163話
アルベルトside
いよいよ明日の朝にコーエン一族の処刑を控えた、蒼い月が煌めく夜のこと。
皇宮はマリーが主催する煌びやかな仮面舞踏会で大いに賑わっていた。
仮面舞踏会とは、仮面をつけた紳士淑女が、身分や素性を隠して思い思いに楽しむ舞踏会のことで、以前から民衆に娯楽が少ないことを憂いていたマリーが「面倒臭い身分なんか気にしないで、皆が楽しく過ごせるような国にしたいねっ!」と言って、この舞踏会を催したのだ。
僕だけでなく生産性のない民衆に対しても、心を砕き、思いやりをもてるマリーはなんて素晴らしいのだろう!そう簡単にできることではない!!
議会で毎夜毎夜開かれる夜会の出費について取り上げられていたが、マリーが必要としているならば支払わなければならない出費だろう。わざわざ議会にあげることではない。
金を使えば経済が回る。これは、この国にとって必要な政策なのだ。
先程までエリザベータを罰していた僕は、上機嫌で酒を浴びるように呑み、踊り、マリーと共に美しいノルデンの夜を楽しむ。
明日、あの忌々しい存在が世界から排除させるのだ。きっと、この胸の中に溜まっている根も膿も、明日の今頃には綺麗さっぱりなくなっているだろう。
はははっ!!マリーのおかげで今宵の宴も素晴らしい!
「陛下」
叔父の抑揚のない声がほろ酔い気分に水を差す。なんだ、せっかく気分が盛り上がってきたというだというのに、と不機嫌になる僕に叔父は周りに聞こえないようにそっと耳打ちしてきた。
「エリザベータ=コーエンの所に、鼠が一匹入り込みました。」
叔父の報告により、僕の楽しい夜は幕を閉じた。
◈◈◈◈◈
「──で、今その害虫は?」
エリザベータが収監されている監獄塔に向かうべく、僕は叔父と共にカツカツと音を鳴らしながら長い廊下を早足で進む。
「逃げられました。」
「流石は害虫。逃げ足が早いね。」
「ですが今捜索を進めて――」
「必要ない。害虫一匹の為にわざわざ人員を割くな。」
「…。」
「だが侵入を許した見張りの奴は処分しろ。」
「…御意のままに。」
僕は親指の爪をギリッと噛む。
「全く往生際が悪い。また男を誑かして…今日ぐらい大人しく出来ないのか…!」
「いえ、今回は女性だったようでして…」
「女?…はっ。ホントよくやるよ。」
怒りを通り越して呆れてしまった僕は、それだけを吐き捨てて監獄塔へと急いだ。
◈◈◈◈◈
「こんばんは。今宵は月が綺麗だね。」
エリザベータが収監されている牢屋に行けば、彼女は薄汚れた床にペタンと座り込み、そして自身の腕を抱えていた。
まさか僕が再び訪れるとは思っていなかったのか、その虚ろの瞳は少しだけ見開いている。
僕は慣れた手つきで鍵を開け、牢屋の中に足を踏み入れる。すると彼女の香りがふんわりと鼻先を掠めた。…あぁ、相変わらず嫌な匂いだ。甘くて甘くて頭が痛くなる。その香りから意識を逸らそうと視線を伏せれば、月明かりに照らされた彼女の顔が視界に入った。相変わらず、何を考えているのか分からない面白みのない顔。だが、その頬は真っ赤に腫れ上がっていた。
「おや?」と首を傾げた僕は、自身の頬をトントンと指を指す。
「傷が増えているね。ここ、どうしたの?」
舞踏会が始まる前に彼女を罰していた時には無かった傷だ。まるで誰かに殴られたような。だがそんなはずはない。ここには誰も入らないようにしているのだ。
…もしや、忍び込んだ害虫に殴られたのか?
「……。」
彼女は何も答えない。ただ居心地が悪そうに視線を泳がすばかり。
害虫を庇っているのか、それともそれ以上に答えられないような何か疚しいことがあるのか……。
どろり、どろりと。
胸の中に泥が溜まる。
僕はすっと双眸を眇めた。
「へぇ。僕の問いに答えられないのか。」
僕が知らないことがあるなんて、許せない。
右手を振り上げた僕は、腫れ上がっているに彼女の頬めがけて拳を放った。
牢屋に肉をぶつ鈍い音が響くのと同時に、彼女の身体が後方に倒れ込む。
「…くっ…は……」
口からたらりと鮮血を吐き出す彼女の傍らに片膝を着いた僕は、躊躇なく薄汚れた真珠色の髪を掴み上げ、そして苦痛に歪んでいる彼女の顔を覗き込んだ。
「最後の最期まで、貴女は自分の立場を分かろうとはしなかった。」
聞き分けのない子供に言い聞かせるように、ゆっくりと、はっきりと。
無意識に口角が吊り上がる。
「罪人には罰を与えなければならない。」
彼女に罰を与えられるのは僕だけなのだ。
それなのに君は─────
「………。」
なんだ、その目は。
なんで君はいつもそんな目で僕を見るんだ。
一体君は、僕の何を見ているんだ。
あぁ────!!!!そんな目で僕を見るな!!!不快だ、不快だ…!!!
僕は再び拳を振り上げた。
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エリザベータは害虫について口を割ることなく、いつの間にか気を失ってしまった。そんな彼女の傍らに片膝をついた僕は、彼女の顔を覆っている真珠色の髪を耳にかける。すると、あらわになった傷だらけの彼女の顔が、月明かりに照らされた。
「……。」
淡い月色の光を纏った真珠色の髪に、少しだけ唇が開いたあどけない顔。そして、キラキラと煌めく目頭に溜まった涙。その涙を指先で掬った僕は、苦々しい溜息を吐いた。
「……こうして寝ている時だけは……」
意味の無い無価値な語尾を飲み込んだ僕は、胸の中に泥を抱えたまま牢屋を後にした。
◈◈◈◈◈
「いよいよ明日か…。」
「まさかコーエン一族が処刑させる日が来るなんてな。」
監獄塔を出ようとする僕の耳に、入口を見張っている2人組の兵士の会話が入ってきた。
「死んだじぃさんに聞かせたら、きっと腰抜かすよ。」
「ははっ、そりゃあ違いない。」
勤務中だというのに、無駄話に花を咲かせるとは。
思わず眉間に皺が寄る。
そんな体たらくだから、害虫の侵入を許すのだ。
「けれど勿体ないよな。あんなに綺麗なのに。」
「確かに。処刑せずに娼館送りの方がよかったかもな。」
「そりゃあいい。かつて白金薔薇と呼ばれた高飛車女を組み伏せたいと思う男は5万といるだろう。」
「だな。顔よし、身体よし。そして俺達じゃあ一生手に届くことはなかった元侯爵令嬢だ。人気出ると思うぜ。…そうそう、さっき咄嗟に殴ったんだけどな、あれはいいぞ。癖になる。」
「お前、手を出したのかよ。上から手を出すなとあれほど…」
「仕方がないだろ?不可抗力だ。…あ、お前も行ってくれば?今日で最後だし何をしてもバレないぞ。見張りも交代でさ楽しめば───ギャアァァァァァァ!!!!」
「ど、どうした!?―っ、へ、陛下!」
「見張り、ご苦労さま。」
2人組の片割れの頭に炎放った僕は、彼らの間を抜けて監獄塔を出た。
「随分と楽しそうに話していたね。勤務中に何を話していたのかな?」
「そ、それは―!そのっ、」
くるりと振り返った僕は、顔面蒼白になっている男に向かって微笑みかけた。
「君達は何も悪くないよ。」
「えっ、」
「悪いのは君達を惑わした彼女だから。」
「は、はぁ…」
顔面蒼白男の肩が少し緩む。
そんな男の顔面に向かって、僕は炎を放った。
「ナゼェェェェ───── !!!??」
ガタイのいい2人の兵士は、地面に蹲り唸り声を上げながら芋虫のように蠢いている。そんな彼らを僕は静かに見下ろした。
「何故って、君たちは彼女に惑わされた危険因子だからだよ。」
無意識なのか、それとも意志を持ってなのか、後に燃やされた男が僕に向かって手を伸ばす。その浅ましくて汚らわしい手を僕は思いっきり踏み潰した。
「危険因子はちゃんと摘み取らないと…ね?」
食虫植物に惑わされた哀れな小虫達に向かって、僕はにこりと微笑みかけた。




