「あ、アルってば、もしかして嫉妬しちゃった??あ、あはは…!だ大丈夫だよ!こんなことしなくても私はアル一筋なんだから!えーっと、こういうのなんて言うんだっけ?ヤンデレ?好きすぎて殺っちゃった的な?」
冷や汗をかきながら、引きつった笑みを浮かべるマリーに僕はニコリと微笑む。
「僕はお前の周りに居た男達に嫉妬したことはないよ。」
「…えっ」
「一度もね。」
後ろに控えていた2人の兵士が、マリーの両腕を掴む。
「え、ちょ、なに、何なの??」
マリーの戸惑う声と、蓋が床にカタンと落ちる音が皇宮にやけに響く。
「1個の腐った林檎は樽全体を腐らせる。」
「は、はぁ?」
「ならば腐った林檎はどうすればいいのか。」
「アル、頭大丈夫?ちょっと!皆も見ていないでさ、アルがおかしく―」
「答えは実に単純だ。」
自分が置かれている状況を飲み込めずに戸惑ってはいるものの、まだ余裕をみせているマリーに、僕は双眸を眇めてみせた。
「跡形もなく燃やしてしまえばいい。」
◈◈◈◈◈
──マリーが帰ってくる数日前。
今まで呑気にうたた寝をしていた皇宮は、長い冬眠から醒めたかように慌ただしく回りはじめていた。
老若男女、隠居していた腰の重い重鎮達さえもあちらこちらへと走り回っている中、僕は目の前にそびえ立つ書類にひたすらペンを走らせていた。
「陛下、少し休まれた方が…」
書類の山の向こうから聞こえる叔父の声に、僕は舌打ちをした。ペンを走らせたまま声を荒らげる。
「喋る暇があるなら手を動かせ…!」
「…御意。」
ノルデン帝国は、帝国の歴史が始まって以来、最も深刻な事態に直面していた。
帝国の資金は底を尽き、それに比例するように軍事力も衰え、飢えた民衆によって治安が今までにないぐらいに悪化していた。
今、内部で暴動が起これば、間違いなく皇政は終わる。敵国に攻められるのも時間の問題だ。
そんな状況下で唯一の救いが、デューデン貿易だ。そこで得られる利益は財政再建の柱となっている。以前反対していた貿易に救われるなんて、正直屈辱でしかない。
だが今は財政の立て直しが最優先だ。
マリーが大量に買い漁った高価な物品を売り払い、経費削減に努め、重臣クラスの収入も大幅に削減した。またこの削減も上に厳しく下に厚く、民衆の困窮を防ぐべく3日間一睡もせずに尽力を注いでいる。
「…あぁ、くそ…!」
ペンを走らせながら、僕は苛立だしく頭を掻きむしる。
どれもこれも、全てマリーが原因だ。
現在進行形で顔のいい騎士共と呑気に旅行しているマリーは、僕達に何かしらの魔法をかけた。自分に都合のいい、実に幼稚な、魅了の類いの魔法。
だが皇宮医曰く、マリーには魔力がないらしい。おそらく未知の麻薬でも使ったのではないか、と。
根拠としては、侍女が入れたあの人の飲み物とは思えない死ぬほどに不味い液体。
毒液だと思っていたそれは、普段絶対に口にしないカモミールティーというものだった。
そして、それを飲んだ瞬間、僕の頭を覆っていた霧は晴れた。まるでカモミールが麻薬の解毒剤だったかのように。それを裏付けるように、叔父を含めた他の人間も僕と同様の感覚を覚えたのだ。
因みに、皇帝である僕に毒を盛った大逆罪として牢屋にぶち込まれた侍女は、未だ檻の中だ。
叔父に「結果的に冤罪だったのですから、解放した方が宜しいのでは?」と言われたが、僕はそれを却下した。
あの下賎女は僕に平気な顔でゲテモノを出したのだ。牢屋にいれておくには十分すぎる罪状だろう。いっその事、このまま餓死してくれ。
さて、話は戻るが。マリーが使ったのが魔法であれ麻薬であれ、今の僕にとってはどちらでも構わないのだ。
マリーは帝国を騙した〝腐った林檎〟。
その事実さえ分かれば、あとはどうでもいい。




